「お疲れさま、新一」
その笑顔を見るだけで、疲れが吹き飛ぶ。
せっかくの休日。蘭の部活が終わる昼過ぎから、2人で出かけるはず、だった。
数日前に蘭から誘ってきたのだ、断る理由なんて、ゼロ。
どうせ戻ってくるからと蘭は荷物を工藤邸に置き、仲良く門を出る。
「新一、携帯持ってないみたいだけど…大丈夫なの?」
胸ポケットに常時入れているのに、今日はポケットが膨らんでいない。
「いーんだよ。今日くらいは」
「…そっか」
ほんのりと頬をそめて、蘭が腕をからめてくる。
園子や志保に言わせれば『だらしのない』笑みを浮かべつつ、新一は、心の中で目暮警部達に謝っていた。
だが、1年365日、そうそう休日に都合よく事件が起こってたまるか。
たまには、普通の高校生らしい1日を望んでも、バチはあたらないだろう。
そうだ、悪いのは事件を起こす犯人なのだから。
その時、だった。
……蘭の携帯が鳴り響いたのは。
蘭ははじけるように新一から離れ、ショルダーバックの中から携帯を取り出す。
「はいっ、もしもし。
…え、目暮警部…?」
彼女の言葉に重いため息をひとつ。
次に、蘭の前に手のひらを上にして、右手を差し出す。
「…はい、工藤です」
何度新一の携帯にかけても留守電になるばかり。
一縷の望みをかけて蘭の携帯にかけてきたらしい。
「がんばってね、新一」
そう言われたら、もう断ることなど出来なかった。
「終わったら、連絡するから」
「待ってる。
あ、でも携帯持ってきてないんでしょ? 番号覚えてる?」
「ばーろ。たかが8桁の数字くらい、ここに入ってるに決まってんだろ」
とんとん、と自分の頭を指でたたく。
「じゃあ、大丈夫だね。
…行ってらっしゃい。気をつけてね」
いつだって、蘭が新一を送り出すときの言葉は、決まっている。
それに背中を押されるように、新一はその場を離れた。
蘭を、ひとり置いて。
事件の片がついたのは、19時過ぎ。
家路を急ぐと、案の定蘭が夕食を作って待っていた。
「外に食べに行こうってさっき言ったろ?」
「んー…でも冷蔵庫見たら、結構色々入ってたし。どれも賞味期限が明日とかだったし?」
ふふっと笑いかけられる。
「…悪かったな」
むくれる新一に、蘭はまあまあ、と腕を引く。
「さ、ご飯にしようよ」
食事の後、大抵コーヒーか紅茶を淹れて、リビングですごす。
この前がコーヒーだったから、今夜は紅茶。
それも、いつのまにかそうなった習慣。
「今日は何?」
「アールグレイにするつもり。新一も好きでしょ?」
「あーあの香りがするやつ」
うなずいて、蘭はキッチンへと入っていく。
新一も後を追い、茶葉を探す蘭を横目に見ながら、やかんに水道水をいれ、火にかける。
「あ、あれ?」
ごそごそと、いつまでたっても蘭が引き戸の中を探している。
「見つからないのか?」
「うん…まだあったと思ったのにな」
「他のでも構わねーけど」
「あの香りの気分だったのに」
なおも諦めきれない様子の蘭に、新一はふとあることを思いついた。
「蘭、セイロンあるか?」
「あるけど…?」
「なら、それにしてくれ。ちょっと探しもんしてくる。
あと角砂糖準備しとけよ、ふたつ」
「新一、砂糖いれるの?」
「今日は」
首をかしげる蘭を置いて、新一は2階へと上がっていった。
「淹れたか?」
「うん。
…ね、何探してきたの? ずいぶんごそごそ探してたみたいだけど」
ティーカップに紅茶を注ぎながら、新一の手元を見ようとするが、うまく隠されていて何もわからない。
「普段使わねーから、手間取っただけ」
「ふうん…?」
カップを埋めていくのは、琥珀色の液体。
アールグレイほどの強い香りはない。アッサムのように、ミルクが似合うというようなこともない。
香りも濃さもほどほど。それがセイロンの良さ。
「それにしても…なんで角砂糖? 普通の砂糖じゃダメなわけ?」
「ダメっつーか、無理」
「???」
「んじゃ、電気消すぞ」
言うなり、新一がリビングの明かりを消す。
残るのは、テレビからもれる光。
「ちょ、ちょっと、何考えてるのよ!?」
いきなりのことであわてふためく彼女に、新一が笑う。
「別に、何も?
