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Tea Party 10


〜 Break the Rules 〜

さまよえる子羊と狼



地球温暖化だなんだと、騒がれて久しいが。
その有難くない恩恵を受けた所為か、この夏の暑さは尋常ではなかった。
夏が暑いのは当たり前で、所謂「残暑」というやつが本当にしつこく残っていて。
10月に入っても半袖で丁度良い、と思う日が続いていた。
多少の遅れはあっても、それでも地球は回り、季節は巡る。
月半ばを過ぎる頃には朝晩の気温がグッと下がり、長袖の出番もちゃんとやって来た。
気が付けば、夕方5時には日が沈み、半時間後には真っ暗だ。

夜が長いと、1日がやけに短く感じられる。
つい、家路を急いでしまうのは、迫り来る闇を畏れる動物的本能からくるものだろうか。




周到な準備と計画、それに周囲からの強力なサポートを得て。
元の姿を取り戻した新一は、今では大学生探偵となっている。
朝一番の講義に向けて大学に到着した時点では、警部からの呼び出しはなかった。
今日はこのままの勢いで、帰りに駅前の大型書店に行くつもりでいる。
お気に入りの作家の最新作が、そろそろ書店に並ぶ頃だ。
他にも気になる本が、いくつもある。
新一のような読書好きは、一旦書店に入ると、じっくり品定めをしたくなるのがセオリー。
ぐるりと一周するだけでも結構な時間が経ってしまうから、時間に余裕があるときが狙い目。
おまけに午後は突然の休講で、望外の時間を得た。
これはもう、絶好の本屋日和。


このご時世、わざわざ書店に出向かなくとも手軽に本を入手できる。
おまけに電子図書なるものも台頭してきて、ますます書店の存在が危ぶまれつつある。
便利さだけを追求すると、何か大切なものが失われてしまうような気がして。
どこか心配になるのは、新一の中の読書好きの血が騒ぐ所為だろうか。
否―――書架を巡りながら、目的の1冊を探し出すときの高揚感。
装丁、活字の大きさ、行間、紙の手触り。
書籍は実際に手に取り書店で購入する、というのも読書の醍醐味のひとつだと思う。
それがお気に入りの作家なら、尚更。
また、書店員渾身のポップカードから、新たな世界を知る糸口を掴むこともある。
どんなに年を重ねても、この気持ちは変わらないんだろうな、と新一は思う。

ジリジリと流行る気持ちを抑えつつ。
順調に予定をこなし、いざ書店へ、と席を立った途端。
控えめに震え始めたジャケットの内ポケットを、新一はやや雑に探った。
振動のパターンで、画面を見なくても相手は分かる。
予測不可能かつ何があっても最優先事項となる、警部からの呼び出し。
手短に待ち合わせ場所を指定して、新一はふぅ、と空を仰いだ。


*****


大学正門まで迎えに来てくれた覆面パトカーに、新一は完璧な笑顔をまとって乗り込んだ。
後部座席で事件の概要を聞きながらも必要時間を割り出し、蘭にメールを打つ。

『警部から呼び出し有り。夕方には片付くから。新一』

つい先程「書店に寄ってくる」と意気揚々と電話したばかりだというのに。
それが、一種の不可抗力とはいえ、小一時間経つか経たないかのうちに予定変更。
自ら好きで選んだ道だから、自身が置かれた状況に、新一が不服だの不満だのを感じることはない。
ただ、都度変更の報告を受ける側・・・彼の大切な宝物にとっては、そうではあるまい。
けれども蘭は「遊んでるわけじゃないんだから」と笑って新一を送り出してくれる。
その笑顔に、笑顔で応えるためにも、新一はただ真っ直ぐに頑張るしかないのだ。

送迎役を務めることの多い高木刑事には、決して気取られないように小さく。
ふぅ、と吐息した新一の手に伝わるのは、たった一人のためだけに設定された振動。
その軽快なパターンは、新一の心をふんわりと解し、軽くする。

『了解。気を付けて行ってらっしゃい。蘭』

文面は限りなく素っ気ないが、新一の脳裏にはしっかりと蘭の笑顔と声が再生される。
返信の早さに驚きつつ、無意識に硬くなっていたらしい表情が緩む。


・・・新一が元の姿を取り戻したのと引き換えに。
幼馴染で同級生だった蘭は、いなくなってしまった。

つまり。
今では「幼馴染で恋人」の蘭が、工藤邸で一緒に生活している。
かつて、あの無駄に広い工藤邸で、蘭のいない日々をどう過ごしてきたというのだろう。
今の新一には、過去の自分自身が理解しがたい。


共同生活を送る上で、新一と蘭が最初に決めた共通ルールがある。
詳細に語る必要はないし、必要最低限の言葉の羅列でもいいから、とにかく。
何があっても、「ほうれんそう」は欠かさないこと。

ほうれんそう=報告・連絡・相談。

新一と蘭に足りなかったものを、コンパクトにまとめた言葉。
「まるで新入社員の標語ね」と園子に揶揄されても、一向にかまわない。
自身の弱さに目を瞑ってきたから、招いた悪循環。
そんなものを、二度と繰り返すわけにはいかないのだ、新一は。


