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Tea Party 18


〜 Before the Party 〜






うだるような暑さが一段落したかと思うと、街中ではオレンジや黒、紫といったビビッドな色使いが目に付き始める。
洋菓子店、ベーカリー、喫茶店、カフェはともかく、和菓子屋やレストランまで、あらゆる店でカボチャや魔女、おばけ、黒猫のディスプレイが飾られるようになり、ああそうか、と新一は思った。
もうハロウィンなのか、と。
今年はおやつを用意する側なんだよな、とも思う。


米花町では商店街全体でハロウィンイベントを企画しており、当日は仮装した子供たちが商店街を歩き回る。

……その子供たちの中に、去年はオレもいたんだよな。

新一はたった1年前の出来事を、何年も前の話のような遠い出来事のように感じていた。
なにしろ17、8年生きてきた中でもあり得ないほど、中身の詰まった、濃い1年だったので。
去年の今頃は少年探偵団の一員として、仮装をした。
図画工作の授業で作った段ボール製のカボチャの入れ物を片手に、商店街で配布される地図上のカボチャの印を探して回るのだ。
宝探しの要領で店を回り、お菓子をもらう。
一昔前にはなかった習慣だが、今では子供たちにとって欠かせない季節の行事となっている。
店を回る際の合い言葉は、もちろん「とりっく・おあ・とりーと」だ。
メンバーは5人。その中の2人は純粋な子供ではなかったけれど。
合い言葉は3人の子供たちに任せて、残りの2人はその3人の後をついて回る役だ。
うっかり美しい発音になるのを防ぐためでもあったが。


ハロウィンイベントは今年も開催される。
蘭の自宅の真下にある喫茶ポアロも参加していて、店の入り口にカボチャの置物が設置されている。
子供たちはこの置物と地図を照らし合わせて、店を回るのだ。
ポアロは毛利家の第二の食卓。
毛利家の食卓を蘭が一手に担うようになってからは、蘭の不在=食事をポアロで済ませる、のが父親である小五郎の定番になっていた。
ポアロがあるから、蘭も食事の用意を気にすることなく外出できる。
そんなポアロでは、残暑の終わりが見え始めた頃から、マスターと看板娘が頭を悩ませていた。
通常の営業は二人でも回せているが、ハロウィンイベントには大量のお菓子づくりが追加される。2人きりではとても手が足りない。
去年のハロウィンには、凄腕の看板息子が大活躍してくれた。
仮装はマスターと看板娘の梓のみだったが、彼のお手製焼き菓子は子供たちにとても好評で、今年も楽しみにしてくれているはず。
しかし、今年はその頼りになる看板息子はいない。
彼が抜けた穴は埋まることなく、だからといって、ハロウィンの時期限定で臨時のアルバイトを雇うのも難しい。
困ったねぇ、どうしましょうか。
カウンターの中でそんな会話をする2人に、蘭はいつもお世話になっている恩返しも兼ねて、自ら菓子づくりの手伝いを申し出た。

「わたし、お菓子作りをするのにとっておきの場所を知ってるんです」
「とっておきの場所って?」
「良かったら、梓さんも一緒にどうですか?」

それが10月半ばのこと。
梓から「是非お願い」と改まって依頼されて、蘭はすんなりとポアロに協力することが決まった。
梓曰く、ハロウィンに配るなら、日持ちして量産しやすい焼き菓子が定番。
ちなみにポアロが去年のハロウィンに用意したのは、カボチャと猫の型抜きクッキー。少し小さめの型で作って、2枚一組にした。
今年はその二つの型に加えて、オバケとコウモリの型を増やす予定だと梓は言う。クッキーにはアイシングで目や口を書き、今年はひと口サイズのミニフィナンシェと組み合わせる。
店内飲食用のハロウィンデザートは、カボチャのカップケーキ。
食べるときのアクセントとして生地の中にカボチャの種を混ぜ込み、トッピングのカボチャクリームはオーダーが入ってから絞る。
日持ちしないクリームだけは当日の朝にポアロで作る必要があるけれど、手間と時間がかかるカップケーキを事前に準備できれば御の字だ。
菓子作りを手伝ってくれる蘭の意見も参考にしながら、梓は製菓の材料とラッピング資材を発注。
それらを蘭が言うところの「とっておきの場所」へ届くように手配して、ハロウィンの準備に備えた。



