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Tea Party 17


〜 Ordinary Days 〜






将来の夢は探偵、憧れの人はシャーロック・ホームズ。

冗談でも何でもなく、物心がついた頃から変わらない新一の夢であり、目標だった。
アーサー・コナン・ドイル著、シャーロック・ホームズの書籍は、日本語版だけでも複数の出版社から発行されている。考察本も含めれば、何十冊では足りないほど多種多様にある。
もし仮にすべての書籍を自力で揃えようとしたら、小遣いとお年玉を全部つぎ込んでも到底足りない。
だが、新一の置かれている環境は、最適だった。
手を伸ばせば届くところ、つまり自宅にすべて揃えられていたからだ。
ホームズの生みの親であるアーサー・コナン・ドイルと同じく、新一の父親も推理小説家として世界に名が知られている。
その父親の書斎兼仕事場には、趣味と実益を兼ねて集めた世界中の推理小説、およびその他の多種多様な書籍が壁一面に並ぶ。このように恵まれた環境のおかげで、新一はそれらを片っ端から読み漁ることができた。
ホームズに至っては、様々な版元から出版されたシリーズを読破した上で、英語の原書まで読み通している。当然、ストーリーから犯人に至るまで、すべてが頭の中に入っていて、印象的なシーンや台詞なら淀みなく暗唱できる。

――さて、次はどれを読み返そうかな。

新一は朝から書斎にこもっていた。
天井まで吹き抜けのこの部屋は、書籍の保存に最適な状態になるよう設計されている。太陽光による日焼けや湿気によるカビから本を守るため、窓もない。おまけに防音設備も整っており、外界からは完全に切り離された空間として、物語に入り込むには絶好の場所である。意識して確認しないと、時間の感覚など早いうちになくなってしまう。
事件に呼び出されることがなければ、新一の休日は大抵ここで活字に埋もれて過ごす。というわけで、この週末は朝から部屋の中央にある座り心地の良い椅子に収まっていた。
目の前の広い机の上には読み終えたハードカバーの書籍、シャーロック・ホームズの日本語版が積み重なっていく。新一にとってのバイブルだ。
もう何周目かわからないほど読み込んでいるものだから、ページを目で追うだけで頭に入ってくる。



いったいどれくらいの時間がたったのだろう?
書斎のドアの向こうから、コツコツコツ、と遠慮がちなノック音が三回響いて、新一は顔を上げた。
ぎぃ、と細く押し開けられたドアの隙間から、蘭が上半身を覗かせている。
あ、と思ったがもう遅い。
今朝、蘭から「お昼作りに行こうか?」というありがたい電話をもらっていて、玄関先で迎え入れたのは新一自身だ。蘭をキッチンに通した後、新一はすぐに書斎に引き返した。
物語は後半の差し掛かっており、ホームズが推理で犯人を追い詰める、一番の見せ場を迎えていた。活字を追う目が、ページを捲る手が止まらない。
「できたよ」と蘭が知らせてくれたのは……何分前だっけ?
一緒に食べると思って新一は本に栞を挟もうとしたが、蘭は既に自宅で食事を済ませてきたと言う。瞬時に「自分一人ならいつでもいいや」と気が緩んだ。これが敗因。
蘭のほうから申し出てくれたこととはいえ、食事に不自由しているであろう新一のために、蘭はわざわざ昼食を作りに来てくれた。幼馴染みの頃から変わりなく注いでくれる、彼女の優しさ。それを台無しにしてしまったのは新一だ。
出来立ての温かい食事を食べてほしい、という気持ちに対して新一は「おー」とかなんとか、生返事をした気がする。
さかのぼると、蘭は続けて「今のうちにスーパーに行ってくるから、冷めないうちに食べてね」とも言っていた。
母親との別居で、蘭は小学生の頃から毛利家の家事を一手に預かってきた。学校や部活に加えて家事に割く時間、タイムマネジメントがしっかりできている。
一方、新一は中学二年の頃から一人暮らし状態で、好き勝手に時間を使ってきた。その結果がこれだ。
椅子に陣取ったまま、新一はポリポリと頬をかく。
蘭は不機嫌さを隠すことなく、呆れた調子で声を掛けた。

