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〜 Silver lining 〜

手のひらに太陽を




真夜中に近い時間帯。
所々に灯っている家々の明りも、消え始める頃―――――


工藤邸のリビングも、例に漏れず。
大学生となった新一と蘭は、自然と一緒に暮らすようになっていた。
そんな2人が一番長く一緒に過ごしているのが、このリビング。

3人掛けのソファにだらりと寝転がっていた新一は、手にしていたハードカバーの本を。
カーペットの上に直に座っている蘭は、テーブルの上に広げていたテキストやノートを、それぞれにパタンと閉じて。
今まさに、2階の寝室に引き上げようとしていた、そのとき。
訪れかけた静寂を切り裂く、無機質な音。

液晶画面を確認しなくても、相手は想像するまでもない。
苦笑する蘭と、同じく苦笑しながらも、受け応えする声だけは冷静沈着を保っている新一。
通話しながらも自室へ向かう背中を、トコトコと蘭が追いかけていく。
新一に続いて部屋に入り、音を立てないように、そっとクローゼットのドアを開ける。
その前で軽く腕を組み、ちょっと小首を傾げている蘭の細やかな思考に感謝しつつ、新一の頭の片隅は既に事件に浸食され始めていた。



それでは20分後に、と新一は警部との通話を一旦区切った。
数瞬前に音もなく閉められたドアに、ふぅ、と小さく息が漏れる。

蘭は、ジャケットとシャツ、ズボンを選び出してベッドの上に並べたあと、通話の邪魔をしないようにと、一足先にそっと扉の向こうへ姿を消している。
多分キッチンに直行して、捜査の途中でも手軽に食べられるものを用意しているのだろう。
事件に没頭すると、寝食さえ忘れてしまう新一のために。

つい今しがたまで殺伐とした現場の報告を受けていた内耳には、暖かい気持ちの溢れる声とパタパタと刻まれるスリッパの足音が響いたような気がして。
新一の目が優しく細められた。


ベッドの上に広げられているのは、失礼になりすぎない程度にカジュアルで、ゆったりとしたデザインのものばかり。
年相応、といえばそのとおりなのだが。
全くの休日でもない限り、新一のスーツ着用率は同世代の青年に比べれば極めて高い。
警視庁の面々からは、新一にしては珍しい服装だと思われることだろう。
だからと言って、街中で偶然現場に居合わせたのならともかく、一応は呼び出されている状態である。
Tシャツに軽めのパーカー、リネンのゆったりしたズボンという部屋着丸出しの今の格好のままでは、工藤新一としては現場には赴けない。

珍しいことではないが、この時間から呼び出されれば、徹夜になるか、途中で仮眠をとってから捜査続行のどちらかになるはず。
いずれにしても、普段の新一が着ているようなカッチリとしたスーツよりは、多少余裕があるこれらの服のほうが身体的には楽なのは確かだ。
勿論、周りの警察関係者は、制服だったりスーツだったり、いつでもきちんとした服装をしている。
彼らは仕事なのだから、当然といえば当然のこと。
一方の新一はまだ大学生で、しかも捜査協力はある種のボランティアみたいな物。
故に、時と場合を選ばずに掛かってくるヘルプコールに対して、実は「断る」という選択肢も、存在するのだ。
・・・もっとも、新一がその選択肢を選ぶことは、きっとこれからも無いのだろうが。

そして、それら全てを見越した、蘭のセレクション。

何もかもが、ごく自然で。
風が草を撫でるように穏やかで、触れる者全てを優しい気持ちにしてしまう。
本人の意識の及ばないところから繰り出される、蘭の白い魔法。
今日もまた、しっかりとその術に魅せられた新一は、極僅かに赤く染まった頬を人差し指でパリパリと掻いた。





「事件が片付いたら、電話する。じゃ、またあとでな?」

通話終了から、きっかり20分後。
新一は門扉の前まで迎えにきてくれた高木刑事の車に片手を上げて挨拶すると、玄関先まで見送りにきた蘭の頭をくしゃっと撫でた。
蘭はただ黙って頷き、小さな紙袋を新一の手に押し付けただけだった。
重さと形状で、中身は小さなペットボトル飲料1本と、昼間に焼いていたマフィンをいくつか入れてあるのが分かる。
一人分にしては多めの個数なのは、きっと警部達へのお裾分けも含まれているのだろう。
新一は、すっかり定番になった「いってらっしゃい」とか「無茶しないでね?」という言葉と、ちょっとだけくすんだ大切な人の笑顔にチクッと心の隅を突き刺されながらも、くるりと蘭に背を向けた。


それでも、後部座席に落ち着けば、新一の頭は徐々に探偵モードへと傾いていく。
車が走り出して間もなく、携帯電話に転送されてきた自宅のセキュリティ情報を確認すると、高木刑事からの事件の詳細をBGM替わりにした車は、警視庁への道のりを急いだ。