――約2週間後の10月末、夕日が空を染める頃。
早番のシフトを終えた梓は、仕事上がりに蘭と会う約束をしていた。
その待ち合わせ場所は梓の職場である喫茶ポアロではなく、その真上にある蘭の自宅でもなく、別の家――米花町2丁目2ー21、つまり工藤邸。
ここが蘭に指定された「とっておきの場所」だった。
蘭のことはもちろん、梓はこの家の住人の新一のことも良く知っている。
2人ともポアロの常連客で、友人としても、年齢の壁を越えて仲良くしてきたと思う。でも。
普段から親しく接しているからこそ忘れがちだが、新一の父親は世界的推理作家の工藤優作で、母親はかつて一世を風靡した大女優の藤峰有希子。
目の前にそびえ立つ瀟洒な洋館を見て、認識を改めてしまった。
お店やレストランならともかく、これが自宅なのかと思うと、ごく一般的な家庭で育った梓はちょっと震える。

……今からここにお邪魔することになっているのだけれど、本当にいいのかしら?

幼い頃から工藤邸に通い続け、今や新一の恋人になった蘭はともかく、梓はただのウェイトレス。こんな豪邸には縁がない。
豪邸といえば、蘭の大親友で同じくポアロの常連客、園子は蘭以上に気さくな性格だが、世界的大財閥のお嬢様だ。
工藤邸以上に立派な、目も眩むような大豪邸に暮らしているのだろう。
ポアロでは新一も園子もごく普通の高校生にしか見えないから、こうして現実を突きつけられると、梓の口からは感嘆の溜め息しか出てこない。
立派な外観に見とれているうちに蘭と約束した時間が迫る。
梓は緊張で震える指を伸ばして、インターフォンのボタンを押した。
ほどなく聞こえてきたのは、聞き慣れた明るい声。

『はい、工藤です』
「えっと、蘭ちゃん? こんばんは、榎本です」
『こんばんは、梓さん。すぐ開けますから、中に入ってください』
「ありがとう、おじゃまします」

第一声が蘭だったので、梓は少しホッとした。
新一とも仲良くしているつもりではあるけれど、蘭ほど親しいわけではない。
それに、新一に対する認識を改めたばかりの梓の中には、妙な緊張感が生まれていた。
しかし、蘭はその軽やかな声ひとつで、広がりかけたモヤモヤをきれいに一掃してしまった。
風の噂で聞いたところによると、蘭のことを「エンジェル」と呼ぶ人がいたとか、いないとか。
「エンジェル」の呼称が単なる噂だとしても、そう呼びたくなる気持ちは梓にもわかる。
年齢、性別を問わず、蘭は誰に対しても優しい。思いやりがあって、人の心に寄り添える、素敵な女の子だから。
梓は蘭に言われたとおりに門扉を押し開け、敷地の中に入った。
そのまま玄関まで進むと自動的に照明が点灯し、ガチャ、とドアの内側から音がする。
分厚いオーク材のドアを押し開けて、蘭がひょっこりと顔を出した。

「いらっしゃいませ、梓さん。どうぞ」
「こんばんは。今日は宜しくお願いします」
「こちらこそ。梓さんと一緒にお菓子作りできるなんて、わたしも嬉しいです。スリッパはこれを使ってくださいね」
「ありがとう。あの、もしかして新一くんはお留守なの? 私、ご挨拶せずにお邪魔してもいいのかな?」
「新一ですか、いますよ。でも今、書斎にこもってて」
「なるほど。それで蘭ちゃんが応対してくれたのね?」