「新一、またご飯食べてないでしょ? せっかく作ったのに」
「あー悪りぃ、つい夢中になっちまって」

新一は手にしていた分厚いハードカバーの本に、今度こそ栞を挟んだ。立ち上がって首と肩を回す。
その仕草から、新一がずっと同じ姿勢で本を読んでいたことは蘭にもわかった。不機嫌な表情のまま、蘭はまっすぐに新一の元へ。机を挟んで向かい合う。
この書斎には数え切れないほどの書籍があって、図鑑、小説、辞書から漫画までジャンルも幅広い。
なかでも圧倒的に多いのは推理小説で、たった今、新一が栞を挟んだばかりの本もそのうちの一冊だ。ホームズシリーズのどれか、ということしか蘭にはわからないけれど。
新一が時間も空腹も忘れるほどの集中力を持っていることは、ある意味すごいと思う。それと同時に、蘭の心にはむくむくと疑問が沸いてくる。
蘭は思ったままの言葉を、素直に新一へとぶつけてみた。

「新一、何度も同じ本を読んで飽きないの?」
「飽きねぇよ」
「だってそれ、推理小説なんだよ?」
「そうだけど?」

小首を傾げて問いかけた蘭に、新一も同じように小首を傾げて問い返した。彼のシャープな輪郭の顔には「何度も読むのは当たり前」と書いてある。
どうやら新一の「当たり前」と蘭が定義した「当たり前」は違うらしい。
怪訝な顔で蘭は続けた。

「犯人もトリックも、全部わかってるのに?」
「そりゃあもちろん。でもな、重要なのはそこじゃない」
「え? 推理小説の一番の醍醐味って、そこでしょ?」

蘭は目を丸くして聞き返した。推理小説に対する当たり前の定義が、ここまで完全に違っていたとは。
もしかすると、推理小説を読む上で、探偵ならではの楽しみ方があるのだろうか。
新一ほど偏ったジャンルではないが、蘭も読書は好きだ。クラスで話題になっている恋愛小説、エッセイ、ドラマや映画の原作本、果ては料理のレシピ本まで幅広い本を手に取る。
刑事を辞めて探偵に転身した父親、小五郎の蔵書から推理小説を借りて読むこともある。小五郎が好むのは探偵左文字シリーズなどの、日本を舞台に活躍する日本の探偵、日本の推理小説家の作品がほとんどだ。
蘭が思う推理小説の楽しさとは――犯人が誰なのか、どんなトリックを使ったのか、あるいは深まる謎が解かれたときの爽快感や予想外の顛末を迎えたときの驚き――等々。
散りばめられた手がかりや登場人物の関係、交錯する思い、アリバイや証拠……それらを頭の片隅に書き留めながらページをめくるときの高揚感は、新一のような推理マニアではない蘭にとっても格別だと思う。
だから、最終的に自分の推理が当たっていても、ハズレていても楽しめるのだ。
推理が当たれば単純に嬉しい。逆にハズレていたときは、意外な人物が犯人だったときの驚き、こんなに良い人がどうしてと残念に思う気持ち、被害者との関係性に思いを馳せることもある。
良くも悪くも、素直にそれらのドキドキした気持ちを味わえるのは、最初に読んだときの一度だけ。
犯人もトリックもすべて知ってしまったあとに読み返しても、それらの醍醐味は感じられないのではないだろうか。


蘭は自分なりに言葉を尽くして、できるだけ丁寧に説明した。
けれども新一は静かに首を横に振り、否定の意思を示す。納得がいかない様子の蘭に向けて、新一は瞳を輝かせて饒舌に語り出した。

「他の誰もが気にも止めないような、本当に些細な非日常を、ホームズだけは丁寧に拾い上げて真実を導き出す。当時は今みたいな科学捜査なんてなかったのに、彼は己の目と知識と経験だけで立ち向かうんだ。その一連の過程を追いかけるだけでワクワクするし、同時にやっぱり彼はすごいって思うよ」

