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Single Night


「・・・ん、わかってるってば。気にしないで。ね?」
「あ、悪りぃ。またあとで電話すっからよ。じゃあなっ」

ツーッ、ツーッ、ツーッ ・・・


まだ現場にいるのかな。きっと目暮警部にでも呼ばれたのね。
一方的に切られてしまったけれど、それでも、まだ何かが繋がっているような気がして、無機質に響く無情な機械音に蘭はしばらく耳を傾けていた。

はぁ、何やってんのよ、わたし。

つい口にしてしまった言葉に、ため息と共に後悔の念を吐き出した。
「気にしないで」なんて、それじゃいかにも「気にしてください」と言っているようなものだ。

新一は相変わらず忙しい。
事件の協力依頼は引っ切りなしに入ってくるし、学力的にはなんの問題はなくても、長期休学による出席率不足を補うために用意された、新一専用の特別課題もこなしている。
それでも隙をみつけては、およそ得意とは思えない電話やメールをくれるようになった。
新一にしては、少しは進歩したと言ってもいいかな?と思う。

だけど。
せっかく新一と、いわゆる『恋人同士』になれたと思ったのに。
変わったところなんて、何もないんだよね。
今でもわたしは、置いてきぼり。
結局、わたしは新一が戻って来るのを待つ事しかできない。



だめだなぁ。わたし、いつからこんなに弱くなったんだろう?
こんなに気が滅入るのは、秋だから?
夜が長いせい?

放っておけば際限なく沈んでいきそうな気分を変えようと、キッチンに向かい、ホットミルクを作ってみる。
メイプルシロップをいつもより多めに落とすと、甘い香りが周囲に漂い、蘭を包み込んだ。

これも、新一に教えてもらったんだっけ。
蜂蜜よりも甘さがまろやかで、優しい味がするんだよね。



あれは、いつのことだったろう。
小五郎が留守にする日に限られるが、新一に夕食を作ってあげるとき、食後は工藤家のリビングのソファの、お互いの定位置に陣取って、のんびりとくつろぐのが日課のようになっていた。
二人でいても、新一は推理小説に夢中になるか、溜まった課題を片付けるか、のどちらかに集中している事が多い。
蘭はと言えば、一緒に勉強をしたり、邪魔しないようにヘッドホンで音楽を聞いたりすることもあったが、新一の様子を黙って見守っていることがほとんどだった。
まるで熟年夫婦のような時間の過ごし方だけれど、二人っきりでいられる、このひとときが蘭にとっては最高に幸せなのだ。

ある日の夜、ちょっと新一が席を外していたあいだに、うとうととしてしまった事がある。
ちょうど大きな試合の前で、普段より部活にも気合いを入れていたから、疲れていたのも確かだったけれど。
そんなとき、新一が、自分自身にはコーヒー、そして蘭には色違いでお揃いのマグカップにたっぷりと注いで持って来てくれたのが、このホットメイプルミルク。
すぐに気に入ってしまって、ちょっとグレードの高い輸入食材を扱っているスーパーまで、自宅用のメイプルシロップを求めて園子の案内で買いに行ったほどだ。



だから、新一に会えなくて寂しいとき、ときどきこうやって、ちょっとしたご褒美を自分に与えてあげる事にしている。
ほんわりとした温かな湯気を燻らせれば、自分まで優しい気持ちになれるような気がするから。

うん、大丈夫。
新一だって頑張ってるんだもん。
わたしだって、しっかりしなきゃ。


自室に戻って窓を開けると、高く、深みを増した夜の闇に、星も輝きを増しているように見える。
湿度の低い秋の空気が、天空の透明度を上げているのだろう。
吸い込まれるように、手にしたマグカップの湯気が空へと消えていく。



そうだ、明日は早起きして、マフィンでも作ってみよう。
メイプルシロップをちょっぴり入れて、アーモンドスライスをトッピングしようかな。
どこでも持ち歩けるし、すぐに食べられるし。


