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控えめなクラクションが2回、家の前の通りから聞こえてきた。ひと呼吸おいて、朝から元気がいっぱい詰まった親友の声が響いてくる。 「らーんっ、おはよー。もう用意できてる?」 「あ、おはよ、園子。すぐ降りて行くから、下で待ってて!」 道路に面したほうの自宅の窓を開けると、路肩に寄せた車の傍らで手を降る大親友の姿があった。 蘭は、まだ半分寝ぼけながら新聞を広げている小五郎に、目的地に着いたら電話するからね、と言って小さな旅行用バッグを手に出掛けて行った。 階下では、既に園子は助手席に座っており、鈴木家の運転手を勤める男性が蘭のためにドアを開けてくれた。 きちんとお礼を言って、勧められるままに後部座席に落ち着いた。 11月最初の週末は、文化の日を含めて3連休となっている。 そこで、昨日突然に園子の誘いを受け、全国各地に散らばる鈴木家別荘のうちのどこかに泊まりに行くことになった。本当は新一と一緒に過ごせたらなぁ、とひっそり思ってはいたのだけど、昨夜から事件の捜査協力に引っ張り出され、そのまま帰宅していないらしい。携帯がずっと留守電になっているから、事件はまだ解決していないということは容易に想像できた。 というわけで、土曜日の朝の早いうちから、ちょっとしたドライブ気分を味わっているのである。 「ねぇ、そろそろ目的地を教えてくれてもいいんじゃない?」 蘭が助手席に向かって声を掛けると、んふふふっ、と意味深な含み笑いをするばかりで、まともに取り合おうとしない園子の様子が、蘭を増々不安にさせた。 『当日まで場所は秘密だけど、きっと蘭も気に入る場所だから、ね?』 確かそう言われて今日の日を迎えたはずだ。 なのに、園子はまだ真実を語ろうとしない。のらりくらりとはぐらかさせて、ここまで来てしまっている。 毛利家から約10分。見なれた光景で車が止まった。 随分と大回りをされたが、見紛うことはない。工藤邸の豪奢な門扉が目に入る。 「ちょっと、これ、どういうこと?」 目を丸くするばかりの蘭に、園子は得意満面の笑顔で切り返した。 「あら、言ったでしょう?『蘭も気に入る場所だ』って。それが、ここ。」 「じゃ、どうしてわざわざ車で連れ出すのよ?」 「こうでもしないと、蘭と新一君がこの連休を一緒に過ごすのは無理だろうと思ってさ。嘘つくのが下手なんだもん、蘭は。」 「ありがと、園子。でも、昨日も帰ってないみたいだから、多分この連休中も事件に夢中で、わたしのことなんて眼中にないわよ、あいつ。」 「甘いわね、蘭。この園子様がそんなミスを犯すはずないじゃない。昨日のうちに目暮警部には釘を刺しておいたから、この3日間、新一君はフリーなはずよ?」 ちっちっち、と人差し指を左右に振ってウィンクした園子の笑顔は、一体どうやって警察組織まで動かしたのか?などという蘭の初歩的な疑問を吹き飛ばした。 気さくな一面もありながら、こう見えても日本有数の大財閥である鈴木家の娘なのだ。時々アッと驚くようなことをやってのける。 粋な園子の計らいに、嬉しい半面どうしたら良いものかと戸惑っていた蘭をさっさと車から追い出して、園子が窓越しに後押しした。 「あんた達、せっかく恋人同士になったんだから、さっさと進展しちゃいなさいよ?あとは私がうまく誤魔化しておいてあげるから、心配無用♪」 「園子ったら、もうっ」 「ほら、早くしないと旦那が待ってるよ?」 三日月形に目を細めて見送る園子の言葉を真っ赤になってやり過ごすと、お礼と極上の微笑みを残し、蘭はくるりと方向転換した。 (お父さん、ごめん。) 玄関でインターコムのボタンを押す指を直前で引き止めて、蘭は心の中で小五郎に詫びた。 そういうつもりは毛頭なかったけれど、結果的に嘘をつくような形になっている。 だけど今は、ドキドキのほうが勝ってしまって、何も考えられない。 