挨拶くらいして欲しかったんですけど、と蘭は苦笑しながら梓を招き入れた。
梓は礼を言って靴を脱ぎ、用意されたスリッパに足を通す。

「今日は左文字シリーズ最新刊の発売日だから、アイツ、読み終わるまで絶対出てきませんよ」
「じゃあ、新一くんへの挨拶は後回しにさせてもらっていいかしら?」
「はい。わたし、この家のことは新一のお母さん、有希子おばさまからも言付かってますから」
「良かったぁ。私、こんな大邸宅にお邪魔するの初めてで、門扉のところで一瞬立ちすくんじゃった。蘭ちゃんはもうすっかり慣れてるって感じよね」
「わたし、子供の頃は新一の家で過ごすことが多かったんです。ほら、うちの両親って共働きでしょ? だから、しょっちゅうお世話になってました。そのうち、わたしの部屋まで出来たりして」
「あらあら、それなら準備万端ねぇ」
「準備万端って? あ、今日のことですか?」

蘭は一旦足を止め、梓を振り返った。
今日、梓を新一の家に招待したのは蘭で、そのための材料などは既に運び込まれている。
製菓に使う道具は元から揃っているから、梓が言うところの準備が何を意味するのか、蘭にはわからない。
だから、素直に梓に聞いてみたのだけれど。
梓の興味は、もう次に移っているらしく、視線をあちこちに散らしている。
その様子に蘭は覚えがある。まだ保育園に通っていた頃、蘭が初めて新一の家に来たときのこと。
今の梓と同じく、屋敷の広さに驚いたことを思い出す。

一方、蘭の背中をついて歩く梓は――とにかく驚きの連続だった。
まずは、玄関ホール。ここだけで梓の部屋が収まってしまいそうに広い。
ドアを隔てた奥に続く廊下には、左右にドアがある。
つまり、左右にそれぞれ部屋があるということだ。
たぶん、玄関ホールを挟んだ反対側にも同じように部屋があるのだろう。
お掃除大変そうだなぁ、なんて庶民的な感想を抱きながら、梓は蘭が開けたドアの中へ入った。
そこには、

「……え、ポアロのキッチンよりも全然広い!」

何これすごい、と素っ頓狂な声を上げてしまい、梓は思わず口を押さえた。
これが一般家庭のキッチンだなんて、流石というか、何というか。
荷物置きに、と蘭が勧めてくれた椅子はダイニングセットのもので、全部で8脚もある。
椅子の数だけテーブルも広くて、たとえるならば梓のベッドくらいのサイズになるだろうか。
その奥には洗い場が付いた作業台、さらに奥の壁際には充実したシステムキッチン。
ガスコンロの下にはビルイトイン式のオーブンがあり、作業台の上には別途オーブンレンジもある。
天板をフルに装着すれば、ホールケーキだって同時に2台、いや3台焼けるかも。
キッチンで視線を一周させてから、梓はふと我に返った。
初めてお邪魔するお宅のキッチンを、じろじろと見回したりして、大人としてどうなの?

「ごめんなさい、私ったら……でも、びっくりしちゃって」
「ふふ、わかります。梓さんも知ってるとおり、うちの台所ってすごく狭いでしょ? だから、こんなに広かったら毎日のお料理も作り甲斐があるんだろうなぁ、って」

激しく同意しながら、梓は深く頷いた。
梓は蘭の家に何度もデリバリーに行っているし、遊びに行ったこともある。だからその造りと広さはよく知っている。
こんなに立派なキッチンを設えたのは、きっと新一の母親なのだろう。いつだったか、彼女がかなりの料理上手だという話を蘭から聞いたことがある。
ということは、現在の家主である新一も料理上手なのでは?
「も」と付けたのは、過去にプロ級の料理の腕前を持つ探偵が同僚だったから。
ただ、その真逆の探偵――蘭の父親も知っているので、断言はできない。
果たして新一はどっちなのだろうか。
梓の好奇心が口を突いて出るよりも先に、答えは示された。

「こんなに立派なキッチンがあるのに、新一はトーストとコーヒーくらいしか用意しないから、宝の持ち腐れなんです。だから、ときどき使わせてもらってるの」
「なるほどねぇ。確かに、この広さがあれば、たくさんお菓子を作っても余裕ね」
「でしょう? さっそく始めます? それとも一息入れてからにします? 梓さん、ポアロから直接ここに来たんですよね?」
「私は大丈夫よ。早速始めちゃいましょう」
「わかりました!」

