夏の想い出 〜木漏れ日の下で想うこと〜        maa様




 中央公園の裏手の道は、公園の敷地内に生い茂る樹木がせり出して、ちょっとした緑のトンネルが出来ている。
 この季節、見事に成長した枝葉が直射日光を上手い具合に遮って、そしてどういうわけか他の道よりも風が優しく吹き抜けていて、真夏だと言うのにそこだけ別世界であるかのように、穏やかな陽気となっていた。
 車通りも少なくて、公園の中より人通りも少なくて。
 ここのベンチは、蘭のお気に入りの場所の一つだった。

 公園の中にいれば、耳が痛くなるほどのセミの鳴き声でさえも、ここではどこか遠い別世界の音のように聞こえてきて、心地よいBGMとなってくれる。
 ・・・ここはとてもささやかな、自分だけの真夏の避暑地。

 実際、どうなんだろう。
 気温を測定して比べてみれば、きっと公園の中ともほとんど変わらないはずだ。
 ・・・蘭の気持ちの持ちようだけで、この場所が妙に過ごしやすく感じてしまうだけなのかもしれない。

 アブラゼミとミンミンゼミとヒグラシが奏でる、夏そのもののハーモニー。
 人によっては「暑苦しい」とか「うるさい」とか感じるのかもしれない。
 ・・・なのに、その音を・・・ほんのわずかの切なさとともに、妙に懐かしく感じてしまうのはなぜなのだろう。

 木漏れ日の下のベンチに深く腰を下ろし、蘭は小さく息を吐き出した。
 つばの広い白い帽子をちょっとあげて、木漏れ日の降り注ぐ緑の屋根を見上げてみる。
 うっすらと汗ばむような暑さの中で、この場所だけは・・・とても、居心地のいい涼しさに包まれているようで。

「・・・それはきっと、この場所が・・・いろんな想い出のある場所だから、なのかな・・・」

 誰に言うでもなく、ぽつりと呟く。

 この場所は。

 夏の想い出が・・・たくさん、ある場所だから。
 

※※


 例えば・・・あれは、10年前の話。

「・・・夏休みが終わったら、もう新一に会えなくなっちゃうの・・・?」

 泣きべそをかきながら呟いた蘭に、新一は困ったように頬をかいていた。

「・・・あのなあ・・・会えないっつったって、1年くらいの間だし・・・」
「でも・・・」

 新一の父である推理作家の優作が、アメリカでその著書を高く評価され・・・とある大学の客員教授として1年間だけ招かれることとなった。
 妻である有希子と一人息子の新一も一緒についていくことになり、1年間はアメリカで暮らすことになるのだという。

 ちょうど母の英理が家を出ていったばかりの頃だった。
 ただでさえ寂しくて、夏休み中、工藤家に入り浸っていた蘭は、新一からその話を聞かされて、ショックで思わず泣き出してしまったのだ。

「1年なんて、あっという間だろ? そしたらまた帰ってくるんだし・・・泣くなよ」

 新一は本当に困ったように、一生懸命そう言って慰めてくれたっけ。
 けれど幼い子供にとって1年という期間は、決して短くはない。
 そんなに長い間、新一に会えないということが・・・寂しくて、寂しくて。
 夏休みが終わるのが、嫌で嫌で仕方なかった。

 はじめは公園の中で遊んでいたのだが、その話を切り出した途端に蘭が泣き出してしまったため、困った新一が蘭を連れてきたのが・・・公園の裏通りにある、このベンチ。
 二人で並んで座って、日が落ちるまでずっと話をしていた。

「ぜってー、すぐに帰ってくっから! ・・・ちゃんと手紙も書くからさ」
「でも、アメリカの学校のほうが楽しかったら? むこうに友達がたくさんできたら、帰ってこなくなるんじゃないの?」
「んなこと、ありえねーよ! だって、あっちには・・・」
「・・・あっちには?」
「あっちには・・・その・・・蘭がいねーんだから・・・」

 顔を真っ赤にして、そんなことを言ってくれたっけ。
 ・・・思い出すと何だか笑いがこみ上げてきて、蘭はくすっと偲び笑いをもらしていた。

 この場所でセミの鳴き声を聞いていると、妙に物悲しくなってしまうのは、このときのことを無意識に思い出してしまうからかもしれない。
 新一は夏休みが終わるなり、両親とともにアメリカに渡ってしまった。

 ・・・のだが、結局、1ヶ月もしないうちに日本に戻ってきた。

「新ちゃんたら、どうしても日本に帰るんだってきかなくて・・・しょうがないから、優作だけ置いて戻ってきたのよ。蘭ちゃんがいないのが、よっぽど寂しかったのね」

 こっそりと有希子が蘭に耳打ちした言葉。
 当時は彼女の含み笑いが、どういう意味を持っているのかわからなかったのだが・・・今にして思えば、赤面モノの話である。
 まあ、この話を聞いて顔を紅くするのは、蘭よりも新一のほうなのだろうけれど。
 