帰宅を知らせるメールも留守電も入っていなかったけれど、園子の言葉を信じ、預かったままになっている合い鍵を使って、そっと玄関から家の中を覗きこんだ。 (勝手に上がりこんじゃて、怒るかな?でも、寝てたら起こしちゃうし。) 『合い鍵持ってんだから、勝手に出入りして良いよ』と何度も言われているけど、実践するのはこれが初めてだった。妙にドキドキしながら、静まり返った玄関ホールを抜け、リビングが無人であることを確認し、キッチンに向かう。 シンクの中に放置されたマグカップに、薄っすらと残っているコーヒーが、家主が戻っていることを告げていた。 (連絡してこなかったということは、また明け方に帰って来たのね?) 仕方ないなぁ、と言うかわりに、ふう、と軽いため息をこぼして、冷蔵庫と戸棚の中身とを確認していく。 事前に泊まりに来る予定にしていれば、食料品の買い出しもできたのにな、と思いつつ、とりあえず牛乳と卵があったことに感謝した。これさえあれば、後はどうにか出来るだろう。 今朝のメニューはマフィンとスコーンと目玉焼き、それと冷凍庫にストックしておいた温野菜を使ってちょっとしたサラダを作る。本当はここにサンドイッチも付けたかったけど、材料の関係で断念した。キッチンを探りながら今日の日付を思い出して、出来る限りEnglish breakfastを真似てみたのだ。 生クリームはないから、ジャムだけでもいいかな? いつものマグカップじゃ素っ気無いし、、、確か戸棚の奥に、ティーセットがあったわよね?あれ、使っちゃおう。 隠し事の嫌いな蘭だが、ときどきこうした“サプライズ”を計画することがある。驚かせたいのではなくて、ただ単に相手の喜ぶ顔が見たくて。 ウキウキと、でもなるべく静かに準備を進めていく。 残り1分を示しているタイマーがチン、という大きな音が出さないように、時間ギリギリにスイッチを切った。マフィンの出来具合に納得してから、入れ替わりにスコーンをセットする。今度はそのままタイマーに任せてしまっても大丈夫だろう。 テーブルセッティングもすっかり終わって、用意万端。あとは主役を起こしてくるだけの状態になっていた。 アッサムとアールグレーの紅茶缶を手にして「どっちにしようかな?」と思案していた蘭は、ちょうど目の前に置いてあるエスプレッソメーカーを見て、小さな悪戯心が芽生えてしまった。 手際良く準備して、トレーを手に新一の部屋へ向かった。 ゆっくりドアを開けると、分厚い遮光カーテンの隙間から入り込んだ陽光が室内を薄明るく照らしている。 音を立てないようにベッドサイドに忍び寄ると、規則正しい寝息が聞こえてくる。 蘭は一安心してトレーをサイドテーブルに置き、そっと寝顔を覗き込んだ。 びっくりさせたいけど、でも驚かせ過ぎないように、そっと大事な人の名前を呼ぶ。 いつになく、甘く、耳元に囁くように。 「新一、起きて。もう朝だよ?一緒にご飯食べよう、ね?」 見事なまでに反応がない。 新一は、寝起きは悪くても人の気配に敏感だ。ここまで蘭が近付いているのに、気付かないのはおかしい。 もう一度だけ、さっきより少し強めに名前を呼んでみる。 「新一」 やっぱり、反応しない。 さっきまで噛み殺してきたワクワクした気持ちが、一気に飛んで行ってしまった。 その代わりに、ざわざわした黒い影が見え隠れする。 勝手に入ってきたから、怒ってるの? 疲れ過ぎてて、わたしの声なんか聞こえない? ・・・それとも、具合が悪いとか? 嫌な想像が頭の中を急スピードで駆け回る。力が抜けて、蘭はそのまま床に座り込んでしまった。 力なくうなだれるその肩に、ふわりと暖かい手が置かれた。 「悪い、調子に乗りすぎた。」 見上げた目線の先には、まだ横になったままの新一が、バツが悪そうな顔で蘭を見つめている。 本当は蘭が部屋に近付いてきた時点でなんとなく気が付いていたのだが、妙に艶っぽい蘭の声が心地よくて、夢と現実の狭間をさまよってしまったのだった。 大きな深い色の瞳に黙って見つめられると、新一も束の間言葉をなくしてしまう。