ひかりの温度
       (Tea time with you act.3)






「お疲れさま、新一」
その笑顔を見るだけで、疲れが吹き飛ぶ。



せっかくの休日。蘭の部活が終わる昼過ぎから、2人で出かけるはず、だった。
数日前に蘭から誘ってきたのだ、断る理由なんて、ゼロ。

どうせ戻ってくるからと蘭は荷物を工藤邸に置き、仲良く門を出る。
「新一、携帯持ってないみたいだけど…大丈夫なの?」
胸ポケットに常時入れているのに、今日はポケットが膨らんでいない。
「いーんだよ。今日くらいは」
「…そっか」
ほんのりと頬をそめて、蘭が腕をからめてくる。
園子や志保に言わせれば『だらしのない』笑みを浮かべつつ、新一は、心の中で目暮警部達に謝っていた。

だが、1年365日、そうそう休日に都合よく事件が起こってたまるか。
たまには、普通の高校生らしい1日を望んでも、バチはあたらないだろう。
そうだ、悪いのは事件を起こす犯人なのだから。

その時、だった。
……蘭の携帯が鳴り響いたのは。




蘭ははじけるように新一から離れ、ショルダーバックの中から携帯を取り出す。
「はいっ、もしもし。
 …え、目暮警部…?」
彼女の言葉に重いため息をひとつ。
次に、蘭の前に手のひらを上にして、右手を差し出す。
「…はい、工藤です」

何度新一の携帯にかけても留守電になるばかり。
一縷の望みをかけて蘭の携帯にかけてきたらしい。

「がんばってね、新一」
そう言われたら、もう断ることなど出来なかった。
「終わったら、連絡するから」
「待ってる。
 あ、でも携帯持ってきてないんでしょ? 番号覚えてる?」
「ばーろ。たかが8桁の数字くらい、ここに入ってるに決まってんだろ」
とんとん、と自分の頭を指でたたく。
「じゃあ、大丈夫だね。
 …行ってらっしゃい。気をつけてね」

いつだって、蘭が新一を送り出すときの言葉は、決まっている。
それに背中を押されるように、新一はその場を離れた。
蘭を、ひとり置いて。




事件の片がついたのは、19時過ぎ。
家路を急ぐと、案の定蘭が夕食を作って待っていた。

「外に食べに行こうってさっき言ったろ?」
「んー…でも冷蔵庫見たら、結構色々入ってたし。どれも賞味期限が明日とかだったし?」
ふふっと笑いかけられる。
「…悪かったな」
むくれる新一に、蘭はまあまあ、と腕を引く。
「さ、ご飯にしようよ」


食事の後、大抵コーヒーか紅茶を淹れて、リビングですごす。
この前がコーヒーだったから、今夜は紅茶。
それも、いつのまにかそうなった習慣。
「今日は何?」
「アールグレイにするつもり。新一も好きでしょ?」
「あーあの香りがするやつ」
うなずいて、蘭はキッチンへと入っていく。
新一も後を追い、茶葉を探す蘭を横目に見ながら、やかんに水道水をいれ、火にかける。

「あ、あれ?」
ごそごそと、いつまでたっても蘭が引き戸の中を探している。
「見つからないのか?」
「うん…まだあったと思ったのにな」
「他のでも構わねーけど」
「あの香りの気分だったのに」
なおも諦めきれない様子の蘭に、新一はふとあることを思いついた。


「蘭、セイロンあるか?」
「あるけど…?」
「なら、それにしてくれ。ちょっと探しもんしてくる。
 あと角砂糖準備しとけよ、ふたつ」
「新一、砂糖いれるの?」
「今日は」
首をかしげる蘭を置いて、新一は2階へと上がっていった。



「淹れたか?」
「うん。
 …ね、何探してきたの? ずいぶんごそごそ探してたみたいだけど」
ティーカップに紅茶を注ぎながら、新一の手元を見ようとするが、うまく隠されていて何もわからない。
「普段使わねーから、手間取っただけ」
「ふうん…?」
カップを埋めていくのは、琥珀色の液体。
アールグレイほどの強い香りはない。アッサムのように、ミルクが似合うというようなこともない。
香りも濃さもほどほど。それがセイロンの良さ。
「それにしても…なんで角砂糖? 普通の砂糖じゃダメなわけ?」
「ダメっつーか、無理」
「???」
「んじゃ、電気消すぞ」
言うなり、新一がリビングの明かりを消す。
残るのは、テレビからもれる光。
「ちょ、ちょっと、何考えてるのよ!?」
いきなりのことであわてふためく彼女に、新一が笑う。
「別に、何も?
 …何なら、考えてやっても良いけど」
「え、遠慮しますっ!!」
「…即答かよ」

言うなり手に持っていたものを、テーブルに置く。
暗がりの中で、蘭が目にしたものは。

「ろうそくとマッチと、…お酒?」
しかもご丁寧に、ろうそく立てまで持ってきている。
「ブランデー。父さんの隠してる奴くすねてきた」
どこか誇らしげに、重そうな瓶を高く掲げる。
「飲むの? 未成年」
「大丈夫だよ、アルコール飛ばすから」
「飛ばすって…」

マッチでろうそくに火を点す。
リモコンでテレビを切ると、残るのはろうそくの明かりだけ。
新一は、ろうそくをテーブルから少し離れたソファテーブルへと、移動させる。
ぼんやりとした明かりが部屋に微妙な陰影をかもしだす。
「角砂糖は?」
「あったよ。奥に入ってた」
小皿にふたつ、四角く固められた砂糖。
「上出来」
満足そうにうなずいて、新一は蘭に座るようにうながす。