一息に言い切った新一は、栞を挟んだばかりのハードカバーの表紙をそっと撫でた。
新一が本気で憧れている世界的名探偵、シャーロック・ホームズ。
有名なその探偵と相棒が活躍する物語を、蘭自身は一冊も読んだことがない。自分でページを開くよりも先に、新一から詳細なホームズ情報をあれこれ聞かされているため、醍醐味が薄れた結果、改めて活字を追う気になれないのだ。
幼い頃から「探偵になる」と言い続けた新一は、今や宣言通りに探偵として名が知られるようになってきた。
新聞や雑誌に登場して、ファンレターが届くこともある。
高校生でありながら、目暮警部をはじめとする警察関係者からも一目置かれる存在、それが蘭の幼馴染み兼好きな人だ。
着実に夢に向かって進んでいく新一のことを、蘭は尊敬しているし、誇らしいとも思う。
だけど、それとこれとは別の話。蘭は腰に手を当て、仁王立ちで新一に向き合った。

「新一がホームズ好きなのはいいけど、一日三食、食事はちゃんと食べなきゃ体壊すよ? 栄養失調で推理どころじゃなくなったら、それこそ本末転倒じゃない?」
「少しくらい空腹のほうが、頭の回転が良くなって推理が捗るんだよ。ホームズが、」
「僕は頭脳だ、ってやつ? 前にも言ってたけど、それって『マザリンの宝石』だよね?」
「そう、そのとおり!」

蘭が新一の言葉を遮ってホームズの話を持ち出すと、新一はすごく嬉しそうな顔をした。
好きなものを共有できる喜びは、蘭にもわかる。でも。
ホームズは蘭にとってライバル的な存在。新一を夢中にさせられるのがうらやましい、なんて思ったりする相手でもある。
瞳を輝かせてホームズの話をする新一はカッコいいし、素敵だと思うけれど。そんなことを素直に伝えたら、調子に乗ってますます読書に耽ってしまうかもしれない。さすがにそれは困る、と思って言えないまま今に至る。
そのかわりに蘭が口にするのは、新一には小言にしか聞こえないであろう苦言ばかり。蘭は低い声で注意喚起を促した。

「ホームズと違って新一は生身の人間なんだから、無理は禁物。ストレッチでも何でもいいんだけど、とにかく、一冊読み終えたら休憩を取ること。わかった?」
「おう」
「じゃあね。あとでちゃんとご飯食べるのよ?」
「……へ? じゃあねって、蘭、もう帰るのか?」
「そうよ。だって新一は本に夢中だし、わたしは食事の用意が終われば特にやることもないし。家に帰ろうかと」
「えっと、あ、そうだ! この前、母さんが荷物を大量に持ち帰って来たんだけどさ」
「有希子おばさまからの荷物? もしかして、片付けるのを手伝って欲しいの?」
「違うっつーの。その荷物の中に、向こうで人気の紅茶が入ってたんだ。せっかくだから飲んでいかねーか?」
「そうねぇ、新一が淹れてくれるんだったらいいけど?」
「任せとけ」

自信たっぷりにサムズアップして、新一は率先してリビングに向かった。
蘭が後をついて行くと、応接セットの一角に両腕でどうにか抱えられる程度の大きさの段ボール箱がひとつ。開封済みで、表面には航空会社の預かり票が付いたままだ。
先日一時帰国した両親と共にはるばる海を渡ってきたその箱を、新一はしっかりと抱えてキッチンに向かう。両手がふさがっているために足でドアを開けようとした新一に代わって、蘭がキッチンのドアを押し開けた。
空振りに終わった足を地に着け、新一はサンキューと礼を言って中に入る。
箱を一旦ダイニングテーブルに置き、何やら取り出している新一の背中合わせで、蘭は冷めた食事を温め直す。
昨夜の残りものに手を加えた程度の、大して凝った料理ではないけれど。温かいものは温かいうちに食べるのが一番。最近冷え込むようになってきたから、体が温まるメニューを中心に考えた献立だった。それなのに、買い物から戻ってきた蘭を待っていたのは、空っぽになった食器ではなくて。
出掛ける前に蘭が声を掛けたとき、確かに新一は返事をした。でもそれは条件反射というか、意識は本の中から抜け出していなかった、ということだ。
閉め切った書斎には食事の匂いが届かないから、嗅覚から空腹を呼び起こすこともできない。
でも今はキッチンで、新一と蘭は隣り合っている。
鍋から漂う出汁の香りに、新一がその場でたっぷりと息を吸い込んでいる。その姿を横目にして、蘭は一安心した。活字の世界から現実世界へと、新一を連れ戻すことができたから。


