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まだ蝉の勢いも衰えないまま、2学期が始まった。 厳しい残暑真っ盛りの中、制服のシャツが嫌な感じに汗で貼り付いてくる。おまけに夏でも着用が義務付けられているネクタイが、暑苦しさを倍増させるのに一役買っていた。 午前中の授業を終えると、すぐにホームルームが始められる。9月の第1週目は午前中で授業は終わりなのだ。 「あー、暑い。何とかなんないのかしらね、この暑さ。たまんないわよ、まったく。」 少しでも涼しくなろうと、シャツの第一ボタンを外し、ネクタイはだらしなく緩められている。その隙間に、下敷きを団扇にしてパタパタと風を送っている園子は、天井を仰ぐようにぐったりと椅子に座っていた。 授業中はどうにか持ちこたえていたようだが、ホームルームまで継続できるほどの気力はないらしい。 顔を動かすのも面倒で視線だけを横にずらすと、そうだね、と笑いかけた親友は、まるで暑さを感じていないとでもいうように背筋を伸ばし、担任教諭が説明している連絡事項を真面目に書き留めたりしている。 「蘭、あんた、暑くないの?」 「え?暑いに決まってるじゃない。でも、道場の暑さに比べたら、これでもまだマシなほうよ?」 「あ、そうか。もうすぐ大会あるし、部活大変なんだよね。」 「うん、来週末だからね。・・・応援、来てくれる?」 「もっちろんv この園子様にまっかせなさーい!」 「ありがと。じゃ、また明日ね。」 いつの間にか放課後になり、蘭は部室へ直行していった。園子は、1時間目の休憩時間から空いたままになっている、ひとつ前の座席の椅子を蹴飛ばした。無機質な金属音が、空しく響く。 「ったく、どこで何やってんだか、こやつは。」 応援をせがんだ蘭の目がわずかに揺れていたのを、見逃すような園子ではなかった。 *** すっかり陽は傾き、辺りはかなり薄暗くなってきている。下校時刻を告げる校内放送が流れ、部活を終えた学生達がそれぞれの方向に散って行く。 蘭は、クラブ日誌に記入すると、部室の戸締まりを再度確認した。 つい最近、空手部主将を引き継いだばかりで、まだ慣れないことが多い。メジャーな種目ではないから部員数が少ないのは良いけれど、マネージャーを置くほどの規模でもないため、主将とはいっても予想外に雑務が多い。また、頼まれては嫌と言えない性格と元来の生真面目さが手伝って、部長会議や対外試合の打ち合わせ、果ては備品の調達など、事細かな雑用までも引き受けてしまっていた。 体育館脇にある武道場に併設されているクラブハウスには、空手部を含め、剣道部、柔道部、弓道部など、武道系のクラブが集められている。いつもなら顧問の先生が鍵を閉めてくれるのだが、今日は会議がある、とかで最後の戸締まりを任されてしまったのだった。 さ、早くこの日誌と鍵を職員室に返さなくちゃ、、、そう思ってから、すでに2分は経過しただろうか。 何度やっても鍵が締まらないのだ。辺りを見回しても、他の学生の姿はすでにない。 音もなく、闇がすぐそこまで近寄ってきている。 (やだっ、どうしよう。鍵返さないと、帰れないよ。早くしないと、スーパーが閉っちゃう) 焦ってノブを回したり、鍵の上下を入れ替えてみたりいろいろ試したのだが、やっぱり締まらない。こんなときに限って他に生徒もおらず、今どき珍しく携帯電話を持っていない蘭は、誰かを呼ぶことも出来やしない。 仕方なく試行錯誤を繰り返していると、背後からひとりの男子学生が近付いて来た。 「これ、ちょっとコツがいるんだよ。」 すっと蘭の手から鍵をかすめ取ると、少しドアノブを持ち上げながら鍵を回す。あんなに苦労したはずなのに、カチャ、という軽い音がしていとも簡単に鍵が締まった。 一瞬身を堅くした蘭だが、その正体がわかるとすぐに、自然と安堵のため息がこぼれてきた。 「ありがとうございます、主将。助かりました。」 「今は毛利が主将だろう?」 蘭に鍵を手渡しながら笑ってそう答えた男は、180cmに届くほどの長身、鍛えられた骨格と涼しげな眼差しが印象的だ。園子の分析によると、新一君とは違った方向で男前、ということらしい。 その彼こそ、1年先輩の空手部元主将、そして蘭が唯一対当に組み手をしてもらえる相手だった。 「あははは、そうでしたね。なんだかいまだにピンとこなくて。」 受け取った鍵をくるくると指で回しながら、気恥ずかしさをごまかそうとして笑ってみせた。 オレも最初はそうだったよ、と返されて、そうなんですか、と安心して。 「でも、悪かったな。何かみんなで押し付けちまったみたいで。」 「いいえ、そんなことないです。わたしなんかに勤まるかどうかわかりませんけど、とにかくやってみます。」 