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Spring Storm

朝寝坊とため息


迷宮なしの名探偵。
日本警察の救世主。

こんな大層なキャッチコピーを背負っている若者が、大欠伸を大量排出していた。


午前11時。
特に予定があるわけではない。
しかし、朝の惰眠をむさぼる時間にしては、若干太陽の位置が高い。

「どうせまだ何も食べてないんでしょう?」

本人にそんなつもりは無かったとしても、結局はモーニングコールになってしまった恋人の言葉に、新一は大人しく甘えた。
のろのろとベッドを抜け出し、玄関から新聞を取ってくる。

やけに座り心地の良いリビングのソファに誘われてしまわないように。
二度寝だけはするまい、とオーバーワーク気味だった頭を覚醒させるべく新聞を広げる。
なかなか眠気が抜けきらなくて、瞳は文字列を素直に追い掛けてくれないが。


三面記事を読み終える頃、インターホンが来訪者を告げた。
すぐに、この世でたった1人のために設定してあるキーコードの解除音が続く。
室内の空気が僅かに動き、最近ようやく「自分で鍵を開けて入ってくる」というハードルを飛び越えたばかりの恋人の声が、小さくリビングに届いてくる。

「おじゃまします。」

玄関先まで迎えに出ているわけではないのに。
礼儀正しく律儀な蘭は、きちんと声に出して挨拶をする。

誰もいないのに軽く会釈までしている姿が容易に想像できて、新一はくすりと笑った。
と同時に、玄関ホールとリビングを繋ぐドアからヒョコっと覗く、陽だまりのような笑顔。
右肩には鞄を、左手には馴染みのスーパーのビニール袋が2つ。

「よう、遅かったじゃねえか。」
「あ、新一。おじゃましてます。ごめんね、遅くなっちゃって。」
「いや、それは大丈夫だけど。もしかして今日、用事あったとか?」
「ううん、何もないよ。それより、ちゃんと起きててくれて良かった。」
「・・・おまえなぁ、オレを何だと思ってんだよ?」
「じゃあ聞くけど、前科何犯だと思ってるのよ?」
「5犯・・・で足りるわけないか。」

ははは、と笑う明らかに寝起きの髪には寝癖が数箇所。
寝巻き替わりにしているスウェットの上下はだらしなく着崩れ、肩で羽織っているのは半分ずれかけのパーカー。
広げていた新聞をやや乱雑に畳み、座ったままで首をコキコキと回している。
もし、名探偵の表舞台の姿しか知らない、ファンと自称する女の子達がこんな姿を目撃したら。
彼女達の脳裏に映し出されているであろう彼の営業用スマイルが、ガラガラと音を立ててど派手に崩れてしまうに違いない。
その瓦礫で一山できるかもしれないな、などと勝手に想像して蘭は小さく吹き出してしまった。

名探偵の実力を発揮するまでもなく笑われている原因を推理した新一は、それまでの眠そうな雰囲気を一蹴するような素早さを見せた。
蘭の目線は、あっという間に見下ろしていたはずの新一よりも低くなっている。
背中に感じる温かさと目の前で交差される腕に、ちょっとっ、と小さく抗議の声を上げた。
恋人を手中に収めた名探偵は、肩越しに囁く。

「そういう意地悪なことを言う口は、塞ぐしかないよなぁ?」
「・・・バカ。」


伏せがちに揺れる睫毛。
癖の無い、さらさらと流れる豊かな黒髪。
薄紅色に染まった頬。

半分振り向きながらそっと呟いた蘭は、間近で見ても息を呑むくらいにキレイで。
実際、本気で息をするのも忘れていたような気がする。
意識もどこか遠くへ飛んでいたかもしれない。
こういうのも惚れた弱みということなんだろうか。


大人しく固まったままの蘭の髪に新一の鼻先が触れ、次いで肩に手を乗せたとき。



ドカッ。



「・・・・・ってぇ。」
「真昼間から何バカなこと言ってるの。いつまでも寝ぼけてないで、食事の用意する間にちゃんと目を覚ましておいてよね!」

がら空きになった脇腹に型どおりの肘を喰らって、新一は本当に数秒間息を止める羽目になった。
たとえそれが手加減されたものであっても、蘭の空手技はあなどれない。
その華奢な体のどこからそんなパワーが生まれてくるのだろうか、と思わずにはいられないほどに。