※※


 そして、5年ほど前の話。

「・・・夏の大会、負けちゃったんだって?」
「・・・うっせーや」

 中学生になったばかりの夏。
 1年生のくせにサッカー部のMFとしてレギュラーに選ばれた新一は、「全国大会に行くんだ」って意気込んで、毎日毎日外が真っ暗になるまで、学校のグラウンドで練習していた。
 そして臨んだ地区予選は、見事に優勝。
 だが、続く都大会に臨む直前に、新一は練習中に誤って、右足を強く捻挫してしまったのだ。

 テーピングして出場する、と言って、最後まで監督に噛み付いていたみたいけれど・・・まだ1年生なのだし、無理はさせられない、ということで、強制的に自宅待機を命じられてしまった。
 そして新一を欠いた帝丹中学サッカー部は、2回戦負け。
 全国大会に出場することはできなかった。

「・・・新一が出てたら、全国に行けたと思う?」

 足が完治するまでは練習禁止を言い渡されて、夏休みの暇な時間を持て余していた新一を、蘭はこの公園に連れ出してきていた。
 部屋に閉じこもってぼーっとしているばかりなのを心配した有希子から、「蘭ちゃん、気晴らしに新ちゃんと遊んでやってくれない?」と頼まれたせいでもあるし、蘭自身も新一のことが気になっていたから。

 真夏日が続き、街はうだるような暑さが続いていたが、この公園の裏通りだけは、なぜか風が心地よくて・・・二人でこのベンチに並んで座って、ぽつり、ぽつりと会話を交わした。

「・・・わかんねーよ。オレが出てたって・・・結果は同じだったかもな・・・」
「そっか・・・」
「けど・・・」
「・・・けど?」
「・・・いや・・・何でもねーよ」

 何でもねーよ、と言った口調も俯いたその顔も、決して、何でもないとは思っていないのは明らかだった。

 きっと・・・悔しいんだろうな。
 全国に行けなかったことが、じゃなくて。
 自分の力で、その結果を決められたかったことが。

 あんなに一所懸命に練習したのに・・・それを発揮することができなかったことが・・・。
 そしてそれは誰のせいでもなくて、自分の不注意で怪我をしてしまったせいだから。

 それきり黙りこんでしまった新一の横顔は、まるで泣いているように、蘭には見えた。
 本当ならうるさいくらいに鳴いているはずのセミの声が、遠い世界の音に聞こえて、このベンチの周りだけが、静寂に包まれていた。
 そのまま何も話さずに・・・日暮れまで、二人でそこに座っていた。

「・・・蘭」

 帰り際、ベンチから立ち上がった新一は、蘭に背中を向けたままで蘭の名前を呼んだ。

「・・・何?」
「来年、絶対に行くからな」

 ・・・全国大会に。

 言わなくてもわかったから、蘭は「うん」とだけ頷いた。

 結局、次の年も、その次の年も・・・おしいところで全国行きは、逃してしまったのだが。
 それでも新一は自分の力で精一杯、ボールを追っていたっけ。
 ・・・だから新一があんな泣きそうな顔をしたのを見たのは・・・あのときが、最後だったような気がする。
 

※※


 そして・・・あれは、去年のこと。

「はい、蘭姉ちゃん、ジュースだよ」
「ありがと、コナン君」

 にっこりと笑って缶ジュースを差し出したコナンに、こちらもにっこりと微笑んでそれを受け取ると、小さな子供はなぜか頬を赤らめて俯いてしまった。

「どうかした?」
「な、なんでもないよっ!」

 不思議に思って顔を覗き込むと、ますます顔を赤くして、コナンはそれを誤魔化すように蘭の隣にちょこんと座った。
 そして自分の分の缶ジュースのプルタブを開けて、勢いよくそれを飲む。
 蘭も自分に差し出されたコーラを開けて、こくりと一口、口に含んだ。
 冷たい炭酸の刺激が気持ちよく口内に広がって、体内へと落ちてゆく。・・・それを楽しむように味わってから、缶を自分の足元に置いた。

「蘭姉ちゃん、もういらないの?」
「ううん。後で飲むよ」

 一口だけ飲んで缶を置いてしまい、読書の続きに突入してしまった蘭を不思議に思ったのか・・・コナンが首を傾げる。

「・・・でも、ぬるくなっちゃうよ」
「うん。・・・そだね」
「もしかして、喉渇いてなかった?」
「ううん、そんなことないよ」
「けど・・・」

 意外としつこく食い下がってくるコナンに苦笑して、蘭は諦めたように白状する。

「あのね、ほんとは・・・炭酸って、あんまり得意じゃないんだ」
「えっ!?」

 蘭の言葉に、コナンは目を丸くする。
 ・・・それはそうだろう。「飲み物買ってくるけど、何がいい?」と聞いてきたコナンに対し、「じゃあコーラお願い」と言ったのは、蘭のほうなのだから。

 空手部の練習がお休みで、小五郎が仕事で出かけていて。
 特にすることのなかった夏休みのある日・・・午後の時間を持て余して、蘭はこの公園裏のベンチに、読書をしにでかけてきた。
 同じく特に用事がなかったのか、「ボクも行くよ」とコナンがついてきて、二人でベンチに座っていたのだ。

