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Winter Tradition

恋せよ乙女  part 1



1月も後半になると、街中に甘い香りが溢れ出す。
2月に入れば、微弱な殺気にも似たオーラを漂わせる者も、チラホラ。
その姿を「一生懸命」と言うべきか、それとも「必死」と言うべきなのか。難しいところだ。


新一と蘭の間にも、彼らなりにそれなりの雰囲気が、見えたり隠れたり。
いや。本人達は、アレでも隠しているつもりなのだろう。
しかし、正式にそういう間柄でないときから、既にそれ以上の風貌を十分に醸し出していたのだ。
正直言って、周囲の人間からすると「何を今更」なわけで。
からかうネタがひとつ減ってしまったのは残念だが、ようやく安心して2人を見守ることができるようになった、というのも正直な感想。

晴れて恋人になった、新一と蘭の2人を。





ところが。
ここ数日の蘭の表情が、ほんの少しだけ冴えない。

表面上は他の誰も気が付かない程度の、砂粒くらいに小さな変化。
現に、誰も何も気に留めていないし、気遣うような素振りも見られない。
けれども、どんなに上手く隠し通そうとしても、蘭の心の揺れは園子には伝わってしまうらしい。
ふぅ、と小さく頬杖を付いた隣で、園子の目がキラリと光った。

「何か溜め込んでることあるんでしょ?あの推理馬鹿の所為で。」

休憩時間に新一が職員室へ呼び出された隙を突いて、園子が蘭に耳打ちする。
あのねぇ、と少しあきれた声で、蘭は園子に向き直った。

「わたしだって、新一以外のことで考えるときもあるんだから。」
「とぼけたってダメよ?性懲りもなく、また事件に首突っ込んだりしてんでしょ?ったく。アイツ、頭良いくせに学習能力は欠けてるんだから。」

園子がこういう聞き方をしてくるとき。
蘭がどんなに弁解しても、説明しても、常に新一は悪者扱い。
教室に戻ってくるなり行儀悪く机に腰掛け、クラスメート達と何やら話し込んでいる名探偵の背中を、園子はチラリと睨んだ。
随分な言われ様に、蘭の頬には思わず苦い笑みが浮かぶ。

「心配してくれるのは分かるけど、でもこれは、わたし自身の問題だから。新一の所為じゃないの。ほんとよ?」
「蘭がそう言うなら、そういうことにしといてあげるわ。でもね、、、」

キーンコーンカーンコーン。

重なるようになり始めたチャイムの音に、園子の言葉はタイミングを無くして掻き消された。
後に続くはずの言葉が何だったのか、勿論蘭には分かりきっているけれど。
全ての気持ちを込めて「有難う」とだけ返すと、ようやく納得したような顔になって、園子は蘭のほうへ乗り出していた体を大人しく席に戻した。

2人の間に割って入るようにして自分の席に戻ってきた新一が、少し首を傾げている。
無駄かもしれないけれど、一応「何でもないよ」と新一に笑顔を見せた。

園子以上に、新一も蘭の微細な変化を察知してしまう。
それは、名探偵としての新一の資質が発揮されているからかもしれない。
でも、それよりも。
新一の気持ちが、真っ直ぐ蘭を見つめているから。
どんなに小さな変化でさえも、見逃さないように、しっかりと。

新一はわたしに、最高の居場所をくれた。
ずっと秘めてきた、新一の隣にいるという願いを叶えてくれた。
こんなに幸せなことは他にないと、思った。

それなのに。

どうしてわたしの心は、満たされていないんだろう?
これ以上のことを望んでしまうのは、どうしてだろう?