*****


新一は、自らの予測よりも早く、夕陽が沈むまでの短期決戦で事件をするりと解いてみせた。
事件の臭いを嗅ぎつけてきた報道記者のインタビューに対応する時間も、余裕で捻出できるくらいに。
早速、今夜のニュースで流れることになるだろう。
今ではマスコミへの頻繁な露出は避けているが、すべてを拒否するわけにもいかない。
逆に、上手く利用すれば犯罪抑止に一役買えるかもしれない、との思いから、必要最低限の受け答えはするように心掛けている。

日はすっかり暮れて、官庁街である桜田門界隈も駅を目指す人影が増えてきた。
事件解決のお礼に送っていくよ、という高木刑事の申し出は、丁寧に辞退して新一は駅に向かう。
彼らには犯人逮捕後も業務は山盛りで、事件解決=お役御免の新一とは違うのだ。
それに、この時間ならば電車の本数も多く、車よりも時間を節約できる。
帰宅ラッシュで混み始めた駅の改札を、新一は器用に擦り抜けていく。
程なく到着した米花駅周辺には、気の早いクリスマスのイルミネーションが眩しい。
蘭が好きそうだなと思うだけで、新一の足取りは軽くなる。
そのキラメキの中には、今日の新一の、当初の目的地だったビルも含まれていて。

(・・・ほんの一瞬なら、寄り道できるかも?)

そう気付いてしまうと、もう引き返せない。
警部からの依頼で一旦は封じ込めていた「本の虫」の好奇心が、俄然息を吹き返す。

『今、米花駅。ちょっとだけ本屋に寄ってから帰る。新一』

帰宅予定を告げる蘭への帰るメールに、今夜のニュースに出ることも追伸しておいた。



入り口付近の雑誌コーナーの人並みを抜けたその先に、新一の目指す小説の書架が並ぶ。
最短距離で目当ての新刊だけを手に取り、真っ直ぐレジに並んだ。
ここで気を緩めれば、うっかり閉店時間まで居座ってしまいそうで。
目移り防止策として、新一はなるべく視線を散らさないように努めた。
ちらりと目に入ったレシートの打刻時間は、夕食時のニュースが始まる時間帯を示している。
トップニュースになるほどの大事件ではなかったから、取り上げられるのは後半かもしれない。
蘭は見ていてくれるだろうか?と思って、新一はペースを上げて家路を行く。
おかえりなさいと出迎えてくれる、彼だけの陽だまりを目指して。


*****


新一は、ぎりぎり呼吸が乱れない程度の早さでたどり着いた、自宅玄関を潜った。

「ただいま」

玄関ホールに吸い込まれていく帰宅の報告に、重なるように近づいてくるスリッパの音。
リビングの方から「おかえりなさい」と出迎えられて、新一は物静かな我が家に軽く違和感を覚えた。
一方の蘭は、新一が手にした書店のビニール袋に目を留め、意外そうに目を見開いている。
そのままの表情で、蘭は感じたままの言葉を新一に投げた。
「今日は1冊しか買ってないんだ?」と。

蘭の素直な驚きは、この際、甘んじて受け止めよう。
お気に入りの本を何度も繰り返して読むのも楽しいが、やはり新作だけが持つドキドキ感は、何物にも代え難い。
だから新一は、書店に行くとつい何冊も同時に購入してしまうことが多々ある。
しかし、今の新一が問題にしたいのは、そこではなく。

出迎え後、蘭は「ご飯、温めてくるから」とそのままキッチンに向かってしまった。
その間、新一は大人しくリビングで待つしかない。
ローテーブルには、蘭がたった今まで読んでいたであろう雑誌が開かれたまま置いてあり、テレビは沈黙を守ったままだ。
新一が書店に行ったことを知っているのだから、今まさに放送中であろうニュースに新一が出ることを、蘭が知らないはずはない。
録画しておいて、後で一緒に見るつもりなのかとも思ったが、録画の赤いランプは点灯していない。
それどころか、録画機器が動いている様子もない。
もう終わってしまったのだろうか、と新一がテレビを付けるのと、画面に新一が映ったのと、食事を運んできた蘭がリビングに現れたのが、ほぼ同時だった。
それでも蘭は、テレビ画面には見向きもせず、てきぱきとテーブル上を片付けて食事を配置し始める。
画面の中でメインキャスターが「では、次のニュースです」と告げたところで、ようやく蘭は「おまたせ」と新一に向き直った。
微妙な面持ちでいる新一に、蘭は小首を傾げて言う。

「どうかした?ダイニングの方が良かったのかな?」
「いや、ここでいい。つーか、さ・・・」
「ん?なぁに?」

いつになく言葉尻がはっきりしない新一の、瞳をのぞき込むように蘭は続きを促す。

「ニュース・・・見てなかったんだ?」
「うん、ちょうど雑誌見てたから。もしかして、何か大変な事件だったの?」
「いや別に。ちらっと映るくらいだろうから、たいしたものじゃねーだろうけど」
「・・・けど?」
「なんていうか、こう・・・おめー、オレがメディアに出るの、好きじゃねぇのかな、って」

