〜 Reach for the Moon 〜
握り締めた指で最初に掴んだもの part 1
秋も深まる、穏やかな午後。
若干色味が薄くなった空には、刷毛で2度ほどなぞったような淡い雲がチラホラ。
少しひんやりするような、清々しいような。
それでいて、暑くもなく、寒すぎることもなく。
吹き抜ける風も緩やかで、自然と「どこかに出掛けてみようか」と思うくらいの上天気。
だがしかし。
工藤邸の若き主・工藤新一は、外出に適した気候には見向きもしない。
体を動かすのは好きだし、サッカーを始めとして、スポーツ全般を満遍なくこなす。
しかし彼は、偏ったジャンルとはいえ無類の読書好きで、根っからのインドア派なのだ。
一日中家に篭っていても、気に病むことは皆無。
それどころか、放っておけば、家から一歩も外に出ない日が何日続くことか。
もっとも、学生兼探偵という「二足の草鞋」を履く新一には、ありえないことだが。
一度呼び出しが掛かれば、いつ何時でも、必要としてくれた人の元へ向かう。
探偵として頼りにされるのは、新一にとってはまさに本望。
人の役に立てるという社会的貢献は勿論のこと、更に持ち前の負けず嫌いな性格が上乗せされ、与えられた謎には挑まずにはいられなくなるのだ。
そして、謎を解きほぐす過程、見破った瞬間・・・
いずれも、ゾクゾクするような高揚感を新一に与えてくれる。
その一種の快楽を得るためならば、多少の無茶は平気でする。
ただ、最近、その傾向があまりにも顕著で。
「外出=事件(もしくは通学)」という、悲しい法則ができつつあった。
ことあるごとに「大丈夫?」と問う蘭の言葉も跳ね返し、得意の笑顔で「大丈夫」と笑うだけ。
そんなこんなで、とある秋晴れの休日。
平日の朝よりも少し遅い時間に、蘭は工藤邸に向かっていた。
事件続きの新一に、休日らしい、ごく普通の時間を少しでも持ってほしくて。
その切欠に自分がなれたらいいな、と思った。
勿論これは蘭個人の勝手な考えであって、新一に頼まれたわけではない。
探偵として名を馳せるようになってからの新一は、蘭から見ても本当に活き活きとしているし、自信たっぷりな笑顔を周囲に披露している。
だけど、その影で何かが壊れて、、、いや、磨り減ってとでもいうのか。
新一の中に生まれつつある、正体不明の何かに対して、蘭の中でだけ小さな警鐘が鳴っている。
その「何か」の正体は分からない。
もしかしたら、当の本人さえ気が付いていないかもしれない。
それでも、蘭は感じるのだ。
理屈で割り切れるものじゃなく、ただ漠然と。
大切なものが失われていくような、何かを―――
ピンポーン。
工藤邸の玄関先でインターホンを押し、主の返事を待つ。
園子の家ほどの規模ではなくても、新一の家もそれなりに大きな邸宅。
一度押しただけでは、気が付かないかもしれない。
ピンポーン、ピンポーン。
逸る気持ちが、繰り返しインターホンを押させる。
蘭自身もしばらくは部活で忙しくしていて、のんびりと過ごせる休日は久しぶり。
新一と一緒に過ごせる休日となると、それ以上にご無沙汰していた。
顔を見ないとまではいかなくても、ここ最近はまともな会話もできていない。
だから、今日のこの日を、蘭はとても楽しみにしていた。
自宅から工藤邸までの長くはない道のりを、あれこれ考えながら歩く。
その速度も、自然と速まってしまう位に。
こんなにいい天気なんだから、公園を散歩するのはどうだろう?
工藤邸には素敵な広い庭があるんだし、わざわざ外出しなくたって、庭でお茶するのも良いんじゃない?
それなら出不精の新一だって、すんなり賛成してくれるかもしれない。
うん、それがいい。そうしよう。
新一が在宅していることは、昨日のうちに確認済み。
警視庁からの呼び出しがあれば話は別だが、今のところキャンセルの連絡はなかったから、きっと大丈夫。
これまで何度も、新一との約束は延期や途中で終わってしまうことがあった。
けれども、連絡もなしに反故にされることは一度もなかったから。
(あれ・・・・ホントにいないの?)
いくらなんでも、これだけ立て続けに鳴らしているのに、聞こえないわけがない。
時間は午前9時。
休日の朝にしては少し早いかもしれないが、決して早すぎるわけではない。
ということは、考えられる理由は3つ。
たとえば、突然呼び出されたのが早朝で、連絡するのを遠慮したとか?
でなければ、読書に熱中するあまり呼び出し音が聞こえてない、眠っていて気付いていない、、、のどちらかなのかも?
3つ目の可能性は低いかな、と思い始めた途端。
インターホンから微弱なノイズが零れ、最短の返事が響いた。
「・・・・・蘭、か?」
たったひと言。
新一が、蘭の名を呼んだだけ。
それでも、蘭の心を覆っていた雲が一挙に吹き飛んだ気がする。
納得のいく理由を伴って。
「今すぐ鍵開けて。」
「あ、いや、だから・・・」
「いいから、早く!」
「・・・・・」
そのあとの返事は返ってこなかったが、躊躇うように小さく、カシャンと硬質な音がした。
蘭の予想通り、玄関先には新一の姿はない。
やはり新一は自室にいて、そこから直接ドアを開けたのだ、とこれで確信が持てた。
通常、インターホン用の受話器はリビングにあり、新一もそちらを使うことが一番多い。
しかし、2階の新一の部屋と工藤夫妻の主寝室には、屋内用内線電話が設置されており、かつて新一が、それらの電話機からインターホンへの応対と操作ができる、と言っていた。
だから、わざわざ玄関先まで移動しなくても、鍵を開けることはできるのだ。
―――通常、蘭が工藤邸を訪ねる場合。
たとえば、新一がもし1階にいるのなら、すぐに自らドアを開けに来る。
2階にいる場合でも、ちょっと待ってろとか言って、やっぱり直接ドアを開けに来る。
だが、今日の蘭は、それを許さなかった。
1秒でも待つ時間が惜しかった。
もし蘭のほうから強気で押し通さなければ、このまま追い返されたかもしれない。
そんなことにはしたくない・・・させたくかったから。
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