Summer Sunshine          beさま




夏休みが始まったとは言っても、蘭は部活におわれていたから、結局、毎日、学校へと足を運んでいた。

いつもならば、部室と道場の鍵は男子部長の長居が開けるのだが、今日は都合が悪いからと、蘭に任されていた。
普段の時間よりも30分ほど早くに校門を潜り、直接、部室ではなく校舎の玄関から中へ入った。
職員室へと向かおうと、廊下を歩き出した蘭だったけれども、数歩進んだところで足を止めてしまった。

普段は、生徒たちの笑い声に溢れているから気付かなかったが、やけに、自分の足音が響く。
こうやって足を止めてしまうと、辺りは異様なくらい静かで、不安すら覚えてしまう。


まだ、太陽は東の空を上りきってはおらず、校舎の中もひんやりとした空気が漂っている。
もう少し時間がたてば、ジリジリと太陽に焼かれたコンクリートから発せられた熱で、ここの空気も温められてしまうだろう。
そうなれば冷房も動き出すのだろうが、今は、どこかで窓が開けられているのか、
清々しいとは言い難いけれども、吹き込んできた風が、蘭の髪を揺らしていく。

自分だけが知っている、秘密の場所のようで。

それでいて、人気のない校舎は、自分がよく知った校舎とは違って見えて。
シンと静まりかえった様は、自分が知らない場所のような不安を沸き立たせてくる。

それでなくても、蘭は、この季節になると交わされる『怪談』が苦手だった。
自分の幼馴染の探偵に言えば、一笑されてしまうようなことだけれども、怖いと思うものは止められなくて。
明かりのついていない廊下の先が、やけに遠くに見えてしまう。


毎日、通っている校舎なのに、何を馬鹿なことを考えているんだろう。

気を取り直して、蘭はまた歩き始めた。
職員室は、玄関から入って左手に伸びる廊下を直進せずに、すぐそこにある階段を2階に上ったところ。

階段の踊場を曲がったところで、逆方向から来た人影とぶつかりそうになってしまって、蘭は思わず後ろにのけぞった。

「わわっ!!!」

蘭本人は気付いていなかったけれど、仰け反ったせいで、そのまま体がグラリと傾いていた。
腕が伸びてきて、落ちそうになった蘭の体を支えてくれた。

「びっくりさせんなよ!」

心底、安心した声が聞こえて、蘭は改めてその人を見た。
もちろん、声が聞こえた時点でわかっていたのだが、この場にいるはずのない人物なだけに、確認したくもなってしまう。
ボーッと自分を見ているだけの蘭に、その声の主・新一は慌ててしまう。

「おい? どこもぶつけてねーよな?」
「あ、うん・・・。大丈夫・・・」
「なんだよ? 暑さでおかしくなったのか?」

冗談めいたことを言ってみても、蘭からはいつもの軽快な返答は戻ってこなくて。
またしても、新一は肩透かしにあったみたいで、同じように見つめ返してしまった。

「ど、どうして、新一がこんな時間に、ここにいるのよ?」

それは、至極、正しい質問で。
確か、昨日の夜に電話した時は、事件の捜査で福島にいると言っていなかったか。

「補習だよ、補習」
「え?」
「あれ? 言ってなかったっけ? ここんとこ、毎日、補習受けに午前中だけ学校来てんだぜ?」
「知らない・・・。聞いてないよ」
「そだっけ? まぁ、どっちにしろ、お前もその時間、部活してっしな」

そんな次元の話ではない。
もちろん、新一の行動全てを把握したいわけではないけれど。
蘭は、ちょっと不機嫌になる。

毎日、こんなに近くにいたんじゃない。

午前中の涼しい時間に部活を終えてしまおうと、空手部はいつも8時半から11時半までが部活の時間となっていた。
着替えを済ませて、家に帰るとちょうど正午頃で、探偵事務所でぼんやりとしている父に昼食を作る。
自分も一緒に昼食を済ませ、片づけを終えると、すでに13時を回っていて。
今度は、簡単に掃除と買物と。