どうして、、、と、三度自問しようとして、蘭は軽く頭を振った。

もう、答えなんて、とっくに出ている。
正解かどうか分からないけど、おそらく、かなりの確立で正しいと思う。



与えられることばかりに慣れてしまった、怠惰な人間の欲深い感情。
両手を広げて待ち続けることしかできなかった、弱い人間に巣食う影。

自ら道を切り開くことが、前に進むことが、怖いから。


だからね、新一の所為じゃないんだよ。

新一の所為じゃ、ない。



自分自身に言い聞かせるように、蘭はそっと心の中で繰り返した。





* * * * *





高校3年のこの時期は、午前中で授業が終わる。
ホームルームが終われば、教室内は、2次試験に向けて勉強に勤しむ者、バイトに精を出す者、残り少なくなった級友との時間をのんびりと過ごす者、のほぼ3つに大別された。
蘭と園子は3番目のグループで、いつも級友達との会話をゆっくりと楽しんだ。
だが、新一はそれらのどのグループにも属さない。
一番近いのは3番目のグループだが、過去に貯めこんだ出欠状況のツケを補習として支払い続けているため、1人居残りする毎日が続いている。
だが、先程の呼び出しで「本日の補習なし」との有難いお言葉をいただき、今日の新一は純粋に第3グループの人間となることができた。
思わぬ形で手に入った自由時間を、有効利用しない手はない。
たまには蘭をどこかへ連れ出そう。
そう思って、担任の「ホームルーム終了」の合図を待ち構えていたというのに。

ひと足先に蘭を確保した園子は、丸めた雑誌を片手にポンポンとリズムを取りながら、新一に向かって『女同士の会話に口出し無用!』という言葉の槍を投げ付けていた。
しかもその無音の行為を蘭には全く気付かれずに行なうという、かなりレベルの高い技術を駆使しながら。
周囲も思わず息を呑んで見守る中、なになに?と可愛らしく問うてくる親友に、園子は普段の調子を一切崩さずに囁いた。

「しかしまぁ、アンタも苦労するわねぇ。」
「園子?どうしたの、突然そんなこと言って。」
「蘭がどう言おうと、ずーっとあんた達2人のことを見てきた、この園子様の目は誤魔化されないわよ。」
「誤魔化すなんて、そんな・・・」
「わかってるってば。この時期特有のヤツ、でしょ?顔も名前も売れまくってるからね、アンタの旦那。」
「だから、何の話よ?それに、、、だっ、旦那じゃないってば!」

盛大に溜め息をついた園子は、空いているほうの手で蘭の肩をガシっと掴んだ。
心持ち、頭をたれている。

「あのねぇ、蘭。今更そんなこと言ってるの、アンタだけよ?やっと公の関係になれたんだから、蘭は堂々と女房面してたら良いの!」
「女房面って・・・ななな、何てこと言い出すのよ!」
「いい加減、観念しなさいよ。そんなの、新一君だって認めてるんだから。」
「・・・えぇっ?新一が?」

蘭は、ぽっと頬を赤らめ、両手で口元を覆っている。
その仕草は、かつて新一のことを“ただの幼馴染”だと言い張っていた頃と、何ら変わりない。
親友の相変わらずな仕草に、園子は思わずぷっと噴き出し、と同時に背中に冷たいものを感じた。
どうやら新一的タイムリミットが近いらしい。
言葉にはしなくても、向かい合わせになっていなくても、じりじりと「蘭を開放しろ」というオーラが読み取れる。
肝心要の本人、つまり蘭には一向に通じないのが不思議でならないくらい、蘭に対する新一の態度は単純明快で分かりやすい。
心の中で舌を出しながらも、そっと鞄を手繰り寄せると。
園子は、ますます雲行きの怪しくなってきた背後の男に、高らかに宣言した。

「本番はちゃんと譲ってあげるから、今日は私が大事な奥様をお借りするわよ。」
「んなっ?おいっ、ちょっと待て園子!」
「じゃあ、お先に〜。ほら、行くわよ、蘭。」

え?と振り返った蘭をそのままガッチリと捕まえると、園子は半分引きずるような状態で蘭を連れ去っていく。
誰の目にも明らかなくらい、即興で取り付けたのだろうと思わしき本日の予定に、呆気に取られた蘭は園子のなすがままだ。
この勝負、新一に反撃のチャンスも与えないまま逃げ切った園子の勝ち、と言ったところだろうか。
疾風のように素早い行動力に、蘭のほうへ伸ばした腕は寸前のところでかわされて。
空を切った新一の爪先は、たっぷり3秒間は空中で固まったままだった。


