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Can you keep a secret?

深夜といっても良い時間帯、阿笠邸のリビング。
明日の学会の資料もまとめたし、そろそろ戸締まりでもして寝ようか、と家主が玄関に向かいかけたときだった。
やや乱暴にドアが開いた、と思った瞬間、そこへ滑り込むように入ってきたのは、高校生探偵として再び世間に名を馳せている、隣家の工藤新一だった。ドアに寄り掛かるようにしてどうにか立っている様子をみると、唯事ではないのは明らかだ。

「・・・よう、久しぶり。」

うっすら額に汗を滲ませながら軽く右手を上げて挨拶したのはいいが、新一はそのまま床に崩れ落ちそうになるのを持ち堪えるので精一杯だった。阿笠に支えられて、辛うじてソファに落ち着くと、そのまま横になってしまった。顔色は透けるように白い。
阿笠は慌てて地下室へ通じる廊下に向かって声を張り上げた。

「哀くん、大変じゃ。新一が、、、」
「あら、やっと来たのね。」

いつものトーンでそう言うと、小学生の容姿では似合わないはずなのに、何故か着なれた印象を与える白衣姿の哀が、まるで予測していたかのように、点滴や注射器、医薬品などのメディカルキットが入った箱を抱えてリビングに現れた。

ぐったりとソファに体を預けている来訪者に視線を落とすと、何を言うわけでもなく、黙々と新一のシャツの袖をまくり、脈を取っている。それからパラパラとファイリングされた書類をめくり、はぁ、と軽くため息をついた。
成す術もなく二人を見ていた阿笠は、すぐには動かせないだろうと思って寝室から持って来たブランケットをそっと新一に掛けてやると、哀の邪魔にならないように黙って向いのソファに座っている。
採血をし、点滴を始めたところで、ようやく哀はその手を止めた。

(まったく、どうしてこんなになるまで自分自身のことを放っておけるのかしら。)

あまりの状態の悪さに少し点滴のペースを遅くして、哀は血の気のない新一の顔をぼんやりと見つめいていた。
それまでに蓄積したデータを元にして、あらゆるコネを使って阿笠が掻き集めてきた医薬品から、哀はAPTX4869の解毒剤を作り出すことに成功した。それによって元の体を取り戻した新一が例の組織の本体を壊滅させたのは、つい数カ月前のこと。
世界中に散らばる残党どもの動きに、今だ予断を許さない状況ではあるが、少しずつ新一が集めてきた情報を公開し、ICPOおよびFBIを通じて今や世界規模で共同戦線を張るまでの事件に発展した。完全な封鎖も時間の問題だろう。

今のところ、新一の経過は順調のように見える。しかし、阿笠の持つ実験道具で作った、いわば急造品の解毒剤だ。いつ、どんな副作用が起こるかわからない。また、哀とは違って、何度か姿を変化させたことがある新一には、最初に作った解毒剤よりも更に高濃度の試薬を使わなければならなかった。

採血した試験管を手にした哀は「博士、この点滴が終わったら、こっちに取り替えてもらえる?」と指示を出して、一旦地下室に引き返していった。

リビングに残された阿笠は、発熱により随分発汗している新一が脱水症状を起こさないよう、まだ肩で息をしている彼の上半身を起こして、水分を摂るように促した。スポーツドリンクを満たしたグラスを手渡すと、新一は一気にそれを空けた。少し顔色も良くなって来たようだ。

「悪ぃな、博士。迷惑ばっか掛けちまって。」

新しい点滴バックを付け替えている阿笠の背中に、すまなそうに俯いて言った。

「かなり疲れておるようじゃな、新一。しかし、礼を言う相手は、ワシじゃないだろう?」
「・・・ああ、わかってるよ。」
「とてもそうは見えないけど?」

いつの間にか地下室からリビングへ戻って来た哀の声は、たっぷりと冷気を含んでおり、音もなく新一の頬を打ち付けた。

「ちょっとは自分の体も大事にしなさいよ。」
「しゃーねーだろっ、事件がオレを放っておかないんだから。」

ようやく言い返せる程度の体力を回復した新一は、ジト目で哀を睨んだ。しかし、熱を持ったその瞳にはいつもの力がない。哀に言われて再びソファに横になり、大人しく治療を受けることにした。

まだ体調が完全ではないことなど、本人が一番良くわかっている。
組織の壊滅は警察の協力がなければ実現しなかっただろう。新一自身も重体と呼べる状態に落ち入るほどの大怪我をしたのだが、それよりも、そこで払われた他の犠牲者のことを思うと、やりきれない。また、事件と聞けばじっとしていられない性質も手伝って、例えどんなに疲れていようと、協力を要請されればどうしても断ることができないでいた。
そして今日のように、ギリギリの状態になって阿笠邸に駆け込む、、、というのが常だった。