結局、蘭が一息つけるのは、夕飯の支度をする直前くらいの夕方5時頃。
買物のついでに買ってきた冷たいオヤツと共に、冷やしてある麦茶を飲む。
そんなひと時に、ふと、新一のことを思い出して電話をしてみても。
いつも、事件の捜査だなんだと言って、飛び回っていたのに。

自分と同じように、毎日、午前中を学校で過ごしていたなんて。

色々な考えが、頭の中をぐるぐると回ってしまって、答えることも忘れ、表情だけがムッとしたものに変わっていた。
新一もそれに気付いて、しまった・・・とでも言わんばかりの顔になる。

「ま、まぁ、怒んなよ。オレだって、好きで出てきてるわけじゃねーし。
 1人、補習受けてるなんて、カッコ悪くて言えっかよ!」

思いっきり、言い訳である。
でも、格好悪いところを見せたくないという気持ちは本心で。
好きな人には、自分の良い所だけ見せたいというのは、誰しも同じ。
もちろん、悪い所もひっくるめて、全部を好きになっているのだから、そんな言葉も空回りしてしまうのだけれども。

「それより、いいのかよ? 職員室行くんじゃねーのか?」
「あああーーー!!」

新一の言葉に、蘭は自分がこの場所にいる理由を思い出して、慌てて階段を駆け上った。

「あ、ねぇ! 新一!!」
「あん?」

降りかけていた新一が、上から見下ろしてくる蘭を振り仰ぐ。

「補習、何時の終わるの?」
「11時だけど?」
「じゃあ、少し、待っててよ! 今日ね、お父さんいないんだ! 一緒に帰って新一にお昼御飯作ってあげる!」

言いたいことだけ言うと、蘭は新一の返事を待たずに、バタバタと駆け出していく。
そのスカートの裾がひらひらと舞って、新一はドキリとしてしまったけれど、気にする風もない蘭を見ていると、
自分の考えていたことに、赤面してしまう。


そうして、蘭の言葉を思い出してみて、今まで、補習に来ている事実を告げていなかったことを後悔した。
言っていたならば、こんな風に、蘭の手料理にありつけた可能性があったのに。

新一は、一旦、階段を下りると、図書館へと向かった。

本当は、今日は先生の都合で補習はなくなったのだ。
職員室でその事実を告げられた新一は、不機嫌になって帰ろうと階段を駆け下りてきたところだった。
蘭の手料理のためならば!
どうせ、手元には宿題の問題集が握られている。
図書館で涼みながら、これを片付けるのも、悪くないか。


新一は、優等生だったけれども勉強嫌いだった。

授業中も寝ているし、事件と聞けば飛び出していく。
それでも、校内1・2位の成績を取れるのだから、勉強しなくなるのも当たり前なのかもしれない。
子供の頃から、好きなことには没頭して突き詰めてしまう性格だから、高等教育など、すでに飛び越えてしまっているのだった。


図書館には3年生の姿が5・6人ほどあった。
まだ、朝早い時間だから、それでもこの人数がいるのだなと、改めて思う。
適当に窓からグラウンドが見渡せる席を取ると、とりあえず、問題集を広げた。

やっとかねーと、蘭が煩いしな。

毎年、毎年、帝丹高校では半端な数ではない夏休みの課題が言い渡される。
その多さに、未提出で終わる生徒も多いのだが。
蘭は、その点、真面目だから、自分がやるだけではなく、幼馴染の新一の進行具合まで、入念にチェックするのだった。

冷房の効いた図書館の中は、机や椅子までもが冷たく冷え切っていて。
先程の会話で火照っている新一の体と心を冷やしてくれるようだった。
掌を広げて、机にくっつける。
ひんやりとした感触に、熱が奪われていく。
気持ちよくて、反対の左手も同じように机に触れた。


締め切られた窓越しに、外で始まった部活動の掛け声が聞こえてきた。

ふと目をやると、サッカー部がランニングしている。
続けていたなら、自分は、あの中に一緒にいたんだな。

感慨ではないけれど、ふと、そんなことを考えてしまうのは、同じようにランニングしている空手部の面々を見てしまったから。
先程までおろしていた長い黒髪を、ポニーテールに纏めて、空手の胴着を着たままの姿で走っている。
額には汗が浮かんでいるのに、その表情からは、清々しさすら伺える。