工藤邸のキッチンに、ふんわりとした空気が漂い始める。
新一と蘭、それぞれに立ち昇らせている湯気と相手に寄せる気持ち。どちらもほかほかと温かい。
蘭がこっそりと新一の様子を垣間見ていたのと同じく、新一は自らの肩越しに大切な人を盗み見ていた。
すっかり和らいだ蘭の表情に安心しつつ、頭の片隅では「我ながら随分と甘やかされてるな」と思う。
活字の世界に没入して蘭のことを放っておいたのは新一なのに、いざ蘭に放置されそうになると慌てて追いかける。
一方、蘭は用事が済めばさっさと帰宅しようとする。
どちらが理に適っているかなんて、新一のような探偵じゃなくてもわかる。
新一の場合、休日は一人でだらだらと本を読むだけでいい。だがしかし、父親と同居している蘭は、たとえ休日でも自分のためだけに時間を使うことはできない。事件さえ起こらなければ悠々自適な新一とは違うのだ。
そんな蘭を引き留めるための理由を用意することができて、新一は遠く離れて住む両親からの贈り物に感謝した。
海外から直接持ち込まれた段ボール箱には、紅茶のほかに、蘭が好きそうな菓子類もたくさん入っていた。きっと、いいお茶請けになるだろう。
新一は薬缶を火にかけて早速お湯を沸かし始めた。
お湯が沸く前に、蘭の手が空く隙間を狙って新一は手招きする。そのまま彼女の大粒の瞳を箱の中に誘導した。

「どれにする?」
「わ、すごい! これ、全部お土産なの?」

新一が蘭のほうへ箱を差し向けると、蘭は長い睫毛を羽ばたかせて驚いた。
ティータイムにぴったりな焼き菓子と、手のひらサイズの小箱がびっしりと入っている。箱の中身はティーバッグで、これらはいわゆるテイスティング用なのだろう。それにしても、買い物好きな有希子が手当たり次第に買い込んだのではないかと思うほど、多種多様な種類の茶葉が入っている。

「蘭も一緒にお茶することを前提で、とにかく詰め込んでくるんだよな。母さん、財布の紐が緩いところあるし」
「財布の紐が緩いんじゃなくて、新一のことを心配してるんだよ。コーヒーばかり飲んで胃を悪くしないように、って」
「カフェインの含有量だけを比較すれば、コーヒーよりも紅茶のほうが多いのにな」
「え、そうなの?」
「ああ。そのかわり単位をカップ一杯分にすると、コーヒーのほうが圧倒的にカフェインは多くなる。だから、たくさん飲みたいときは紅茶のほうが向いてるってわけ」

なるほど、と蘭は感心して真ん丸にした目を新一に向けた。新一が博識なのは昔から、それこそ出会った頃から変わりない。探偵として必要な知識から日常の雑学まで、本当に幅広い情報を持っている。
一般に「読書は人生を豊かにする」「今まで読んできた書籍の数だけ視野が開ける」などと言うけれど、ずっとそばで新一を見てきた蘭には頷ける話だ。
新一は暇さえあれば書斎に籠もって、手当たり次第に本を読み漁っている。それだけではなく、読み取った情報を整理し、記憶に留めておけるのが、新一のすごいところ。知識に対する旺盛な好奇心と、優秀な頭脳が同時に備わっていなければ成し得ないだろう。
箱の中身と新一の蘊蓄に気を取られている間に、薬缶から立ち上る湯気が少しずつ勢いを増し始めている。
紅茶を淹れるときに一番大事なのは、沸騰直後の熱湯を注ぐこと。どの紅茶を飲むか早く決めなくては。
蘭はいくつかの箱を手に取って見比べてみた。
有希子が現地で購入したものだから、当然、日本語のラベルは付いていない。商品名がそのまま茶葉のフレーバーを示しているとは限らないので、パッケージの裏面にある説明書きの小さな文字を読み解く。
これだと思う茶葉を手に取った蘭は、念のため、新一にパッケージを見せて確認することにした。