それぞれにエプロンを身につけた2人は、工藤邸のキッチンで仲良く作業を始めた。
来るべきハロウィンに向けて、子供たちの笑顔を見るために。



ふわり。
甘い香りがキッチン全体に、そしてドアの隙間から廊下へ、果ては玄関先まで広がっている。

「できたぁ!」
「いっぱいできましたね!」

広いと思ったダイニングテーブルの上は、焼き上がったクッキーで埋め尽くされている。
作業台の上にはカップケーキが並び、さながら製菓店のようだ。

「まだラッピングが残ってるけど、ここまでくればゴールは見えたも同然だわ。ありがとう蘭ちゃん、手伝ってくれて」
「こちらこそありがとうございました。梓さんと一緒にお菓子作りができて、すごく楽しかったです。お姉ちゃんがいたらこんな感じなのかも、って」
「蘭ちゃんみたいなかわいい妹がいたら、私、毎日お菓子作っちゃうなぁ」
「毎日はダメです。太っちゃう!」
「それもそうか」
「そうですよ!」

あはは。ひとしきり笑い合った頃、キッチンのドアが開いた。
一瞬ぎょっとする梓と、平然と振り返る蘭。
工藤邸に来てから、梓は蘭にしか会っていないけれど。思い返してみると、玄関先で交わした会話のなかで新一が在宅していることを聞いていた。
菓子づくりに没頭していたから、今の今まで忘れていたのだ。

「うわ、甘っ」
「ちょっと新一、第一声がそれ?」
「あ、わりい。書斎にこもってると、外のことが全然わかんねーんだよ。あそこ、機密性が高いから……それにしても、すごいな!」

一面のクッキー、一面のカップケーキ。
一度に大量に作るためには、オーブンの能力もいるが、焼き上がってから広げて冷ますスペースもいる。
ポアロで同じことをしようと思うと、客席のテーブルまで使わなければならないだろう。
翌日の営業や仕込みもあるので、カウンターの中に広げたままにはできないのだ。
新一にも、新一に話を通してくれた蘭にも、頭が上がらない。
梓は感謝を込めて深々とお辞儀をする。
続いて、ずいぶんと出遅れたが家主への挨拶をした。

「新一くん、お邪魔してます。今日はキッチンを貸してくれてありがとう。とっても助かりました」
「いいえ、こちらこそ助かります。たまには使ってやらないと、逆に調子が悪くなるらしいので」
「新一が使ってもいいのよ?」
「新一くんは使ってみようと思わないの? 一人暮らしなんでしょう?」
「……あー、オレはほら、食べるほうが得意だから」
「なるほど」
「ね、言ったとおりでしょ?」

うふふ、と目を合わせる蘭と梓を見て、新一は己の劣性を悟った。
ここは一旦引き下がるほうが得策か、あるいは……?

「ひと仕事の後のお茶、いかがです? オレ、用意しますよ」
「え、新一くんが?」
「ご心配なく。オレ、お茶はそれなりに淹れられるので。蘭、梓さんをリビングに案内してくれ」
「うん、わかった。梓さん、こっちです」
「あの、そうじゃなくて、私、何かお手伝いを、」
「いいから、いいから」

蘭に背中を押されて、梓はキッチンを後にした。
そのまま廊下を抜け、玄関ホールを通り、向かい側のドアへ。
そこはまた、見たこともないような広さのリビングルームが広がっていて、梓は再び「何これすごい!」と呟いた。


