無窮(むぐう)深月さま2月14日の朝。 毎年必ず届く、母・有希子からのバレンタインのチョコレートの箱は、例年よりも大きかった。 中に入っていた、見慣れない箱と、メモ。 メモによれば、その箱の中身は真から園子へのマグカップで、ひょんなことから知り合った、園子の彼氏・京極真が、どうも日本の彼女・つまりは園子と目下喧嘩中であることを聞いた有希子がお節介をしたようだった。 「バレンタインに音信不通、か」 既に嵐の予感である。 その予感は、午前中からやってくるはずだった来訪者が鳴らした呼び鈴で、見事に的中が証明される。 (・・・既に気配が複数だぜ;) 「へいへい・・・」 このまま居留守を使おうとも思ったが、一緒に蘭がいる以上、無駄というものだ。 ドアを開ければ、「ジャジャ〜ン!少年探偵団っ!」という元気な声と共に子供たちが飛び出してきて、その後ろで蘭が申し訳なさそうに立っていた。 子供たちがいる為、毎朝恒例となっている「キス」もするわけには行かず、なんとなく予測していた事態とはいえ、急降下する機嫌はどうにもならない。 「で?」 「うん。なんか、新一にチョコレート作ってあげたい、って言うから」 「それって、バレンタインの、だよな?」 「うん」 「・・・宛主の家で、当日に作るって、変じゃねぇ?」 「そうかな?みんな、すごく張り切ってるんだよ?」 よっぽど新一が好きなのね、とまで言われてしまえば、文句も言えなくなる。 大体にして、文句を言うのなら、相手が違うな、と、新一は思った。 先ほどから、ちらちらと新一たちの様子を伺っている探偵団の視線が痛い。 (・・・何を吹き込まれたんだか) 幸い蘭は、来て早々、キッチンへ急行して行った探偵団の、その気配には気づかず、まだ距離を詰めたところに立っていてくれているが、やっぱり、おはようのキスはしてくれないらしい。 (今やったら、怒るんだろうな) やれやれ、と肩をすくめて、「おいっ!先に手を洗えよっ!」と、家主もキッチンへと向かった。 「チョコレートは歩美たちだけで大丈夫だから、新一さんは蘭お姉さんと一緒にゆっくりしててね!」 と、かわいらしく気を使っていただいたので、現在二人はリビングでコーヒーを飲んでいる。 さすがは武道家。 見られている気配を感じているのか、仕草がいつもよりもよそよそしい。 その“距離”に新一が不機嫌になれば、蘭に「チョコあげないわよ」と脅されてしまった。 ・・・完全に白旗である。 (くっそ〜 園子めっ!) 犯人など、決まっているのだ。 先に蘭の家へ向かわせ、蘭に探偵団の弁護をさせる、鮮やかな作戦。 そんな小悪魔的思考の持ち主は有希子・哀・園子の3人だが、有希子にこんな小細工をする理由はないし、仕掛けたのが哀ならば、この場にいて自分のポーカーフェイスが崩れる様を喜んで観察するに違いない。 まぁ、気になるとしたら「レシピ」の出所だろう。 園子には悪いが、彼女は「暖かいレシピ」で最後の一押しをさせるほど、頭は回らないはずだ。 蘭の「怒ってるなぁ〜 どうしよう〜」という上目遣いの視線を感じて、とりあえず推理を中断する。 ここまでは園子の思い通りだったとして、だからと言って大人しくしていなければならない理由など、どこにも無いのだ。 大人気ないとか、子供の前で、とか、関係ない。 (・・・大体、アイツら、俺が吹き込む前に「マセガキ」だからな) 「で、蘭?いつになったら「挨拶」してくれるんだ?」 カップを置いて、にやりと笑う。 「な、なななっ?」 蘭が口をパクパクさせながら新一を見るのを、面白そうに眺める。 「挨拶は基本だよなぁ〜?」 「ば、バカ言わないでよっ!できるわけないでしょっ!」 「へぇ?」 「・・・あとで必ずするから」 お願いだから、今は許して、という蘭の可愛らしさに負けそうにならないでも、ない。 「でもよ、このままコイツらが帰らないで、夕方になっちまって“送って帰る”なんていうオチになっちまったら、どうするんだ?どうせ“外だからイヤ”なんだろ?」 「うっ」 「オメェが念押しするから、俺だってこの通り、携帯も切って、予定空けてたのによ」 「・・・」 さて、もう一押しだろうか。 小さな監視の目を感じる。 「ホラ、するなら今のうちだぜ?」 「いやよ、子供たちがいるのにっ」 (案外しぶといな) 新一は苦笑して、ソファに背中を預けるように大きな態度で座りなおすと、交渉を再開した。 「ふぅ〜ん。俺、今日の午前中は本屋に行く予定だったんだよな・・・」 「・・・」 赤くなったり、蒼くなったりを繰り返していた蘭だったが、赤くなる時間が増えた。 それは、少しは前向きに検討しているという兆候だろうか。 (・・・さて、探偵団には、ちょ〜っと下がってもらおうかな) こちらを観察している気配・・・歩美と光彦だろうか?・・・に、見えないように口角を上げて、うつむいた蘭のカップに手を伸ばす。 「コーヒー、もう一杯飲むか?」 形だけ尋ねて立ち上がると、小さな足音がキッチンへ引っ込んでいった。 (・・・甘いね) 覗いていたことを必死に隠そうとする探偵団に、笑ってしまいそうになる口元を押さえ、新一は元太の抱えるボウルに手を伸ばす。 「ったく・・・貸してみな。中身なくなっちまうじゃねぇか」 安心した様子の光彦に、心の中で小さくわびる。 (悪いな、行動のコントロールって言うのは、こうやってするんだぜ?) しばらくの間、蘭と自分から意識をそらせるために、彼らの探究心をキッチンに押さえ込む。 うんちくを述べながら、手馴れた手つきで技術を見せれば、3人は新一の日常生活に興味を惹かれたようだった。 (・・・はい、一丁上がり♪) 「んじゃ、頑張れよ〜」 そうして、コーヒーをリビングに持ち帰る。 これで彼らはしばらくキッチンに留まるだろう。 先日「台所の捜査・観察の基本」を教えたばかりだから、なおさら。 (せいぜい捜査してくれよな。ま、蘭にお世話になってるのが確認されるだけだろうけどよ;) しばらく、探偵団が本当にキッチンに留まるか様子を見るために、リビングに残った新一だったが、まもなく聞こえてきた小さな物音に、蘭に気づかれないよう、満足げに微笑んだ。 「何してるのかな?」 「・・・実践練習してるんだろ?」 「??」 「一昨日、キッチンの捜査法、教えたから」 「新一ぃ?アンタ、子供になんてこと教えてるのよ」 「知識は多いほうがいいだろ?」 「・・・そうかなぁ?」 蘭は新一が先ほど新たに持ってきたコーヒーを口に含みながら首をかしげている。 一応広げていた英字新聞・・・中身は全く読んでいない・・・に視線を落としながら、「で、今ならチャンスだと思うけど?」と、改めて話を持ち出した。 蘭があきれたようにため息をつく。 「まだ言ってるの?もうっ、みんなが帰ってからでいいでしょっ?」 「いやだね。アレがなくちゃ、俺の一日は始まらないモンでね。バレンタインにならなくっちゃ、蘭のも、あいつらのも、チョコレートは受け取れないよ?」 一生懸命新一への感謝の気持ちを作っている、と、純粋に信じている蘭は、それを受け取らないという新一の脅しに、とうとう折れた。 「分かったわ。ちょっと来て・・・」 照れながら洗面所に自分を連れて行く蘭についてきながら、“報告書の足しになるように”と悪戯心を出して、ドアに2cm程の隙間を作る。 蘭は「ホントにしょうがないんだからっ!」と文句を言いながらも、覚悟を決めかねるように視線をめぐらせていた。 「もう、すぐ戻るんだからね?」 「分かってるよ」 答えながら、蘭を壁と自分で囲ってしまう。 これで、おそらく覗いているであろう探偵団からもみえない。 そして、囲われてしまうことで、蘭も安心したのか、その表情に「仕方ないな」というものだけではない、甘い視線が混じり始める。 蘭が目を閉じて、背伸びをする。 ゆっくりと近づいてくる、チョコレートなんかよりもずっと甘い唇に、新一も満足げに目を閉じた。 ・・・のだが。 「ちょっと元太君押さないでっ・・・きゃっ!」 ドサっ!と、外で物音がしたと思ったら、ドンっ!と、突き飛ばされ、結果的に新一は、ガンっ!と、鏡に後頭部をぶつける羽目になったのだった。 (無窮自在とはよく言ったもんだぜ・・・;) “申し訳ない”と少しだけ思う一方で、9割くらい“自業自得よ!”と思っているに違いない蘭は、「どこで計算違いをしたんだろう?」と、後頭部をさすりながら首をひねる新一に、冷たい一瞥をくれていた。 *** 翌日。 「おはよう、工藤君」 インターホンに応えて、ドアを開けると、そこに立っていたのは隣家に住む哀であった。 「昨日は楽しかった?」 差し出されるのは、フォンダン・ショコラ。 (・・・レシピを教えたのはコイツだな?) 「あぁ、おかげさまで」 「その様子だと、とても楽しかったみたいね。 これ、冷やして食べるようにアレンジしてみたの。 13日に試作して、結構おいしかったからあげるわ」 「・・・」 つまり、冷えていても問題ないものを、わざわざ、当日押しかけて、作ったと? 「ハッピー・バレンタイン! ・・・お返し、期待してるわ」 言うだけ言って、すたすたと戻っていく小悪魔の後姿に、新一はその場に座り込んだのであった。 <無窮(=無窮自在)> 思いのままになるさま
Refugeの深月さんの「1文字お題」の作品の中から、バレンタインネタのお話です。 | 新一が策士なところも、相変わらず男前なところも、惚れ惚れしますねv でもちょこっと年相応だったりするところも、やっぱり新一らしかったりするし。 毎度毎度、『素敵・新一』を堪能させていただいております。 ・・・我が家の『迂闊・新一』に、爪の垢を分けてやってください(^^; 今年は更に本業である学業がお忙しそうなのですが、どうかお体にはお気をつけて。 距離的には更に遠くなってしまいましたが、応援していますv
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