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(理由、理由、、、、えーと、何だったっけ?) 新一は授業も上の空で、蘭がほのめかした『空手を始めた理由』を思い起こそうと躍起になっていた。 小学生のときに始めた蘭の空手暦も、確か今年で3年目になる。 「中学に進んだら空手部に入る」と言っていたから、まだまだ続ける気でいるのだろう。 しかし、何で空手なんだ?おっちゃんがやってたのは柔道だし、蘭の母親だって一本背負いはできたみたいだけど、別に武道をやっていたわけじゃなかったよな。 考えれば考えるほど、春の霞のように、新一の思考は淡く鈍っていくのだった。 *** ゴンッッ。 新一の周囲、半径1メートル四方に鈍い音が広がり、遠慮がちな笑いが後に続く。 頬杖を付いていたはずの掌で健かに打ち付けたおでこを摩りながら、新一は上半身を起こした。 どうやら、いつの間にか転寝をしていたらしい。 今や空手の有段者で帝丹高校空手部の主将となっている蘭は、一瞬右斜後ろに振り向き、「しょうがないなぁ」という目線だけを残して、すぐ前に向き直ってしまった。 先生の説明など右から左へ聞き流している新一と違って、蘭は生真面目に黒板を書き写し、ときには教科書にも何か記入しながら授業に集中しているようだ。 聡明すぎる新一の頭脳にとっては、どの教科にも物足りなさが感じられる。特に受験英語で育ったこの教諭が担当するリーダーの授業内容は、ネイティブ並みの英語力を持つ新一にとって最も退屈する物のうちのひとつだった。 それは相手にもしっかり伝わっているようで、明らかに聞いていない態度をとっている新一のことを、良くは思っていないらしい。 授業中なので一応顔は前を向けておくが、教壇からチラチラと寄せられる微弱な敵意には、最初から無視を決め込んでいる。それより、次々と湧き出てくる欠伸を噛み殺すほうに気を配りながらも、新一の目線は左斜前に釘付けになっていた。 あの頃とは比べ物にならないほど、一段と女の子らしく、というより女性らしくなった、蘭。 それに引き替え、あの頃も今も、相変わらず知的好奇心が旺盛なだけの、新一。 いつの間に二人は、こんなにも違ってしまったのだろう。 日が暮れるまで遊び回った頃には、こんな気持ちになることはなかったはずなのに。 外見上の差はすぐに追い越してしまった。 しかし内面的な差は広がっていくばかりで、自分でもわからない何か複雑なものが、新一の心を絡めて離さないでいる。 過去と現在に思想を彷徨わせながら、しばらく収まっていたモヤモヤとした感覚が胸に蘇ってくるのを、新一は受け止めていた。 本人達がどう弁解しようと周囲からは『夫婦』扱いされるようになった今でも、二人の間に目には映らない壁の存在を感じることがある。 だからと言って、『幼馴染み』という肩書きが変わらないのと同時に、『新一の隣に蘭ありき』という物理的距離感も変わらない。 ただ、一緒にいることに理由などいらなかった分、幼い頃のほうが、もっと深いところで傍にいられたような気がする。 理由? いつからそんなもんが必要になっちまったんだ、オレには。 知らぬ間に胸にあてていた拳を下ろし、堂々回りに陥った思想のループから抜け出すために、軽く頭を振った。 それでも、目線だけは動かせずに固定されたままになっている。 普段あまりじっくりと見ることもない角度からの姿に、顎のラインが綺麗だな、と改めて思ってみたり。 細く開けられた窓から入り込む風に揺れている、長くつややかな黒髪を目で追ってみたり。 自然とそんな行動をとっていることに気付いてハッとした頃、新一に形勢を立て直す隙を与えぬ間に、他には聞こえないような小声の突っ込みが、左隣の席の園子から入ってきた。 「そこ、良い席でしょう?蘭のこと、眺めたい放題だもんねぇ」 「何つまんねぇこと言ってんだよ、バーロー」 新一が必死に取り繕った平静さも、園子には通用しなかったらしい。 「あら、別にいいのよ、やせ我慢しなくても」 「ちがうっつってんだろ!」 今にも笑い出しそうな口調と好奇の色を称えた瞳を向けられ、わずかに跳ね上げたボリュームの反論が教室内に響き渡る。 しまった、と思ったときには既に数組の視線が新一に集中し、蘭も驚いたように振り返って目を丸くしていた。 「で、私の授業の何が違うって?」 教壇から届いた声に、そこまで聞こえてたのか、と頭を抱えたくなる心境を押さえ、のろのろと立ち上がった。 「・・・いえ、なんでもないです」 「工藤くん、あなたが授業を聞いていようといまいと関係ないけど、他の生徒達の邪魔だけはしないでよ。わかった?」 普段なら得意の営業用スマイルでやり過ごす所なのだが、冷気を含んだ声で一括され、常日頃の授業内容に不満を募らせていた新一はつい反撃に出てしまった。 「If you have time to ask me that, think more meaningful class. Don't you think so?」 (そんなことを僕に言っている暇があるのなら、もっと有意義な授業内容でも考えたらどうです? そうお思いになりませんか?) この胸のモヤモヤは、ときどき新一自身にも説明の付かない行動をとらせてしまう。 