「ねぇ、これってダージリンだよね?」
「えーっと、ダージリンのセカンドフラッシュ、つまり夏摘みの茶葉ってこと。普通に飲みやすいと思う」

ダージリンはキームン、ウバと並んで「世界三大紅茶」の一つとして名高く、有名な茶葉である。日本のカフェや喫茶店でもメニューに載せている店は多い。
紅茶の中でもダージリンは特に収穫量が少なく、全体の約一パーセント程度だと言われている。また、他の茶葉にはない特徴がある。それは、一年のうちに旬を三回迎えることと、それぞれの収穫時期によって茶葉の風味が大きく異なることだ。
青く爽やかな春摘みの茶葉はファーストフラッシュ、芳醇な香りの夏摘みはセカンドフラッシュ、甘みとコクが強い秋摘みはオータムナル。紅茶専門店では季節ごとに味わえる。
もっとも特徴的なのはファーストフラッシュで、その水色は緑茶を淹れたのかと勘違いしてしまうほど淡く、茶葉自体も緑がかった色をしている。水色はセカンドフラッシュ、オータムナルの順に見慣れた紅茶の色に近づいていく。
新一から披露されたダージリンの蘊蓄を踏まえて、蘭は最後にもうひとつ確認することにした。

「飲みやすいってことは、ストレートで飲める?」
「ファーストフラッシュ、セカンドフラッシュはストレート向きだな」
「じゃあこれにする。食事にも合いそうだし」
「食事って、別にオレのことは気にしなくていいんだよ。オレが蘭のために淹れるんだし」
「いいの。だって新一と一緒に飲むほうが美味しいから」
「……そっか。うん」

はぁ、と溜め息に似た苦笑を新一はこぼした。
困ったというより、参ったという感情のほうが強い。いや、お手上げのほうが近いのかも。

「どうしたの?」
「そういうこと、しれっと言うんだもんなぁ、蘭は」
「え、何? わたし、何か変なこと言った?」
「いや、その逆」
「逆って?」
「ああ、ほら、もうお湯が沸きそうだ。その前に蘭は適当に好きなお茶請けを開けといて。オレも食後に摘むからさ。な?」

蘭は頭上に「?」を浮かべたまま、素直に従った。
新一は蘭に背を向けて薬缶の蓋を取った。
底のほうから泡がポコポコと浮き始めている。沸騰はもうすぐだ。手早くポットとカップを温めて、新一は慣れた手つきで紅茶の下準備を進めていく。
ティーバッグは直接カップに紅茶を淹れられる、その手軽さが利点のひとつ。だが、たとえティーバッグといえども、ひと手間掛けてポットで淹れるほうが味に深みが増す。
そのため新一は時間が許す限り、ポットで淹れるようにしている。
他の誰かのためでも、もちろん自分のためでもない。蘭のために淹れるとき限定で。

蘭は温め直した昼食を再び皿に盛り付けていく。
配膳が済んでから再び箱の中をのぞき込み、何を食べようか、鼻歌交じりにパッケージを見比べている。
小さな花が頭上にふわふわと舞っているような、朗らかな空気に包まれて、新一はいつも以上に丁寧に紅茶を淹れた。

――一緒に飲むほうが美味しいから。

その言葉に、蘭の想いが集約されている気がした。



ダイニングテーブルに新一の遅めの昼食と、蘭の紅茶とお茶請けの用意が整った。
向かい合わせに座って「いただきます」と唱和し、新一は箸を、蘭は専用のマグカップをそれぞれ手に取る。
はぁ美味しい、と蘭は淹れたての紅茶を少しずつ口に含んだ。新一が言ったとおり、確かにとても飲みやすい。
一方、新一は茶碗も皿も、どんどん空にしていく。読書に負けて遠くに追いやられていた食欲が戻ってきたらしい。
空腹のほうが頭の回転が良くなる、とかなんとか口走っていたのは、ほんの数分前のことなのに。

「新一、やっぱりお腹空いてたんじゃない」
「バーロー。こんな美味しい食事を目の前にして、腹の虫が黙ってるわけねーだろ」

蘭の小言めいた呟きに、新一はバツが悪そうな表情を一瞬浮かべたが、腹の虫のせいにしてせわしなく箸を動かす。
美味しそうに食べてくれるのは、作り手としては嬉しい。ただ、その落差に蘭は目を丸くするばかりだ。お代わりもあるから慌てないで、と再び口を挟んでしまう。
新一はお代わりを辞退して昼食を終えた。このまま蘭とティータイムを満喫つもりでいたから、胃袋に少し余裕を残しておきたい。
感謝を込めて、一旦ごちそうさまと手を合わせた。