スプーンに角砂糖をのせ、小皿の上に置く。
ぽん、という音と共にブランデーのキャップが外される。
「うわあ、お酒のにおい」
「結構な値段するんだぜ。小さいくせにさ」
憎まれ口をたたきつつ、慎重に角砂糖の上にたらしていく。
「砂糖に含ませるの?」
「ああ」
次にマッチを手に取り、慣れた手つきで再び火をつける。
左手には持ち上げたスプーン、右手はマッチ。
「見てろよ、蘭」

目の前で、ひときわ明るく光が放たれる。
ブランデーのアルコール分が、近づく火を少しの間だけ、高く立ち上らせたのだ。
「うわあ…っ」
「結構きれいだろ? ブランデーの香りもするし」
「うん! ホントにきれい」
「あとは、紅茶に混ぜてできあがり。ブランデーティーとか、スピリッツティーって言われてるらしいけど」
「飲んでみてもいい?」
答えの代わりに、手の平を上に、『どうぞ』というしぐさを新一が蘭に見せる。
「いただきます」


ブランデーの濃厚な香りから、紅茶の本来の味は変わっているだろう、と想像していたのだが。
「ちゃんと、紅茶だね……」
「多少甘いし、アルコールが完全に抜けたわけじゃねーけど、まあ飲めるだろ?」
「不思議…もっと、お酒がきついと思ってた。あんなに砂糖にしみこませるんだもん。
 あ、だからセイロンって言ったのね?」
「そ。アールグレイとかだと、香りが反発するからな」

言いながら、新一は自分用に再びマッチを擦る。
カップを片手にそれを眺めながら、蘭はぽつりとつぶやいた。

「…なんか、ほっとする」
「? 味がか?」
「違うよ。今そのマッチの火を見て、そう思ったの」

向かい合わせに、ろうそくの明かりだけで蘭の表情をうかがう。


「蛍光灯の明かりって、機械的でしょ。光の強さは変わらないし、均一的だし。
 けど、ろうそくとかマッチの火って、違うんだよね。あったかいなあって思う。何ていうのかなー…護られてるって気がするの」
微量のアルコールが手伝っているのか、いつになく蘭はよくしゃべる。
「そんなもんか?」
「そうだよ。
 今のだって、すごくあったかい光だったよ? …ありがと、新一」
「どういたしまして」
「…なんか…」
「? 何だ?」
「う、ううん。何でもない」
蘭は首を数回左右に振り、カップに口をつける。
新一も遅れて紅茶を飲み、久しぶりのその味を、懐かしく思う。


「また作ってくれる?」
片付けの最中、蘭がたずねてきた。
「気に入ったのか? 別に構わねーけど」
「それだけじゃ…ないもん」
「じゃあ何だよ」

蘭の意図するところがわからずに聞き返す。
彼女はうっと詰まったかのように無言になり、その後しばらく皿を洗う音だけが響いた。

「黙ってちゃわかんねーだろ」
隣で洗い終えた皿を拭く新一の言葉にも、反応を示さない。
言葉を選んでいるのか、言う気がないのか。
こういうときの蘭は、ほっておくに限る。話したければ話す。それが蘭だから。


「…いちが……」
ふいに、蘭の声がした。
キッチンのシンクによりかかりながら、両指を組み顔はうつむいて。
「オレ?」
こくん、と彼女がうなずく。
「新一が、護ってくれてるみたいだから。
 ………だよ」
頬を真っ赤に染めているのが、髪に隠れていてもわかる。

無言のまま、彼女のそばに近づく。
「ばーろ。いつだって護ってやるよ。
 それに、さ。おめーだってオレを護ってるんだぜ?」
「わたしが…?」
「おめーいっつも、目暮警部に呼ばれて行くオレに言うだろ。『行ってらっしゃい、気をつけて』ってさ。あれ言われると、気をつけなきゃなって思うんだよ。危なくなったときも、おめーの泣き顔が浮かぶもんだから、これ以上泣かせないようにしようって気合入るし。
『お疲れさま』って言われたら、疲れが飛ぶしさ。
 …結局、蘭がオレを護ってるみたいなもんじゃねー?」

「そう……かな…」
「ああ」
「そっか。…良かった」
蘭の表情の全ては見えないけれど。
少なくともその声から、自分が言いたいことを理解してくれたのだとわかり、新一はほっとした。


その夜。
娘の洋服についたブランデーの香りに敏感に反応した小五郎が、深夜新一の家に怒鳴り込んできた、とか。

蘭から話を聞きつけた園子や志保に、彼女を酔わせてどうするつもりだったのか、としつこく追求された、とか。

新一が彼女のために作った紅茶のために、ひと騒動持ち上がったのは、言うまでもない。



*七海様のコメント*
サイト開設半年を記念して、花梨さん他より「紅茶話」をというご意見をもとに、作りました。
いや、ホントによくもったなと思います、6ヶ月も。
当初は、「3ヶ月もてばいいわね」と思ってたから。。
タイトル、悩んだ末につけました。
紅茶好きの花梨さんへ、捧げますvv


天然組曲の匂坂七海さまより、↑という訳で、ご自身のサイト運営半年記念にて書かれた小説です。
BBSにて「リクエストありませんか?」と書かれていたので「じゃ、紅茶話を!」と即カキコしたら、
なんと、この素敵な紅茶話を私にくださるとのこと!
七海さん、気前よすぎですってば。(読めるだけでも幸せvと思っていたのに、私/笑)
どうも有難うございましたvvv
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