「そっか。実はな、毛利を主将に推薦したのはオレなんだ。本当は男子部員から選べれば良かったんだけど、どいつもこいつも頼りなくてよ。ま、おまえなら部員の信頼も厚いし、実力も申し分ないし。」 「ほめすぎですよ、それ。」 職員室へ並んで向かいながら、うっすら残った夕陽を受けて小さく笑う蘭に見上げられ、元主将はここに来た目的をひとり思い返していた。 その類い稀な頭脳に整った顔立ち。『日本警察の救世主』と呼ばれる一方、『超高校級のエースストライカー』としても注目を集めている、高校生探偵、工藤新一。 その傍らで、並みのアイドルなら裸足で逃げ出す容姿でいるのにも関わらず、その柔和で飾らない性格が周囲を暖かい空気で包んでしまう、毛利蘭。 二人の中は、帝丹高校中に知れ渡っている。 当人達は「ただの幼馴染み」と公言しているらしいが、どこからどう見ても「お似合いのカップル」にしか見えない。そんな二人の間に割って入るのは無理だと承知の上で、それでも言わずにはいられなくなってしまったのだ。 ・・・自分の気持ちにケリをつけるために。 部活の引き継ぎも終え、これから後輩達と会うことも格段に少なくなってしまう。人影まばらなこの時間、今まさに絶好のチャンスを迎えようとしていた。 その前に、軽く探りを入れてみる。 「、、、なぁ、いつも一緒にいるやつ、ええと、工藤だっけ。あいつ、今日はいねえの?」 わざと知らない振りをしてみた。実際は、帝丹高校中探しても、そんな奴はいないのだが。 「新一ですか?あいつなら、またいつものように呼び出されて飛び出したままなんです。ったく、あの推理オタクときたら、、、」 少しきつめの言葉とは裏腹に、限りなく優しい光に満ちた瞳のほうは素直だった。 その眩しさに思わず目を細めた。そのあと二言三言つないでから、あくまでも自然に、さらっと言ってみた。 「あのさ、毛利、、、オレと付き合ってくんねぇか?」 きょとん、とした顔で元主将を見上げる、蘭。 別に彼もOKの返事を期待していたわけではない。むしろ、困った顔をされるか、逃げ出されるか、それとも即座に断られるか、、、この3つのうちのどれかだろうと思っていた。 しかし、返って来たのは予想外の言葉だった。 「いいですよ。」 え?という形のまま固まった顔で、今度は元主将が蘭を見返した。 そんなにあっさりと肯定されるとは、思ってもみなかったからだ。しかし、即座に続けられた言葉によって、芽生えかけた希望もあっさりと根元からしおれていった。 「わたしも一度、先輩とお話したかったんです。部活のこととか、いろいろ聞きたいですし。」 「あ、いや、その、、、」 反論する台詞を探しているうちに、再び下校を促す校内放送が流れて来た。 「あ、急がなきゃ。わたし、これから夕飯の支度があるんで今日はダメなんです。明日は部活休みですし、明日の放課後でも良いですか?じゃあ、正門の前で待ってますね?それじゃ、お先に失礼します。」 ぺこっと頭を下げてから、蘭は小走りに職員室へ向かっていった。あとには口をパクパクさせたままの元主将だけが残された。 しばらくして、「なるほど、ね。」とだけ呟き、ひとり帰路に就いたのであった。 *** 昨日に続いて授業は午前中で終わり、蘭はホームルーム終了後、正門へと急いだ。自分から指定しておいて遅れるわけにはいかない。 剣道部の対外試合で武道場を占領されているので、空手部を始めとするその他の武道系のクラブは休みになっていた。試合前の貴重な空き時間なのだから、もっと違う有意義な活用法を、と思っていたのに、昨日のあの様子から察すると、今日も新一は戻ってこないだろう。それくらい、これまでの経験で良くわかっている。 なかば無理矢理今日の約束を取り付けたのは、そういう理由もあったから。 勿論、本格的な受験戦争までにはまだ少し余裕のあるこの時期なら先輩の邪魔にならないだろう、という配慮も少しはあるのだけれど。 下足室でちらっと目に入った新一の名札に一瞬立ち止まりはしたものの、授業終了のチャイムと共に姿を消したことを思い出し、少しムッとして靴箱の蓋を軽く叩いた。コツン、と乾いた音を残して約束の場所へ急ぐと、軽く右手を上げて、先輩は合図をしてくれた。 「すみません、お待たせして。」と駆け寄る蘭に、「いや、今来たとこだから。」とお決まりの言葉を交わし、「とりあえず、飯行こうか?」ということで駅前に向かった。 *** 「先輩、受験勉強で忙しかったんですよね?すみません、突然決めてしまって。」 「気にすんな。それに、こんなかわいい後輩のためなら、いつでも駆け付けてやるよ。」 「またぁ、冗談ばっかりなんだから、先輩は。」 くすくすと笑う蘭に、こっちは真剣なんだけどな、とひとり心の中で呟いていた。 