夜明け前には、少ない物証から導き出した推理で真犯人のアリバイ崩しにも成功し、一呼吸つく時間を取ることができた。
その隙間を狙って、マフィンをごく近しい関係の人々にこっそりと振舞う。
新一が自己申告しなくても、どんなにマフィンの完成度が高くても。
手作りの温かみが見て取れるそれらが、蘭のお手製であることは誰の目にも明らかだった。
受け取った側はお決まりの「有難う」以外の言葉は述べず、無言で満面の笑みを返してくる者、申し訳なさそうな顔で小さく笑顔を浮かべている者に大別された。

前者は、新一の蘭の関係を見守りつつも、今後の進展に興味津々の嬉々とした笑顔。
後者は、学生である新一を時と場合を考慮せずに呼び出してしまうことと、その都度取り残されてしまう蘭に対する申し訳なさでいっぱいの、切ない笑顔。

立場上、新一を迎えにくることが多い高木刑事は、確実に後者のグループ。
新一としては、双方に対して苦い笑顔を返すだけ。
人の良い彼に悪気が全くないのは分かるが、時折その表情が蘭と被るように思えて、新一は更に苦い気持ちにさせられることもしばしばあった。


推理中は極限まで神経を集中させている為、事件以外のことはほとんど視野に入らない。
ただ、こうして少しでも緊張の糸が緩むと、高速の回転率を維持したままの新一の頭脳は、急激にいろんなことを考え始めてしまう。
その大半を占領しているのは、、、蘭のこと。
新一が昼夜を問わず事件に駆り出されてしまうことは、最早、日常茶飯事。
大学生となった今は、高校生の頃よりは時間的都合をつけやすくなっている為、少しは蘭の心配の種も減っているとは思いたい。
が、実際のところは分からない。
心配はされても、一度も「行かないで」と制止されたことはないから。

つい数時間前に見送ってくれた姿が、瞳が、次第にリフレインして。
ふと、蘭の声を聞きたい、と思った。

一度でもそう思ってしまうと、体は無意識的に動き、片手で携帯電話を操っていた。
通話ボタンを押そうと目にした液晶画面に、ハッと我に返る。
蘭からは常々「事件が終わったら、いつでもすぐに電話してよね?」と言われていても、表示されている時刻は、電話に適している時間帯からは到底掛け離れている。
早めのモーニングコールにしても、ようやく空が白み始めたくらいの頃合いでは、いくら何でも早すぎる。
そっと閉じた携帯をポケットに突っ込み、あまりにも分かりやすい自分自身の行動に対して、誰にも気付かれぬように新一は小さく肩をすくめた。


確かに、犯人は逮捕され、現在は別室で事情聴取中。
探偵としては、事件は一応「解決した」と言ってもいい。
だが、犯人逮捕=事件解決ではない。
証言を元にした現場検証、証拠の詳細な分析、事件を起こしてしまったことに対する動機の解明、、、その他諸々、事細かな業務が後に続く。
当然、それら全てに新一が関与する必要はない。
警部達も「ここまで付き合わなくても良い」と言ってくれるのだが、出来る限り、特に現場検証には立ち会うようにしていた。

数々の証言や物証、それらを組み立てて展開する推理には、ある程度の自信もある。
でも。
その自信は、決して100%にはなり得ない。
いつもどこかに、何かしらの見落としがあったのではないか、という疑念がつきまとう。
自らの内側にある疑心暗鬼を払拭する意味でも、自分の推理に間違いがなかったか確信を得ておきたい、というほうが本音だろうか。

奪われた命の重みと、その罪人の人生が、この手に掛かっているのだ。
生半可なことは、できない。


「新一が呼び出される」ということは、罪を犯すまでの道のりは多々あれど、そこには「マイナス方向に意図的な作為が存在する」ということ。
その彼を呼び出すのは警視庁捜査一課であり、この部署が取り扱うのは主に、目を覆いたくなるような残忍なものばかり。

元を正せば、犯罪を犯した犯人が悪い。
己の罪を誤摩化そうとするのも、度し難い行為だ。

消えてしまった命の炎は、もう二度と灯らないのだから。



新一は、捜査一課の片隅にあるソファで、事件の調書が出来上がるのを待っていた。
日が昇ってから行われる、調書に沿った現場検証に、警部達に混ざって立ち会わせてもらうことになっている。
薄明かりの差してきた東の空に視線を彷徨わせ、手元ではペットボトルを転がしながらも、思考回路は勝手に堂々巡りを続けていく。