新一は、配膳の手伝いをしながら、もそもそと言葉をつないだ。
その途端、蘭の手から新一の手に渡されようとしていた箸が、ひょいと下げられて。
新一の手は、空を切る。
中途半端に開いたまま宙に浮かんでいるその手を、蘭はパシっと叩いて言う。

「バカ」
「・・・・・・は?」
「ああいうのも探偵業の一部だってことくらい、ちゃんと分かってるわよ」

わたしだって探偵の娘なんだから、と蘭は胸を張る。
蘭が言うとおり、毛利小五郎のメディア露出は頻繁で、これまでの『探偵』のイメージを一新した。
新一自身も我が身を顧みれば、テレビレポーターに囲まれて調子の良いことを言っていたこともあった。
出来ることなら消し去りたい過去だが、一度世に出てしまったものは取り返せない。
しかし、今の新一が問題にすべき事は、そこでもない。

「じゃあ、もしオレが探偵じゃなきゃ、見たってことかよ?」
「新一ってば、そんなにテレビ見てほしかったの?」
「絶対に見ろと言ったわけじゃねぇし、何て言われても探偵を辞められやしねぇけど」

蘭が何か返すよりも早く、慌てて付け加える新一があまりにも必死で。
蘭は溢れ出す笑いを隠そうともせず、今度こそ新一に箸を手渡した。
蘭自身も箸を手に取り手を合わせると、互いに背筋を正して順に「いただきます」と唱和する。

一緒に食卓を囲むときは必ず、食事は温かいうちに食べること。
これも、日々の生活の中で自然と出来上がった、暗黙のルール。

箸を進めながらも話題は継続しており、蘭は新一に質問した。

「もしかして新一、また女の子にキャーキャー言われたくなったとか?」
「そんなんじゃねーって!ったく、オレって蘭の中でどんなキャラなんだよ」

箸を手にしたまま、思わず頭を抱えてしまう新一を、蘭は更に問い詰める。

「じゃあ、どうして?もっと他に、何かすごい理由があるの?」
「・・・・・・・・ねぇよ。ただ」
「ただ?」
「おめーが格好良いって思ってくれなきゃ、んなもん意味ねーだろ」
「そんなの、いつも思ってるよ。知らなかった?」
「・・・・・・・・今、知った」

新一の中に絶えず降り積もる蘭への想いは、とてもとても強くて。
大切な人へ一気に注いだら、壊してしまうかもしれない。
それが怖くて、でも、いつかは受け入れてほしくて。

それなのに蘭は、何でもないことのように、サラリと凄いことを言う。
そして、同じ調子で「ごちそうさま」と手を合わせ、空になった食器を片付け始める。
気持ちを言葉にするのは、蘭にとっては日常の一部のようだ。
敵わないなぁ、と新一が蘭への想いを更に積み上げるのは、こういうとき。

慌てて新一も蘭に習って、キッチンへ食器を運ぶのを手伝う。
うっすら赤く染まった頬は、あえて隠さない。




ひと通りの後片付けが済み、漸く頬の赤みも消えた頃。
新一が食後のお茶係に立候補すると、蘭からは「紅茶がいいな。フレーバーは新一にお任せ」とリクエストが入る。
さて、どうしようかと戸棚を覗く新一の背中に、蘭はそうっと呟いた。

「あのね、新一」
「んー?」
「わたし、ワガママでごめんなさい」
「・・・は?」

新一は蘭に背を向けたままだったから、絶対に何かを聞き間違えたのだと思った。
「ワガママ」だなんて、蘭からは一番縁遠い言葉だ。
そんなことがあるわけがない。
今度はきちんと向き合って、新一は改めてその真意を尋ねた。

「わたしはね・・・わたししか知らない新一が良いの」
「おめー、また何か溜め込んでるんじゃねーだろうな?!」
「そういうわけじゃないよ。ただ」
「ただ?」

つい先刻のやり取りが、互いのポジションを替えて繰り返される。
蘭も気がついたのか、ふふふ、と柔らかく微笑んで、言葉を繋げた。

「だって、ニュースは誰でも見れるでしょ?他のみんなと一緒じゃイヤだもん」
「そーいう『ワガママ』なら、大歓迎。じゃあ、今夜はコレだな」

工藤邸のキッチンに常備してある、数あるハーブティの中から新一が選び出したのは。
すっきりとした風味で心を落ち着かせてくれる、ミント・ティ。


食後のティータイムは、新一の言葉で綴られる今日の出来事を中心に。
ホットティーから立ち上る湯気は、互いの心も体も温かくしてくれる。

だから今夜は、いつもより、ほんの少し夜更かししよう?
話したいことが、伝えたい想いが、たくさんあるから。


― END ―


11月1日は「紅茶の日」。そう言い続けて、早9年(*゚д゚*)
どれだけ夏が暑くとも、11月にもなれば温かなホットティが美味しい季節は巡ってくる。
リーフティでも、ティーバッグでも、ホッとさせられる気持ちは同じ。
忙しい毎日の中で、ちょっとだけ手を休めて、ティーブレイクはいかが?

2012/Nov./01

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