そんな神出鬼没な不良患者を、表向きは“ただの研究材料”と当人には明言していても、いつでも処置できるように待機しているのは、哀なりの気遣いだ。
実際、1日でも早く、完全に元の健康な体に戻してやりたいと思っている。


工藤新一という人に出会って、周りの暖かい人達に囲まれていると、こんな自分でも生きていて良かったのかもしれない、などと思うまでになった。
だから。

日の当たる場所にいられるあなたが、いつまでもそんな暗い影を引きずることはないのよ。


ふっ、と唇に薄い笑みを浮かべると、哀は黙ってカルテを新一の手元に差し出した。
空いているほうの手で器用にページをめくり、静かに読み進めていく新一には、哀の言わんとすることが手に取るようにわかった。

組織との最後の戦いで負った怪我も治り、通常生活を送るまでに回復した頃、約束させられたのだ。
これから最低でも1年間、1週間に1度はメディカルチェックを受けに、阿笠邸に来ることを。
新一も最初は真面目に約束を果たしていたのだが、それが2週間に一度になり、今回は1ヶ月も期間が空いてしまった。

心配そうにしている阿笠を「明日、早いんでしょ?もう寝たほうが良いわ。」と部屋に追いやり、哀は、ちょうどカルテを読み終えた新一に言った。

「それ、嘘でも誇張でもないから。今の状態がどの程度のものなのか、まぁ、あなた自身が一番良くわかってるとは思うけど。」

哀のような専門知識はなくとも、新一も自分なりに情報を集め、高水準の医学知識は身に付けている。自分の体に何が起こっているのか、また、それを治すためには何をしなければならないか、十分にわかっているつもりなのだ。だが、ここに書かれている状態は、彼の予想していたレベルを遥かに下回っていた。

哀にはわかっている。 新一には安っぽい脅しなど効かないことが。
だから、当初は見せるつもりの無かったカルテを手渡した。こうして数値ではっきりと見せつければ、少しは自重してくれるのではないか、と期待したからだ。

どんな窮地に追い込まれても、それを他人の性にしないのは賞賛に値することだとは思う。
けれども、己の強すぎる正義感が、自分自身でさえも追い詰めてしまっていることを、果たして本人は自覚しているのだろうか。
あの日、組織に乗り込む前日の夜——無茶するのはよしなさい、と言った哀の制止に対して「これ以上、もう誰の涙も見たくねぇんだ」と自分に言い聞かせるようにして呟いた新一。
その後ろ姿を思い出す度、哀は鋭い痛みが胸に広がってくるのを抑えることが出来ないでいた。


いっそ、憎んでくれたら、大声で罵倒してくれたらいいのに。
私のせいだ、って言ってくれたなら、、、、。


色素の薄い髪を揺らして軽く頭を振り、どこまでも深みに落ちてしまいそうな、弱い自分を一喝した。
哀にはない、新一の強さの秘訣。
守りたいものがある、ということが、人をこんなにも強くさせるものだろうか。

そんなことを考えて少しよそ見をした哀の目を盗み、新一は上半身を起こして、終わりに近い点滴の針を勝手に引き抜こうとしていた。慌てて腕を押さえ付けると、哀はついさっき調合してきたばかりの点滴に付け替えた。小学生の力でも封じ込めるほどに、新一は弱っている。
彼がまだ万全の状態ではないことを知っているのは、本人とその両親を除けば、阿笠と哀の二人だけだ。
だから、新一はこの二人の前では、遠慮なく有りのままの姿を曝け出している。勿論、哀の方も、新一の前では厳しい言葉を遠慮なく投げ付けてくる。

まだ気だるそうな様子で大人しくソファに体を預けている新一の正面に座り、哀はコーヒーを飲みながら、特に読んでいるわけではないファッション雑誌をパラパラめくっている。きちんと治療が終わるまで、油断は出来ない。ちょっと目を離した隙に自宅へ戻ってしまったり、先程のような勝手なことをされては困るからだ。