 学校の宿題で、読書感想文を書かなきゃいけないから・・・と、コナンが読んでいるのは、とても小学生が読むとは思えないような分厚い推理小説。
 父である優作の影響で、子供の頃から小難しい推理小説を食い入るように読み漁っていた幼馴染の姿を、この少年の上に重ねる。

「蘭姉ちゃん・・・コーラ、好きじゃなかったの?」

 驚いた顔のまま、確認するようにコナンが問いかけてくる。
 それに対し、蘭はちょっと肩をすくめて笑って見せた。

「・・・好きだよ、コーラ。一気に飲めないだけ。・・・最初の一口は、ほんとに大好きなの」
「そうだったんだ・・・」
「それにね。新一が・・・よく、買ってくれたから・・・」
「・・・え・・・」
「どうしてだかわかんないんだけど、新一にジュースを頼むと、必ずコーラを買ってくるのよ」
「・・・・・・」
「だから・・・コーラを飲むとね、新一と遊びにいったときのこと、思い出すんだ・・・」

 ちょっと遠くを見るように目を細めて、コナンに言うというよりは、独り言のように呟く。

 しゅわしゅわと口の中ではじける炭酸の泡は、新一とのいろいろな想い出の一つ一つとリンクして・・・だから、一気に飲んでしまいたくないのだと。
 ・・・そんなことまでは、教えてあげないわ。

 ・・・ね?
 秘密だらけの探偵さん・・・わたしの秘密は、自力で暴いてみなさいよね・・・?

「ボク・・・蘭姉ちゃんのこと、知らないことがいっぱいあるんだね・・・」

 初めて知った『炭酸が苦手』という蘭の嗜好に、驚いたのか、ショックだったのか・・・小さな名探偵は、俯くようにしてぽつりと呟いた。
 それに対してくすりと笑ってみせて、蘭は悪戯っぽい口調で言ってやる。

「・・・そうよ。女の子はいっぱい秘密を持ってるんだから。・・・全部を知ろうだなんて、一生かけても、無理なんだから・・・」

 木漏れ日の光が眩しかったのか、コナンはふっと目を細めて蘭を見上げた。
 ・・・その表情が驚くほど大人っぽく見えて、蘭の心臓が一瞬跳ね上がった。

 結局、新一は。
 このとき蘭が言いたかったことを・・・今でも、わかっていないのだと思う。
 

※※


「・・・待ったか?」

 ベンチに座って風を楽しんでいるうちに、ちょっとうとうとしていたらしい。
 すぐ耳元で声をかけられて、はっと我に返ると・・・目の前に、困ったように微笑む新一の顔があった。

「新一・・・? 今来たの?」
「何だよ。寝てたのか?」
「んー・・・ちょっと、うとうとしてたみたい・・・」
「・・・ったく、こんなとこで・・・」
「だって、気持ちよかったんだもん・・・」

 真夏とは思えないほど肌に心地よい風が、とても気持ちよかったから。
 そう言ってにっこり笑ってみせると、新一はまた困ったように首をかしげた。

「・・・けどオメー、泣きそうな顔してたぞ・・・?」
「え・・・?」

 泣きそうな、顔・・・?
 わたしが・・・?

 新一の言葉に一瞬驚いたが、「ああ、そうか・・・」と、納得がいった。

 この場所には、いろいろな想い出があって。
 それは幸せな想い出だけど・・・どこか懐かしくて切なくて・・・ときどき、寂しくて。
 だから、無意識に泣きたくなっていたのかもしれない。

 ・・・そしてどんなときにも、隣には新一の姿があった。

 このベンチの隣には・・・いつでも、あなたがいたから。

「・・・ね、ちょっと座らない?」

 蘭の前に立ったままの新一の腕をそっと引き、隣に腰を下ろすように促した。

「あ?・・・映画、始まっちまうぞ?」
「いいじゃない。次の回でも」
「まあ・・・オメーがいいんなら、オレはそれでいいけどさ」

 促されるままに蘭の隣にどっかりと座る新一。
 その横顔を見上げて・・・蘭は小さく微笑んだ。

 いつだって、この場所がお気に入りだったのは。
 隣にあなたが、座ってくれたから。

 そして、風が・・・気持ちいいから。

 ここはとてもささやかな、自分だけの・・・蘭と新一だけの、真夏の避暑地。

 これまでも、そしてこれからも・・・たくさんの想い出を、はぐくんでゆく場所・・・。

〜fin〜


LOVE IS TRUTHのmaaさまの、暑中お見舞い小説を奪取して来ました。
私も炭酸飲料が苦手なので、ちょっと蘭ちゃんの気持ちが分かったりします。
(でも何故か、アルコールの場合はスパークリングとか好きだし、、、うーん/謎)
爽やかな風が吹き抜けるような、素敵なお話を有難うございますv
ご馳走さまでした。うふふっ


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