しかし、彼にはわかってしまったのだ。 自分は男としてみられていない、と。 昨日告白したときのあの切り返し、あれはどう考えても、わざと受け流しているようには見えなかった。多分、世界中のどんな色男が目の前に現れたとしても、彼女の目にはただの人にしか写らないだろう。 蘭にとって唯一無二の存在は、あの工藤新一しかいないのだから。 そこまで思考を巡らせると、かえって気が楽になってしまった。そこで、灰色の受験戦争突入前の、ちょっとした思い出作りをさせてもらおう、と勝手に決め込んだのだった。 いつもより人通りが多い土曜の午後、落ち着いた内装のカフェに入ることになった。たしか園子が持っていた情報誌に載っていた店だ。 (そう言えば、新一以外の男の人と二人きりになるのって、久しぶりかも、、、) ぼんやりとそんなことを考えていると、強い衝撃が蘭を襲った。カフェのドアに真正面からぶつかってしまったのだ。 「いたたたっ、、、、」 「おい、大丈夫か?」 先に中へ入っていた先輩が、内側からドアを開けてくれた。少し赤くなったおでこを摩りつつ、他の客からの冷ややかな視線を避けるように俯いたままカフェに入った。 「おまえ、案外どんくさいのな。技はあんなに切れるのに。」 「あはははは、ちょっとボーッとしちゃってて。」 照れ隠しに笑ってみせたが、頭の中には小さな「?」が浮かんでいた。 見晴らしの良いテラス席に案内され、向い合せに座った。 テラスとは言っても、まだ残暑が厳しいため、可動式のガラス戸は締められたままだ。その向こう側は、まだ幾分強い日差しがアスファルトに照り返し、熱を放出していた。 二人して本日のランチセットを注文すると、生真面目な蘭は早速手帳を取り出し、昨日のうちに考えてきた質問を次々にクリアにしていった。やがて食事が運ばれてくると、エンドレスに続きそうな蘭の質問をさえぎって、先輩は笑って蘭の手帳を押さえた。 「じゃ、このへんで質問は受付終了。」 「え、でも、まだ他にも聞きたいことが、、、」 「オレは毛利を信頼してるし、やりたいようにやればいいって。もし、ごちゃごちゃ言ってくる奴がいたら、そんときゃ一発お見舞いしに来てやるからよ。」 「ありがとうございます。なるべく先輩のお世話にならないように、頑張りますねv」 満面の笑みで真直ぐに見つめられて、すっかり舞い上がってしまった元主将は、それを隠そうと食事に専念した。 昨日の夜はここまでで満足だと思っていたのに、いざこの笑顔を前にすると決心が揺らぐ。このまま大人しく家に帰るのも、何だか惜しい気がしてしかたがない。 ふと視線を感じて顔を上げると、蘭がくすくすと笑っていた。 「先輩、あいかわらず食事中は無言なんですね。前の大会のときだって、せっかく妹さんが応援に来てたのに挨拶もしなかったじゃないですか。」 「そうか?」 そうだ、その手があった。 誰にも気付かれないように、テーブルの下で小さく拳だけのガッツポーズを決めた。 蘭が食べ終わる頃を見計らい、できるだけ自然に、普通のトーンで誘ってみた。最初から“ダメもと”なので、変な気負いがなかったのが良かったのかもしれない。それに、まるっきり嘘でもない理由を付けておいたので、夕方までの期限付きではあるものの、何の疑いもなくOKの返事を得ることが出来た。 *** 食後のコーヒーとミルクティをゆっくりといただいてから、蘭の提案で、二人は最近人気があるという雑貨屋さんに行くことになった。配置されたディスプレイを見れば、センスの良い店なのはよくわかる。 「ここの3階に結構かわいい小物があるんですよ。」 「へぇ〜・・・」 男同士でこんな所に入るわけもなく、目に入るものすべてが物珍しい。 口を半分開いたまま、ボーッと店内の様子に見入ってしまった。思わず、きょろきょろ辺りを確認し、挙動不審者とされやしないか心配になってしまった自分が悲しい。 1階はキッチン用品や家具、ソファなどの生活雑貨、2階には衣類、そして3階にはアクセサリーや小物などが売られている。どこも幅広い品揃えで、ひとつひとつ見て回るだけでもかなり時間がかかりそうだ。 店の前で立ち止まり、ディスプレイを覗き込みながら、大きな瞳をキラキラさせて「プレゼントを選ぶのって、すっごくワクワクしますよね?」と嬉しそうに考え込んでいる後輩を横目で見ていると、流石にちょっと気が咎めてしまう。痛む心をひた隠し、また、無断でだしにされている妹にも内心で謝っておいた。 対抗車線の路肩に停車した1台の車の中から冷ややかに見つめる視線がひとつあったことを、二人は気付くこともなく、自動ドアをすり抜けて店内に入っていった。 |
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