結果として、新一が淹れてくれた紅茶はとても美味しかった。
新一が選んだ茶葉は、秋摘みのアッサムティー、オータムナル。
濃い水色と強い渋みが特徴で、しかしその渋みもミルクを注ぐとまろやかになる。
ポアロはコーヒー専門店なので、メニューとして紅茶の取り扱いはあるが、コーヒーほどのこだわりはない。
黄色と赤が目印の、業務用の大きな缶入りの茶葉を使っている。
あの充実したキッチンには、茶葉もたくさん揃っているのだろうな、と簡単に想像がつく。
茶葉だけではなく、食器もすごいコレクションがありそうだ。
案の定というか、新一が用意してくれたティーセットは、梓の想像に違わず豪華だった。
金の縁取りがついたカップ&ソーサー、揃いのティーポット、ミルクピッチャー、シュガーポット。
最初はストレートで、2杯目はミルクを入れたその上から紅茶を注ぐ。
ミルクを先に入れることを、ミルクインファーストと言うらしい。
後から入れるよりも、ミルクの匂いが押さえられるのだとか。
また、紅茶の本場、イギリスではミルクは冷たいまま提供される、というミニ知識もあわせて新一は披露してくれた。
日本ではミルクをわざわざ温める店が多いのだが、それも生臭くなる原因になるので、イギリスでは絶対にしない、とのこと。
ふむふむなるほど、と頭の中にメモ書きを残しながら、梓はミルクインファーストのミルクティーを飲んだ。
確かに、冷たいままのほうがよりすっきりとした味わいになる。
店側としても、温める手間が省けるので一石二鳥だ。
これはすぐに実践しよう。
ハロウィンの菓子づくりに加えて紅茶の知識まで得ることができて、梓にとっては大変有意義な夜となった。

それにしても、意外だな、と梓は思った。
蘭はその日の気分に合わせてオーダーを変えるが、新一はいつもコーヒーを、しかもブラックでオーダーする。
だから、新一は根っからのコーヒー党で、紅茶には興味がないのだと思い込んでいたのだ。
お茶請けに、と梓は焼き立てのクッキーを提供した。
もともと多めに作ってあるので、少しくらい食べても問題ない。
型によってクッキー生地の材料を微妙に変えてあるのだけれど、新一は作っている行程を一切見ていないのに、それらの異なる材料を次々に言い当てていく。
これも探偵としての素質なのか、新一の味覚と嗅覚はかなり繊細だ。
 
……これだけの味覚があれば、料理も上達しそうなものだけれど。

などと梓は心の片隅で思ったりもしたが、きっと新一の「食べるほうが得意」という言葉の頭には「蘭の料理を」が付くのだろう。
梓は自然と表情を緩めながら、しばし3人のお茶会を楽しんだ。


ティータイムの話題は、話の流れから新一の料理の腕になった。
いくつか聞いた中で、梓の笑いの壷をもっとも強く刺激したのは、キュウリの輪切り。
何をどうすればそうなるのか逆に気になるが、きれいに背骨で繋がったキュウリの輪切りが誕生した、らしい。

「あれ、写真に残しておけば良かったかも。また、やってくれる?」
「バーロー、次はもうねーぞ。オレには文明の利器がついてるんだからな」
「フードプロセッサーのこと? あれ、全然使ってないじゃない。キュウリを一本切るだけなら、包丁のほうが早いわよ」
「いいや、蘭はあいつの真価を知らないんだ。あれはな……」

新一は少しふてくされて、フードプロセッサーの有効活用を説き始めた。
梓はポアロで大量に食材を仕込むので、フードプロセッサーにはかなりお世話になっている。
けれども蘭の言うとおり、たかが一本のキュウリのために使うのは、少し仰々しいというか……つまり、逆に手間がかかるというか。
どちらの言い分もよく理解できるので、2人同時に「梓さんはどっちがいいと思います?」と聞かれても困る。
梓が言えることは、たったひとつ。

「……2人とも、仲がいいのねぇ」
「「えっ?」」
「ほら、息ピッタリ」
「「あっ、これは、」」

蘭が、新一が、と互いの名を呼ぶから、そこだけは重ならなかったけれど。
大切なお客様であり、友人でもある2人の可愛らしいやりとりに、梓は心がぽかぽかしてくる。
新一と蘭は保育園の頃からの幼馴染みで、本当の兄弟のように仲良く、一緒に育ってきたと聞く。
情報源は、そんな2人の幼馴染み兼友人の園子なので、間違いない。
先程、蘭もそのようなことを言っていた。