…何なら、考えてやっても良いけど」
「え、遠慮しますっ!!」
「…即答かよ」
言うなり手に持っていたものを、テーブルに置く。
暗がりの中で、蘭が目にしたものは。
「ろうそくとマッチと、…お酒?」
しかもご丁寧に、ろうそく立てまで持ってきている。
「ブランデー。父さんの隠してる奴くすねてきた」
どこか誇らしげに、重そうな瓶を高く掲げる。
「飲むの? 未成年」
「大丈夫だよ、アルコール飛ばすから」
「飛ばすって…」
マッチでろうそくに火を点す。
リモコンでテレビを切ると、残るのはろうそくの明かりだけ。
新一は、ろうそくをテーブルから少し離れたソファテーブルへと、移動させる。
ぼんやりとした明かりが部屋に微妙な陰影をかもしだす。
「角砂糖は?」
「あったよ。奥に入ってた」
小皿にふたつ、四角く固められた砂糖。
「上出来」
満足そうにうなずいて、新一は蘭に座るようにうながす。
スプーンに角砂糖をのせ、小皿の上に置く。
ぽん、という音と共にブランデーのキャップが外される。
「うわあ、お酒のにおい」
「結構な値段するんだぜ。小さいくせにさ」
憎まれ口をたたきつつ、慎重に角砂糖の上にたらしていく。
「砂糖に含ませるの?」
「ああ」
次にマッチを手に取り、慣れた手つきで再び火をつける。
左手には持ち上げたスプーン、右手はマッチ。
「見てろよ、蘭」
目の前で、ひときわ明るく光が放たれる。
ブランデーのアルコール分が、近づく火を少しの間だけ、高く立ち上らせたのだ。
「うわあ…っ」
「結構きれいだろ? ブランデーの香りもするし」
「うん! ホントにきれい」
「あとは、紅茶に混ぜてできあがり。ブランデーティーとか、スピリッツティーって言われてるらしいけど」
「飲んでみてもいい?」
答えの代わりに、手の平を上に、『どうぞ』というしぐさを新一が蘭に見せる。
「いただきます」
ブランデーの濃厚な香りから、紅茶の本来の味は変わっているだろう、と想像していたのだが。
「ちゃんと、紅茶だね……」
「多少甘いし、アルコールが完全に抜けたわけじゃねーけど、まあ飲めるだろ?」
「不思議…もっと、お酒がきついと思ってた。あんなに砂糖にしみこませるんだもん。
あ、だからセイロンって言ったのね?」
「そ。アールグレイとかだと、香りが反発するからな」
言いながら、新一は自分用に再びマッチを擦る。
カップを片手にそれを眺めながら、蘭はぽつりとつぶやいた。
「…なんか、ほっとする」
「? 味がか?」
「違うよ。今そのマッチの火を見て、そう思ったの」
向かい合わせに、ろうそくの明かりだけで蘭の表情をうかがう。
「蛍光灯の明かりって、機械的でしょ。光の強さは変わらないし、均一的だし。
けど、ろうそくとかマッチの火って、違うんだよね。あったかいなあって思う。何ていうのかなー…護られてるって気がするの」
微量のアルコールが手伝っているのか、いつになく蘭はよくしゃべる。
「そんなもんか?」
「そうだよ。
今のだって、すごくあったかい光だったよ? …ありがと、新一」
「どういたしまして」
「…なんか…」
「? 何だ?」
「う、ううん。何でもない」
蘭は首を数回左右に振り、カップに口をつける。
新一も遅れて紅茶を飲み、久しぶりのその味を、懐かしく思う。
「また作ってくれる?」
片付けの最中、蘭がたずねてきた。
「気に入ったのか? 別に構わねーけど」
「それだけじゃ…ないもん」
「じゃあ何だよ」
蘭の意図するところがわからずに聞き返す。
彼女はうっと詰まったかのように無言になり、その後しばらく皿を洗う音だけが響いた。
「黙ってちゃわかんねーだろ」
隣で洗い終えた皿を拭く新一の言葉にも、反応を示さない。
言葉を選んでいるのか、言う気がないのか。
こういうときの蘭は、ほっておくに限る。話したければ話す。それが蘭だから。
「…いちが……」
ふいに、蘭の声がした。
キッチンのシンクによりかかりながら、両指を組み顔はうつむいて。
「オレ?」
こくん、と彼女がうなずく。
「新一が、護ってくれてるみたいだから。
………だよ」
頬を真っ赤に染めているのが、髪に隠れていてもわかる。
無言のまま、彼女のそばに近づく。
「ばーろ。いつだって護ってやるよ。
それに、さ。おめーだってオレを護ってるんだぜ?」
「わたしが…?」
「おめーいっつも、目暮警部に呼ばれて行くオレに言うだろ。『行ってらっしゃい、気をつけて』ってさ。あれ言われると、気をつけなきゃなって思うんだよ。危なくなったときも、おめーの泣き顔が浮かぶもんだから、これ以上泣かせないようにしようって気合入るし。
『お疲れさま』って言われたら、疲れが飛ぶしさ。
…結局、蘭がオレを護ってるみたいなもんじゃねー?」
「そう……かな…」
「ああ」
「そっか。…良かった」
蘭の表情の全ては見えないけれど。
少なくともその声から、自分が言いたいことを理解してくれたのだとわかり、新一はほっとした。
その夜。
娘の洋服についたブランデーの香りに敏感に反応した小五郎が、深夜新一の家に怒鳴り込んできた、とか。
蘭から話を聞きつけた園子や志保に、彼女を酔わせてどうするつもりだったのか、としつこく追求された、とか。
新一が彼女のために作った紅茶のために、ひと騒動持ち上がったのは、言うまでもない。
*七海様のコメント*
サイト開設半年を記念して、花梨さん他より「紅茶話」をというご意見をもとに、作りました。
いや、ホントによくもったなと思います、6ヶ月も。
当初は、「3ヶ月もてばいいわね」と思ってたから。。
タイトル、悩んだ末につけました。
紅茶好きの花梨さんへ、捧げますvv
天然組曲の匂坂七海さまより、↑という訳で、ご自身のサイト運営半年記念にて書かれた小説です。
BBSにて「リクエストありませんか?」と書かれていたので「じゃ、紅茶話を!」と即カキコしたら、
なんと、この素敵な紅茶話を私にくださるとのこと!
七海さん、気前よすぎですってば。(読めるだけでも幸せvと思っていたのに、私/笑)
どうも有難うございましたvvv
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