蘭はといえば、肘鉄とともに新一の腕をすり抜け、抱きすくめられたときに手元から離れてしまった荷物をまとめ直していた。
蘭の到着が新一の予想よりも遅かったのは、きっとこの買い物も原因のひとつなのだろう。
LAに移住を決めた工藤夫妻との口約束を誠実に守り、不在にしていたときは勿論、戻ってきてからも何かと気に掛けてくれている。
今では主である新一よりもむしろ蘭のほうが、工藤家の台所事情に詳しい。
もっとも「新一の基準=蘭」なので他と比べようも無いのだが、いくら幼馴染から恋人同士に進展したといっても、普通はここまでの面倒はみてくれないだろう。
たまに繰り出される必要以上の手には正直勘弁して欲しいと思うが、そんなところも全部まとめて愛しさになる。

蘭は日頃の感謝の気持ちを示すべく手を貸そうとした新一を阻止し、くたりと床に置かれているビニール袋を真上から覗き込み、ひとつずつ中身を確認している。
途中でため息をひとつ零した後、黙々と手を動かし2つ目の袋を覗き込んでいる横顔には、新一があんまり見たくない色が滲んでいるような気がした。

手早く荷物を纏め上げた蘭が、キッチンへと続く扉の向こうに消えてしまう前に。
新一は慌てて声を掛けた。

「あ、あのな、蘭。オレ、別におまえを困らせかったわけじゃ・・・」

言い終えないうちに、ドアノブに手を掛けた状態の蘭が背中越しに投げてきた視線は、間違いなくいつもより温度が低い。
そんなつもりは、、、全然無かったとは新一には言えないが、蘭が心底嫌がっているようには思えなかったのだ。
だがしかし、それは新一の自己都合的解釈の中での話であって、本当はものすごく嫌がられていたのかもしれない。
そこまで思い至ってみると、どっさりと溜まっていた疲労感のようなものが新一を襲う。


なんか、軽く落ち込んできた。
まだ日は浅いとはいえ、オレ達、仮にも恋人同士なんだし。
それに、、、別に初めてってわけじゃないだろ?


折角治まってきた腹部の痛みが、苦味を伴って胸部に戻ってきたような気がする。
体まで急に重く感じられて、再びソファにぽすっと腰を落とした新一は静かに扉の開く音を聞いた。


「新一。」
「な、何?」

急に呼びかけられて、ケホっと小さく咳払いをしながら不覚にもどもってしまったのを誤魔化そうとしたが、効果はあっただろうか。
新一はだらけていた背筋を伸ばして次の言葉を待った。

「・・・ごめん。」
「あ、いや。オレのほうこそ。」

新一の朝寝坊の数には適わないが、蘭の空手技だって相当の前科がある。
勿論、被害を被るのは新一のみだが。

無意識的に脇腹に手を当て、身支度を整えるべくよろりと立ち上がる新一。
その姿を、戸口でチラッと振り返って立ち止まったままの蘭はじっと見詰めていた。

「何?」

同じ問いを繰り返してみたが、蘭は答えはない。
ただ、ドアを閉める際にもう一度小さく「バカ」と呟いたときの表情は、新一を完全にノックダウンさせた。
もう脇腹にも胸にも、痛みは感じない。



去っていく彼女の後姿に苦笑して、新一は取り敢えずバスルームに向かう。
ザバザバと顔を洗ってタオルで顔を拭き、手早く手串で髪を整える。
続いて自室に戻り着替えを済ませる頃には、キッチンから鼻腔へと美味しそうな匂いが流れてきて、そういえば今日はまだ何も口にしていなかったな、と急に空腹感が湧いてくるのだから不思議なものだ。

カーテンを開け、すっかり高くなった日差しを招き入れると、窓ガラスの中の自分と目が合った。
思わず口角が上がる。


要するに。

さっきの蘭の言葉から察すると。
「真昼間から何バカなこと言ってるの」ということは・・・

真昼間じゃなきゃ良い、ってことだろ?



きっと、驚いただけ。


・・・そうだよな?



今度こそ、自分だけの空回りではないことを願いつつ。
これ以上蘭の機嫌を損ねないうちに、新一はキッチンに向かった。


− END −


おっかしいなぁ、、、どうしてこんなことになってるの?
どこで間違ったんだろう〈遠い目〉。

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