これはきっと、あとはお若い2人でどうぞ、というヤツだ。
時間的にそろそろお暇するタイミングでもある。

「私、そろそろ帰るわね」
「梓さん、もう帰っちゃうんですか?」
「うん。今頃きっと、大尉くんがお腹を空かせて待ってると思うから」
「え、うそ、もうこんな時間? 晩ご飯の時間、とっくに過ぎてる」

改めて時刻を確認した蘭は、目を丸くした。
お菓子を作るとき、蘭はいつも一人で作っている。
場所は自宅だったり、今日みたいに新一の家だったりするが、一人で作ることに変わりない。
だから、菓子づくり=黙々と手を動かし続けるイメージだった。
でも今日は梓と一緒で、それがすごく楽しくて、時間を意識することなくいつの間にか作り終えていた。
梓は蘭よりも6歳年上だが、実の姉妹のように仲良しで、いろんな話で盛り上がれる。
しかし、冷静に考えてみれば、あれだけ大量にお菓子を作ったということは、それなりの時間が経過しているというわけで。

「うちのお父さんも『腹減った』とか言ってるよぉ、絶対。今日は作り置きしてこなかったから」
「案外、平気なんじゃねーの? 蘭がいないから遠慮なくビールが飲める、とかいって酒盛りしてるかも?」
「やだ、困る! お父さん、最近ちょっと飲み過ぎなんだもん」

新一が半分真顔で言うと、蘭はきりっと目尻を吊り上げ、ポケットから携帯電話を取り出した。
いまどき珍しい二つ折りタイプのもので、米花水族館のなまこ男ストラップが揺れている。
ポアロに頼ろうと思っても梓は蘭と一緒にいるし、何よりすでに閉店時間を過ぎている。遅番のマスターも店を後にしているはずだ。
ちょっと電話してみる、とその携帯電話を開いた蘭の手を、梓はそっと押さえた。

「大丈夫よ、蘭ちゃん。毛利さんのことは心配いらないわ」
「え、どういうことですか?」
「本日のお礼の先払いってことで、毛利さんにスペシャルデリバリーしておいたから」

うふふ、と梓は満面の笑みを浮かべている。
まるで最初からこうなることをわかっていたみたいに。

「ちなみに、今夜の蘭ちゃんは、私と一緒に徹夜でお菓子作りをすることになってます!」
「え? 徹夜? もしかして、お菓子足りなかったですか?」
「そうじゃなくて。あとは新一くんにお任せ、ってこと」
「は? ちょっと梓さん、突然なにを……?」
「蘭ちゃん、私、キッチンに荷物を置きっぱなしだったの。悪いんだけど、持ってきてもらってもいいかしら?」
「……? はい、わかりました」

梓の急すぎる方向転換に、蘭の頭上には「?」が三つくらい浮かんでいる。
訳が分からないが、とりあえず梓の荷物を取りにキッチンへ向かった。
リビングに残された新一は、ポカンとした顔で梓を振り向く。

「えっと、梓さん。オレ、今日何か頼まれてましたっけ?」
「そういうわけじゃないんだけど。今日は2人の時間を分けてもらったから、そのお礼。今夜はゆっくり過ごしてね」
「ありがとうございます。でも、今日のことは蘭のほうから言い出したんだし、それに、」
「はい、ストップ。確かに蘭ちゃんのほうから誘ってくれたけど、それは蘭ちゃんがとっても優しい子だからよ。新一くんだって、わかってるんでしょう?」

梓は新一の言葉を遮って、ダメ押しの一手を繰り出した。
好きな人と一緒にいたいのは、誰だって同じ。
それが恋人同士なら、なおさら。

パタパタパタ。キッチンのほうからスリッパの足音が聞こえてくる。
荷物をお願いした蘭が、もうすぐこの玄関ホールに現れる。
その前にもうひとつ。
梓は小声で新一を呼びつけ、やや早口でまくし立てる。