偶然に手掛けた最初の事件から早数年。
ありとあらゆる「人の最期」を見てきた。
そこに絡み付く、ドロドロした複雑な感情も。
繰り返される「死」と「罪」は、どれひとつとして、決して同じものはない。


面白半分の罪も、ギリギリのところまで追い詰められて犯してしまった過ちも。
1人の探偵として、どちらも同じ刀で切り捨てていく。
刀を手にした瞬間から振り切るまでの間、心を消して、全ての感情を殺して。

使い分けなど、出来るわけがない。
あいにく、そこまで器用にできていない。



それでも、ふと思ってしまう。
勧善懲悪の世界観で全ての物事を量ることができれば、何と容易いことか、と。







太陽が完全に姿を現し、街が活気を帯びてくる頃―――
早朝からのシフト出勤者が姿を現し始め、捜査一課も若干賑やかになる。

明解な答えの見込めない論戦を1人で脳内展開しているうちに、新一は少しだけソファで転寝をしていたようだった。
多少ざわついた空気と窓から差し込む朝日が、新一を起こしてくれた。
考え過ぎの頭の中はいまいちスッキリしていないが、身体に感じる疲れが少ないのは、この服装のおかげだろう。
普段通りのスーツ姿で寝入ってしまえば、疲労度は倍増していたに違いない。
霧が掛かった状態の思考回路も、蘭の想いに照らされて次第に晴れ間が広がっていく。


引き継ぎのやり取りをしている刑事達を横目に、そろそろ電話しても良い頃だな、と新一は部屋の片隅に移動し、目立たないように通話ボタンを押す。
丁度1コール鳴らしたところで、とても寝起きとは思えない様子のソプラノが、新一の耳を心地良く揺さぶる。
その途端、悪戯っ子を思わせる光がチラッと瞳を掠め、等身大の工藤新一の表情になる。
探偵の顔から、一介の大学生の顔へと。

「Good morning, my dear. This is a wake-up call. Is it too early for you?(おはよう、蘭。モーニングコールにはちょっと早過ぎたか?)」
「え?ううん、それは平気だけど。」
「Well, you didn't sleep well last night, huh?(さてはオメェ、あんま寝てないんだろ、昨日?)」
「勿論、Yes, I did、よ。How about you, Shinichi?(勿論、わたしはちゃんと寝たわよ。そう言う新一はどうなの?)」
「Same as usual(いつもと同じ)、ってとこかな。つーか、オメェ、やっぱ寝てないな?」
「新一にだけは、睡眠時間のことをとやかく言われる筋合いは無いと思うんだけど。」
「あのなぁ、、、」
「The early bird catches the worm, doesn't it?(早起きは三文の得、でしょ?) ね、それより、事件はもう解決したの?」

蘭は、日本人が引っ掛かりやすい付加疑問の否定形にもすらりと答え、更に英語の諺まで付け加えるほどの余裕を見せている。
こっそり「少し驚かせてやろうか」などとと思っていた新一の小さな企ても、蘭の前では朝露のごとく消えてしまった。
新一が「あと2時間くらいで帰るよ」と予定を伝えると、蘭は弾んだ声で「じゃあ一緒に朝ご飯食べようね」と言いつつ「帰りに牛乳買ってきてくれる?」としっかり者の発言もする。
朝日の中、2人して、今はまだママゴトみたいな関係の会話を楽しむ。

もう、1人で暮らしていた頃のことが思い出せないくらいに。
耳から全身へと、乾いた大地に水が染み込むように、蘭の存在そのものが新一の心に潤いを与えてくれる。



昨夜考えたことは、探偵を続けていく限り、一生ついて回るだろう。
例えば、考え過ぎて眠れぬ夜を過ごしたとしても、お手上げして不貞寝をしても。
朝は誰にも等しく、必ずやって来る。

それならば。
昇り行く朝日に体を預けて、暖かな日差しをこの身に浴びよう。
冷えてしまった心は、きっと2時間後にはポカポカに暖まっていることだろう。


蘭という、至上の光を受けて。




携帯を閉じ、警部達とともに再び現場に向かう新一の歩調は、しっかりと前を向いていた。


— END —


新一主体で書き始めたら、どうにもこんな↑風にしかなりません。
しかも、こういう話になる筈じゃなかったのになぁ。

タイトルの「Silver lining」は、花梨的解釈によると「どんなに辛い時でも何らかの明るい兆しがあるはずだよ」てな意味です。←外してはいないけど、ちょっと付け足し気味(笑)
私的に好きな言葉だったりします。
そして、今回も懲りもせずに“なんちゃって英会話”を盛り込んでみたものの、、、これが一番自信無い!
ツッコミ、切実にplease!

そして、どうでも良い事なんだけど、、、
この後の2人の朝食は、きっと、カフェオレ&フレンチトースト(^_^;

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