自分もそうだった。
暑かろうが、寒かろうが。
例え、豪雨が降っていても。
サッカーは、そのくらいでは中止にはならない。
だから、練習も雨が降っても外を走り回る。

汗まみれ、泥まみれになりながらも、それでも、嫌だとは思ったことがなかった。
辛いだとか、苦しいだとかは思わなかった。


きっと、窓の外は、力を発揮しだした太陽に焼かれて、気温を上げているはずだ。

校舎の中の自分と、外を駆け回る蘭と。

快適な環境にいるはずの自分よりも、蘭の方がいい顔をしているのは、なぜだろう。


そんなことは、新一とてわかっている。
やりたいことをやるために。
自分にとっての1番を見つけているから。

軽く頭を振って、視線を目の前の問題集に戻した。

今、自分がやらなければならないことをしていこう。
それしかできないのだから。




外の気温がぐんぐんと上昇しているのに、図書館にいる新一の体温は下がっているようで。

少し寒気を覚えて、体を動かす。
かじりつきになっていたから気付かなかったが、もう、10時半を回っていた。
冷え切った体を温めなおすかのように、肩をまわす。
今度は、思いっきり伸びをして、背中を伸ばす。

相変わらず、外ではサッカー部員達がグラウンドを駆け回っている。
空手部の面々は、ランニングだけ済ませると、道場へ籠もっているらしく、見えているのは、サッカー部員と、
グラウンドの向こうのテニスコートを飛び交う、黄色いボールだけだった。

ずっと座ったままだった体が軋んでいる。

たまには、思いっきり体を動かすのもいいよな。

きっと、今のグラウンドは灼熱地獄だろう。
それでもいいやと、新一は荷物をまとめると、早々に図書館を後にした。




夏休みの部活は、すでに受験勉強に集中している3年生が抜けて、2年生が主体となっている。
秋の大会に向けて、新しいチーム作りをしながら、形を作っていく。

サッカー部の新キャプテンは、新一と同じ2−Bの上田だった。

制服姿のまま、グラウンドに入っていくと、上田を呼び止めて話をする。
すでに、顧問の先生も校舎の中へと逃げ込んでしまっていて、半ば、自主練習になっていた。
ちょうど、ミニゲームを始めようとしていたところだったから、渋る上田を丸め込んで、新一もちゃっかりと参加していた。
もちろん、制服のままというわけには行かず、上田が着替え用に持ってきていたTシャツと短パンに着替える。

5vs5で始められたミニゲームは、新一にしてみても久しぶりのゲームで。
キャプテンの上田にしてみても、1年生達にゲーム感覚をつける為のいい練習となって。

利害関係が一致して、ホイッスルが高らかに響いた。



天中高くまで昇った太陽は、容赦なくグラウンドに熱を降り注ぎ。
地面からの照り返しで、陽炎が立つほど。
周囲を取り囲むように植えられている桜の木には、セミがとりついていて、更に暑さを増す鳴き声を放っている。


自宅と、学校と、警視庁と。


最近は、その往復で、季節感すらなくなってしまっていた。
どこも適温に管理された環境で、汗をかくことすらなくなっていた。

「ぶっ倒れんなよ?」
「オレをなめんなよ。オレは、工藤新一だぜ?」
「はいはい。言ってろ」

中学の時、共にプレイをしていた上田だったから、新一の少しくらいの自信過剰に慣れている。
もちろん、言うだけのことをやってくれる、頼もしいプレーヤーだったから。

「お前が倒れたら、オレの責任になるんだからな」
「わかってるって。そんなヤワじゃねーよ」




炎天下を30分も走り回って。

だらだらと、汗を流して。

それでも、シュートを決めた瞬間には、最高の気分になっていて。




ハッと気がつくと、サッカー部のマネージャー達にまざって、蘭が仁王立ちしていた。

「あ・・・・」
「おっ。なんだ、毛利を待ってたのか?」
「んなんじゃ、ねーよ」
「はいはい。じゃあ、工藤はここまでだな。そのTシャツ、洗って返せよ?」
「・・・ついでに、タオルもあるとありがたいんだけどな?」
「図々しいヤツめ」