ああ見えて、新一は意外と甘いものを食べるんだよね。
キッチンの戸棚の中にストックしている材料を頭に思い描きながら、自然と頬が緩む。

なんでも新一と結び付けて考えちゃうところは、我ながら笑ってしまうけど、それが当たり前になっている自分自身も、最近では受け入れられる。


新一を好きになりすぎている、自分自身。
以前は、それが苦しいと思うこともあった。

毎日一緒にいた頃には考えたこともなかった。
別に恋人同士としてじゃなくても、漠然と、これからも二人で共通の思い出を作っていけるのだと、何故か信じて疑わなかった。
それが永遠に続くものではないということを実感したのは、あの日、小さなナイトが目の前に現れてからのこと。

事実上の距離を感じるほど、留まることを知らないように、新一への気持ちは膨らんでいた。
いっそ、嫌いになれたら、と思った。
そうしたら、こんなに辛くなることはないのに、と。




だけど、気付いたこともある。

嫌いになれるわけ、ないんだもん。
だったら、とことん好きになればいい。


そう思ったら、すっと気持ちが軽くなった。
新一が自分のことをどう思っていようと、そんなことは関係ない。
これも、一種の我侭なのかな?とは思ったけど。
誰にも譲れない、この気持ち。




今夜も深酒をしたのか、キッチンにも届くほどの高いびきで熟睡している父親の小五郎は、デザート類はほとんど口にしない。
それに、新一が甘いものを食べることを知ったのは、姿を消しているときのことだから、結構最近だ。
だから、驚いて一度聞いてみた事があった。

「男の人って、みんなが甘いもの苦手ってわけじゃないんだね」
「別にしょっちゅう食べるわけじゃねぇよ。疲れたとき、ちょっと口にする程度だぜ?ま、頭脳労働者の必需品、てわけ」

手にした小説を膝の上に伏せて置き、「それに体の中で一番カロリー消費すんの、ここだしな」と、新一は人さし指でこめかみの辺りをトントン、と軽くつついた。

「そうなんだ?バレンタインのチョコとか全部断ってるから、てっきり嫌いなんだと思ってた」
「あんな激甘なもん、そんなにたくさん食えるか!チョコは1個で限界」

3秒ほどしてその言葉の真意を悟った蘭は、再び小説の世界に入って行こうとした新一の腕に、素早く自分のそれを絡ませた。
驚いた顔で見つめ返された瞳に、蘭は半分照れを隠した笑顔で予告した。

「じゃ、今度は特大のやつ、作ってあげるね」
「慎んで、お受けします」

わざと畏まって言う新一の言葉がおかしくて、クスクス笑いが本格的な笑いになるのに、そう時間はかからなかった。
新一はバツが悪そうにして手にした小説を脇へ追いやると、変に笑いを堪えようとして肩を揺らせている蘭を両手の中に閉じ込めて、囁いた。

「オレ、おまえの気持ちを受け止めるのに相応しい奴であり続けるから」
「はい。宜しくお願い致します」

さっきの新一の言葉になぞらえて、蘭も改まって、そう繋いだ。



その場は結局、二人で笑い合って終わったけれど。
わたしのほうこそ、新一の気持ちが離れてしまわないように、傍にいられるように。
まずは素敵な人でありたい、と思う。





新一が傍にいてくれると、自分も高みに引き上げてもらっている気がする。
落ち込むことも、寂しくって仕方ないときもちょっとはあるけれど。
だけど、何でも前向きに捕らえることが出来るんだよ。

だから、待つことしかできない、こんなわたしだけど。
やっぱり、待ってるよ。

いつだって、どんなときだって、新一が戻ってくるのを。




ひゅっと肩口を風が通り抜けて、身震いした蘭は、窓に続いてカーテンを閉めた。
机に置いた、飲み終えたマグカップに残るほのかな甘い香りに、つい口元がほころんでくる。
入れ替わりに手にした携帯から流れる、着信を知らせるメロディ。
ボタンを押す指さえも踊り出しそうな勢いで、画面に表示される愛しい人の名を呼んだ。


「お帰りなさい、新一」

— END —



天高く、乙女恋する、秋。(そんな格言はないけど)
人恋しい季節ですよね。

またレイアウトを変えてみました。(いまだに試行錯誤中)
ところで、メイプルシロップが大好きなんです。
ホットケーキは勿論、他にもヨーグルトやミルクティに入れたり。
カナダなら、もっと安く手に入るんだけどなぁ。
普段、紅茶には甘味を入れないんですけど、メイプルは別。
甘さが柔らかくて良いのです。
もし機会があれば、皆様もお試しあれ。

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