「次の紅茶はどうする?」

新一が再び蘭にリクエストを募ると、蘭は「次は新一の番だよ」と言う。そこで選んだのは、ミルクにも合うアッサムの箱。
今度はわたしがと腰を浮かせた蘭を制して、新一は手早く紅茶を淹れる。実際にキッチンを使いこなしているのは蘭のほうで、新一がキッチンに立つのは朝食のコーヒー&トーストを用意するときか、飲み物を淹れるときくらい。
ひとつでも蘭の役に立てることがあって良かった、と新一はしみじみ思う。
蘭はというと、少し濃い目に淹れてもらったアッサムティーに、たっぷりのミルクを注いだ。小皿に取り分けたクッキーを頬張り、ミルクティーと交互に口にするとクッキーが口の中でほろほろと崩れて、また違った食感が楽しめる。
箱の中には、クッキーの他にもパウンドケーキやフィナンシェ、ショートブレッドなど、日持ちする菓子がたくさん入っている。あ、と蘭は目を見張った。

「これ、二人でも食べきれないし、子供たちにもお裾分けしない?」
「そうだな。いくつか博士に託してみるよ。アイツらならきっと、喜んで食べてくれるだろうぜ」

新一と蘭の間で子供たちといえば、決まっている。妙に大人びた二人の仲間がいなくなってからも少年探偵団の活動を細々と続けている、元気な三人組のことだ。
以前よりも頻度は減ったものの、彼らは今でも博士の家にちょくちょく遊びに来ていると聞く。まとめて渡すと一気に食べ尽されるかもしれないから、少しずつ渡すようにしよう。
ということで、二人の意見はまとまった。
残るは紅茶だが、小学一年生の子供たちは年相応に紅茶よりもジュースを好む。菓子のようには減らないだろう。

「……あ、そうだ。この紅茶、全部蘭が持って帰れば?」
「全部?」
「そう、全部。オメーの家のほうが来客も多いし、依頼人が来たときにも使えるんじゃないかと思ってさ」

コーヒー党の新一よりも、蘭のほうが紅茶を飲む確率は高い。自宅の下に構える事務所には来客もある。したがって蘭に引き取ってもらうほうが良い、と新一が考えるのは自然の流れだ。もちろん蘭にだってわかる。わかるけれど、でも。

「さすがに全部は多いから、半分でもいい?」
「半分か。だとすると、残りの半分はどうしよっかなぁ」

うーん、と顎に手を当てて考え始めた新一に、蘭はそっと提案する。

「ねぇ、もし邪魔じゃなかったら、このまま新一の家に置いといてもいい?」
「ああ。使ってない棚もあるし、邪魔にはならないだろ」
「良かった。それからもうひとつ」
「もうひとつ? ああ、焼き菓子のこと?」
「違うわよ!」

思った以上に否定の言葉が強く出て、蘭は頬を染めた。
急に声を荒らげた蘭に驚いたのか、新一は瞬きを繰り返している。残念ながら新一の推理は大外れだ。
蘭は探るように言葉を続けた。

「あのね……ここに置いておけば、また新一と一緒にお茶できるでしょう? ダメ、かなぁ?」
「ダメなわけねーだろ。むしろ大歓迎」

善は急げ。新一は早速、空いている棚に紅茶の小箱を並べていった。
この棚が再び空になる頃には、二人の距離も無くなっていればいい。新一の家を訪ねるときも、一緒にお茶をするためにも理由を付けたがる蘭が、いつでも遠慮なくこの家のドアをくぐれるように。


それから数年後。
例の戸棚には新しい茶葉が並び、工藤邸のダイニングでは毎度お馴染みの光景――向かい合って「いただきます」と唱和する新一と蘭、二人の笑顔が見られるようになるのだった。




― END ―


今年は大遅刻の末、新蘭Webオンリーでの先行公開となりました。
そちらで見てくださった方がほとんどだろうと思いつつ、やはりサイトにも爪痕を残したくて。
のんびり過ぎるのも程があるけれど、ティーブレイクのお供にどうぞ。

2020/Dec./27

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