「相変わらず人気者だな、おまえの奥さん。」
「うるせーよ。」

3人の遣り取りを遠巻きに見守っていた級友の1人が、たっぷりと笑いを含んだ調子で、その場の沈黙を破った。
ギロリ。
物騒な擬音がしっくりと馴染む、凶悪犯さえ無言にさせることが可能なほどの、新一の眼光。
それを、訳知り顔で眺めて楽しんでいられるのは、ここにいる全員が、新一に認められた存在だから。
要するに、蘭にちょっかいを出すような命知らずの愚か者は、このクラス、いや帝丹高校内にはいない、ということ。
たった1人の例外である、園子を除いては。

まだ鋭い表情のままでいる新一の存在など、とっくに忘れてしまったかのように。
級友達はそのまま円陣を作り、意見を飛び交わせる。

「なんたって最大最強のライバルだもんな、工藤にとっての鈴木はさ。」
「でもさ、ここんとこ、負けが込んでるんじゃねーか?」
「言えてる!工藤のほうが押され気味だよな?」
「工藤とは違った意味で、絶対敵には回したくないタイプ。」
「鈴木の場合はさ、口だけじゃなくて行動力もあるからな。アイツが本気出したら、日本転覆もありうるかも?」
「それ、冗談にしても笑えねーぞ?」

園子は、ああ見えて、日本有数の大財閥・鈴木家のお嬢様なのだ。
数年後には後継者となり、日本の経済が彼女の指先ひとつで動く日がくるかもしれない。
この場にいる全員が、やや大人びた園子が両腕を腰に当てて高笑いする映像を脳裏に浮かべ、口々に「マジで笑えねぇ」と口元を引きつらせた。

「・・・おめーら、好き勝手なこと言ってんじゃねーぞ。」

唯一、不毛な妄想とは無縁だった新一の、酷く不機嫌な声色が場を制した。
その低い声に妄想家達はハッとして、眉尻を跳ね上げそうになっている名探偵に、じりじりと包囲網を敷いていく。
なんだよ?と更に低くなる声音に、ある者は頷きながら、また別の者は新一の肩をバシバシ叩きながら。
容赦なく降り注ぐ、口撃の雨。

「これ以上、奥さんを泣かせるなよ?オレ達までとばっちりを食らうのはゴメンだぜ。」
「日本の未来は、おまえの両肩に掛かってるんだからな。」
「そうそう。背中にどっしりと乗っかってるぞ。」
「というわけだから。精々精進しろよ、工藤!」
「なーにが『というわけ』だ!そんなもん、背負った覚えはねぇっ。」
「冗談じゃなくてもさ、工藤と鈴木が手を組めば、世界征服も実現しそうな気がする。」
「じゃあ、ついでに世界の命運も背負ってみますか!なぁ、工藤。」

あまりにも急速に話が飛躍していくので、反論しようにもどこから手を付ければ良いものか。
新一の明晰な頭脳をもってしても、タイミングが計れない。

「あのなぁ、、、いつまでもくだらないことばっかり言ってないで、とっとと帰れ。」
「何言ってんだ?オレ達、かなり真面目だけど?」
「人手が足りないなら手伝うぞ?この際、どどーんと背負ってみれば?世界ってヤツを。」
「オレが背負うのはな、、、いや、いい。こんな話に付き合ってられるほど、オレは暇じゃねえんだよ。」

包囲網を蹴散らすようにヒラヒラと手首から先を翻し、中央突破を鮮やかに決めた新一が不意に戸口で振り返った。
蒼白く燃える炎を、その明眼に揺らして。

「事前に言っておくけどな。オレの鉄槌を食らいたいヤツは、いつでも遠慮なく名乗り出て来て良いんだぜ?」

絶対零度の切れ味で突き付けられた、言葉という名の刃。
じゃ、お先、と去って行った彼の背中に、その場にいた者は漏れなく凍りついた。
そして、改めて「こいつにだけは逆らっちゃいけねぇ」と肝に銘じたのだった。


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