目線を雑誌に落としたまま、哀は新一に問い掛けた。

「それにしても、随分もてているようね。でも、あんまり八方美人にしていると、あとで痛い目にあうわよ?」
「は?どういう意味だよ?」

含まれた真意を取り損ねて目線だけ哀に向けると、ほんの数秒にも満たない短い間だったが、予想外の表情をした哀の顔が目に入った。

新一は、見間違いか、と思った。
その顔は泣いているように見えたから。

しかし、すぐに新一以上にクールなポーカーフェイスを取り戻した哀は続けた。

「あなたがどう思おうと勝手だけど、肝心なのは、あの子がどう思っているか、でしょう?」
「・・・・・」

反論する言葉も見当たらない。
最近、そう言えばあいつとゆっくり電話する時間もなかったっけ。
ま、この情けない姿だけは見せられねぇけどな。

形の良い顎に手をあてて考え込む新一に対し、口元にはいつもの控えめな笑みを浮かべた哀は、ピシャリと言い切った。

「誰にでも良い顔をするのもどうかと思うけど。たまには人に嫌われる努力もしなさいよ?」
「・・・オメーは好かれる努力しろ。」
「ご心配なく。無駄な努力はしない主義なの、私。」
「あ、そう。」

半目でそう言い返したが、確かに、今回は無理し過ぎた。それに、自己管理も出来ないようでは、探偵失格である。
3本目の点滴を終え、針痕の消毒まで済ませると、哀は今日施した内容をカルテに記入して、絶対に動かないように、と念を押してから使用済みの医療器具を処分しに席を立った。

時計は朝の3時を回っていた。阿笠邸へ辿り着いた時点で既に日付けが変わろうとしていたのだから、あれだけの処置を受ければ、当然だ。
新一は、針痕を抑えながらゆっくりと立ち上がった。
まだ少し足元はふらつくが、歩けないほどではない。捲られた袖を元通りにし、ジャケットを羽織ろうとしたところを、リビングに戻って来た哀に見つかってしまった。

「ちょっと、まだ動かないでって言ったでしょう!」
「大丈夫だよ、もう。家、すぐ隣なんだし。帰ったらすぐ寝るから。」

ひらひらと手を振って余裕を見せる新一を無理矢理ソファに座らせ、新一専用に処方した数種類の錠剤が入った小袋を手渡した。表面には『毎食後、忘れずに服用すること』と赤い色で書かれている。

「博士がどんなに苦労してこれらの医療器具や薬品を揃えているか、あなたわかってるの?もし、何かの拍子に調べられたりしたら、真っ先に疑われるのは博士なのよ。まさかこんな小学生が使ってるとは、誰も思わないもの。」
「ああ、感謝してるよ、本当に。」
「そう思うのなら、定期的にチェックを受けに来て、早く良くなってもらわないと困るのよ。もし、あまりにも言うことを聞かないのなら、こっちも最終手段を取らせてもらいますからね。」

ちらっと横目で新一を見ると、顔色は順調に回復しているのがわかった。あと10分も安静にしていれば、薬の効果も安定してくるだろう。
そんな哀の心配を他所に、怪訝そうな顔で「何だよ、最終手段って?」と聞いてくる。

「工藤君のことだから、まだ体が完治していないこと話してないんだと思うけど、ある事ない事、あの子に話すわよ?」
「それだけは、勘弁してくれ。これ以上、あいつに余計な心配させたくねぇ。」
「じゃあ、あなたも人の話を聞く努力はすることね。わかった?」
「お互い様だろっ。」

そんなやり取りのあと、新一はすぐ隣の自宅へと戻っていった。戸締まりを確認し、哀も自室に引き上げていく。
もともと夜には強いので、すでに明け方に近い時刻ではあるが、それほど眠気を感じていない。

カーテンの隙間から月明かりに覗き込まれて、一筋の光がベッドの上に落ちている。
その隙間から隣家の明かりが消えたのを確認すると、きっちりとカーテンを閉め、哀はベッドに潜り込んだ。
目を閉じたまま、きっと、もう宮野志保と呼ばれる事はないのだろう、と思った。
本当の“灰原哀”としての時間は、まだ始まったばかり。


あと2時間もすれば日が昇り、また新しい、輝かしい1日が明けていくのだから。

— END —

おまけ


『工藤の日』なので、何かアップしなくては、と思って急遽、書きました。
穴だらけかもしれないです。(いや、きっとそうに違いない)
いつも、誤字・脱字は、ひっそり修正してるんですけどね、
内容は、、、いつもそのときに出来る精一杯、のつもりです。
数日後に読み返すと、「何じゃ、こりゃ?」だったりする。

哀ちゃん、初めて書いた。(博士もだけど、今回はチョイ役だし)
彼女は灰原哀として生きるか、宮野志保として生きていくか、、、どうかな。
新一のように「絶対元の姿に戻ってやる」という気はないように思えます。

タイトルは宇多田ヒカルさんの歌からとっちゃったんだけど、
内容は関係ないです。念のため。

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