とりあえずもそもそと起き出して、まだ床に座ったままの蘭をベッドサイドに座らせると、いろんな気持ちが交差して上手く言葉にまとまらない様子の背中をゆっくりと撫でてやった。 「蘭、機嫌直してくれよ。な?」 「・・・じゃあ、この連休は一緒にいてくれる?」 「もちろん。誰にも邪魔させないようにするよ。」 満足そうな蘭の笑顔が、薄暗い室内に眩しく映えた。 突然、蘭は思い出したように、トレーに乗せてきたいつものマグカップを新一に差し出した。 「あ、やだ。今日はすっごく上手にアワアワに出来たのに、新一が寝ぼすけさんだから崩れてきちゃったじゃない。」 スチーマーで丁寧に泡立てられたミルクフォームの山が、少しずつ低くなってきていた。蘭は急かすようにカップを新一の手の中に収めて、早く飲んでみて?と言わんばかりに瞳を輝かせている。 口をつけようとして、何かが違うことを感じ取った新一は、枕もとのライトをつけた。 「ん?これ、カプチーノじゃないだろ?」 「なんだ、もうばれちゃったの?やっぱり新一には適わないなぁ。」 小さく笑う蘭に、まだ寝起きでいつもより頭の回転スピードが低めの新一は「?」を浮かべて、確認した。 「コーヒー豆、切れてたっけ?」 「ううん、まだ買い置きあるわよ?」 「じゃ、何でミルクティなんだよ?オレがあまり紅茶飲まないの、知ってんだろ?」 「だって、今日は11月1日だから、たまには良いかなと思って。」 「11月1日って、何?」 歴史の年表や事件の犯行時刻はしっかり覚えているのに、こういった記念日の類に新一は弱い。かろうじて蘭の誕生日だけは忘れないが、下手すれば自分のは忘れてしまうこともあるくらいだ。 「知ってる?今日は『紅茶の日』なんだよ。」 今度は得意そうな笑顔を新一に向けて、蘭は続けた。 「いつもコーヒーばっかりじゃ、なんだか落ち着かないでしょう?だから、たまには二人でのんびりお茶したいな、と思って。」 コーヒーという飲み物には、何故か仕事であったり勉強であったり、忙しいイメージが良く似合う。だけど、紅茶にはそれがない。偏見かもしれないけれど、どこかゆったりとした雰囲気がするような気がするから、紅茶を楽しむひとときが蘭は好きだった。 そういう穏やかな気持ちを新一と共有できれば良いな、というのが今日のサプライズの目標だったから。 「そっか。んじゃ、遠慮なくいただきます。」 少し冷めてきたマグを傾けて一気に中身を飲み干すと、あきれる蘭を横目に新一は言った。 「おかわり、もらっても良い?」 「え、いいわよ。そんなに気に入ったのならすぐに作ってくるから、ちょっと待ってて。」 立ち上がりかけた蘭を両手の中に捕まえて、新一は素早く唇を重ねた。 「ごちそうさま。うまかったぜ、紅茶。」 「ちょっ、、、いきなり何するのよぉっ。新一のスケベ」 「だって蘭はオレの“my cup of tea”だから。」 「何よそれぇ?」 真っ赤になってしどろもどろになっている蘭を救ったのは、チン、と強く自己主張してきたオーブンのタイマーだった。 さっきセットしておいたスコーンが焼き上がったのだ。 「と、とにかく早く着替えてキッチンに来てね。もう用意出来てるんだから。」 「はいはい。」 小走りで1階に向かう蘭の背中に、クスリと笑みをこぼして新一は自分の中でつぶやいた。 (my cup of tea、、、“オレのお気に入り”って意味なんだけどな。) キッチンから漏れてくる甘い香りに包まれて、この3日間、どうか事件が起こりませんように、と珍しく神様に祈ってみる新一なのだった。 |
勝手に紅茶企画発動。
思いつくのと実行するのが遅すぎて、際どいくらいにギリギリの仕上がり。
11/1は、いろんな意味で私にとっては特別な日だから、どうしてもやりたくて。
都合上、当日アップは無理なので、前日お披露目となりました。
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