それでも、笑ってタオルを投げてよこすところが、上田のお人好しなところ。
だからこそ、キャプテンに向いているんだろう。


「わりー。蘭!」
「いつからサッカー部になったの?」
「堅い事、言うなよ」


あっちーと、今更ながら、手で首筋に風を送りながら、新一はグラウンドから校舎へと続く場所にある、水呑場に向かった。
蘭も文句を並べながら、新一の後に続く。

蛇口をめい一杯ひねって、水を流すと、頭から水をかぶった。

「気持ちいいーー!!」

そのままザブザブと髪と顔を洗う。
しばらく、水の力を借りて、体に溜まった熱気を冷ます。
屈めていた体を、思いっきり反らせると、水飛沫が飛び散った。

それは、太陽光に反射して、キラキラと新一の輪郭を輝かせた。

眩しさにドキリとして、蘭は言葉をなくして、ただただ、光る姿を見つめてしまっていた。
蘭が持っているタオルに手を伸ばしてきた新一と目が合ってしまい、思わず、逸らせてしまう。
今は、直視できそうになかった。

新一はそんなことには気付かず、奪い取ったタオルを頭からかぶってゴシゴシと水分を拭き取った。


「やっぱ、夏はこうでなくっちゃな!」


暑いから、涼を求めるのもいいのだけれども。
暑いからこそ、更なる熱を求めるのも、また、いいのかもしれない。



蘭は再び校舎に戻って、着替えを済ませるまで待っていた。
別に、外で待っていてもよかったのだが、サッカー部の部室は、あまりにも日当たりの良すぎる場所にあって。

「日焼けするから、中で待ってろよ」

と、さりげなく言われてしまえば、もう、蘭には反論の余地はない。
先程の、水飛沫をまとった新一の笑顔が頭から離れなくて。

そんな高ぶりを冷ますためにも、校舎の中は、最適だった。

日中の暑さをしのぐために、冷房が入れられていて、コンクリートの壁は、今ではその冷気を吸い取って冷えていた。
壁にもたれかかると、その冷気が制服を通しても蘭の体の熱を奪っていく。
そういえば、熱は温かいところから、冷たいところへと移動するんだったわね。
小学校の頃に学んだようなことを、今更ながらに思い出す。
それくらい、熱が吸い取られていくのを感じられた。


朝に感じていた、どこか寒々しい廊下とは打って変わって。
窓からは、眩しい程の光が差し込んできている。
校舎の中は静かなままだけれども、グラウンドから聞こえてくる生徒達の声が、かえって響き渡っている。

暗く伸びているように見えた廊下の先も、今は、明るく照らされていて。
あんなに不安に感じた自分がバカみたいに思えてくる。

「よ! 待たせたな!」

ひょこっと顔を覗かせた、悪戯小僧の瞳に、自然と笑顔が浮かんでくる。

ああ、そうか。

今更ながらに、納得する。
新一が、光を投げ込んでくれているんだ。


きっと、自分ひとりだったならば、人生なんて味気のないもので終わっていたのだろう。
でも、新一が一緒だから。


太陽の輝きにも負けないくらいの、輝く瞳で。
夏の熱気にも負けないくらいの、熱い情熱で。

後ろ向きになってしまいがちな自分の人生を、輝くステージの中央に運んでくれる。


校舎から出て、2人並んで帰路につく。
太陽は、これからが本番とばかりに、勢力を増しているようにさえ思える。

2人は負けじと、力強く歩いていく。

真夏の太陽という、スポットライトを浴びて。



― END ―



 
Fragile Heartのbeさまより、暑中お見舞いにいただいていた小説です。
(サイトアップが遅くなってスミマセン/汗)
今年の夏は猛暑で、暑いのが苦手な私にとってはかなり辛いのですが。(苦笑)
太陽の下で走り回る新一と、それを見守る蘭ちゃんが良いですねv
やはり夏生まれだと、夏の捕らえ方がお上手なのかしら?あ、いや、beさんだから、か!
とにかく、素敵なお話を有難うございました。
   

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