「あのね、新一くん。年長者としてアドバイスするとね、お料理はできるほうがいいわよ」
「わかってはいるんですけどね、これが、なかなか」

ははは、と乾いた笑いしか出せない新一に、梓はさらに小声で続けた。

「新一くんのことだから、蘭ちゃんとこの先も一緒にいるつもりなんでしょう? だったら、少なくとも、お粥と朝ご飯はマスターしておいて損はないと思うの」
「お粥と朝ご飯、ですか?」
「そうよ。理由は言うまでもないと思うけれど」
「え、梓さん、それって一体、どういう……」

がちゃ、とドアが開き、蘭が梓の荷物を持ってきた。

「梓さん、荷物ってこれだけですか?」
「ありがとう蘭ちゃん。うん、これで大丈夫よ」

上着に袖を通し、荷物を肩にかけて、梓は新一と蘭に向かって深々と頭を下げる。

「今日は本当にどうもありがとうございました。お菓子は明日の夕方、取りに来るね」
「わかりました。いつでも連絡してください」
「じゃあね、新一くん。蘭ちゃん、いい夜を過ごしてね」
「梓さん、途中まで送りましょうか? 1人じゃ危ないですよ」
「大丈夫、タクシー拾うから。おやすみなさい」

梓はひらひらと手を振って、そのまま帰って行った。
玄関ホールに残された新一は、頭の中で梓の言葉を反芻していた。
お粥はわかる。体調が悪いときに食べる食事、ナンバーワンだ。
シンプルな塩味に刻みネギを散らして彩りを添えるか、溶き卵で栄養をつけるか。
しかし、朝ご飯とは一体……?

推理オタクと言われて、園子からも「ちっとも女心がわかってない」などとさんざん言われてきた新一だったが。
梓に遅れること数秒、やっとわかった。
朝御飯を、新一が蘭のために作るシチュエーション。
それは――。

答えに到達したところで、つん、と上着の裾を引っ張られた。蘭だ。
考えにふけっていたのはたったの数秒だったはずだが、それでも蘭は何かしらの異変を感じ取ったらしい。
こういうときの蘭は妙に聡い。大粒の瞳が新一を射貫く。

「新一、梓さん、他に何か言ってた?」
「ほ、他に何かって?」
「だってわたし、話の途中で荷物を取りに行ったから、あの後どうなったか知らなくて」
「あー。いや、別に、たいしたことは……」

そう言って語尾を濁す新一の態度は、蘭も少し気になるところではあるけれど。
「徹夜で菓子作りをする」ことになっている蘭としては、もっと気になることがある。
というか、新一から言って欲しい言葉がある。
そんな気持ちを込めて、蘭は新一の瞳を掴まえる。
すると、新一はもそもそと唇を動かした。

「あのさ、良かったらなんだけど……オレに朝飯の作り方、教えてくれねーか?」
「いいわよ。でも、その前に。わたし、お腹が空いちゃって……新一は?」
「オレ? さっき、試食のクッキーをもらったし、特には、」

空いてない、問い射かけた口を、新一は閉じた。
真っ赤に染まった蘭の顔を見て、満たされていないものが何か、わかったから。

「オレも腹ぺこ。蘭が、足りなくて」
「……正解。探偵さんなのに、鈍いんだから」
「ごめん。それで、食べさせてくれるの?」

返事の代わりに、蘭は小さく首を振るのだった――縦に。



――翌朝。
工藤邸のキッチンに、蘭から直々に朝食作りを教わる新一がいた。
合格点をもらえるできあがりになるには、まだまだ練習が足りない。

果たして、新一が1人で朝食を上手に作れるようになるのと、蘭がこの家に住むようになるのと、一体どちらが早いのだろう?
その勝敗の行方は……今はまだ、神のみぞ知る。




― END ―


このサイトを始めた年から「11月1日は紅茶の日」と言い続けてきて。
最近は「紅茶の日」に絡めたイベントやセールなども増えましたね。
さらに「11月は紅茶月」という文言も見かけるように。
と言うわけで、便乗して。まだ11月だと言い張ってみる!
(内容からわかるように、10月に妄想していたネタでした)

2021/Nov./30

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