担任でもある英語教師に目線をぶつけたまま、するすると淀みなく吐き出されたクイーンズ・イングリッシュに、クラス全体が一様にポカンと口を開け、しばらくは身じろぎもしなかった。 とりあえずバカにされたことだけは嗅ぎ付けた担任も、タイミング良く鳴り出したチャイムに助けられた形で、さっさと職員室に引き下がって行った。 「・・・ったく、オレより英語出来ねぇからって、散々嫌味言いやがって」 警視庁からの連絡もなく、久しぶりにホームルームまで平穏無事に過ごせたと思っていたところ、その後で新一を呼び出したのは、担任のリーダー教師だった。 職員室の一角でチクチクと小言を聞かされた挙げ句、欠席しがちな新一のための特別課題をお土産としてたっぷりと持たされた。夕闇の中、帰途につく足取りも重い。 (ま、実際あれは大人気なかったよな。オレもまだ修行が足りないってことか?) 再燃しそうな苛立ちを消去して重い門扉を開けると、玄関の前にしゃがみ込む人影が目に入った。 見紛うことのないその姿に、慌てて駆け寄る。 「どうした、蘭? 何かあったのか?」 「良かったぁ。また事件で出掛けちゃったのかと思った」 ゆっくりと顔を上げた蘭は、膝を抱えたまま眠そうな目を擦っている。制服のままだが、荷物は通学用の鞄と空手着、それにビニール袋がひとつ。 一人暮らし暦も3年になろうとしている新一だが、やはり帰宅時に誰かが迎えてくれるのは嬉しいし、ホッとする。しかし、いくらセキュリティは万全に整えている我が家であっても、陽も沈んで薄暗い中をひとり佇んでいるのは感心しない。 そんなことをぐるぐる考えていた所為か、無意識に顔が強ばっていたらしい。勢い良く立ち上がった蘭は、新一の顏を心配そうに覗き込んだ。 「なあに、怖い顏しちゃって。まだ機嫌悪いの?」 「生まれつき、こんな顔なんだよ」 「あきれた。良くそんなので探偵なんかやってられるわね。ここんとこ、皺寄ってるじゃない」 トンッと華奢な人指し指で眉間を突かれ、誰の所為だよ?とは言えず、新一は別の答えを返した。 「オメェこそ、こんなとこで何やってんだよ?おっちゃんが心配すんだろ?」 「お父さんなら夕飯の前に飲みに出掛けちゃったから、大丈夫よ。で、食材が余ったら勿体ないから、新一にお裾分けしてあげようと思って」 新一が押し開けたドアからするりと屋内へ入り、キッチン借りるわね、と蘭は玄関ホールからリビングへと進んでいく。 「おい、ちょっと、、、」 「料理が出来上がるまでに、ちゃんと課題やっておくのよ? どうせ溜め込んでるんでしょ?」 新一が引き止める間もなくキッチンに直行していった蘭に、これは何言っても無駄だな、とリビングで大人しく蘭の指示に従うことにした。 キッチンのほうから程なく聞こえてきた蘭の鼻歌と調理の音が心地よいBGMとなり、新一は超人的なスピードで課題をやっつけることが出来た。何か飲もうと思って開けたキッチンの戸口に寄り掛かり、相変わらず手際の良い蘭の後ろ姿を黙って見つめていると、授業中にはあれほど角張っていた気持ちも丸くなってくる。 ホントに不思議な奴だな。 顔を見た途端に、オレの中のイライラやモヤモヤを吹っ飛ばしてしまうのだから。 「ゴメン、新一、そんなにお腹空いてたんだ?あとは盛り付けるだけだから、もう少し座ってて」 背後に感じた視線を「空腹サイン」と勘違いした蘭は、ガスコンロに向かったままの姿勢で新一に指示を出した。見事に視線の意味を取り違えている蘭と、素直に蘭の言葉に従っている自分自身とが無性におかしくなって、つい緩んでしまう頬を押さえきれず新聞で顔を隠した。 トレーを手にダイニングルームへ入ってきた蘭は、新聞の隙間から見えた新一の笑顔に満足して、二人分の食事を配置していく。 「おまたせ。さ、温かいうちに食べよう?」 新聞を取り上げられて目線をテーブルに移すと、素朴だが食欲をそそられる料理が並べられている。しかし、そのメニューは謎の組み合わせだった。 「なぁ蘭、作ってくれたのは非常に有り難いんだけどさ、、、なんだよ、このメニューは?」 湯気の立ち上るサーモンクリームシチュー、チェダーチーズを散らしたサラダ、何かの魚の香草焼き、とそこまでは由としよう。更にじゃこ御飯、切り干し大根、と続いている。 「外面だけは良い新一が授業中にあんなこと言い出すなんて、よっぽどイライラしてるんだろうな、と思って。だから『必殺・カルシウム強化メニュー』にしてみたんだけど?」 「外面だけ、は余計だよ。でも、ま、サンキュー」 食べてすぐ効能が出るわけじゃねぇんだけどな、と内心で思いつつ、蘭の心使いという一番効果的な処置を受けた新一は、別人のように上機嫌で全てのお皿を空にしていった。 一方、曇りのない笑顔でそう答えられた蘭も、部活の途中で立ち寄った職員室で垣間見た、新一のふて腐れたような固い表情が気になって仕方がなかったのだが、これでようやくひと安心できるというものだ。 普段なら、フラフラと飲み歩く父親に手を焼くことも多い。けれども今日は、外出してくれた小五郎に感謝しておこう。こうして新一の笑顔を引き出すことが出来たのだから。 おかわりを要求してきた新一に、自然と蘭も笑顔がこぼれる。 美味しい料理と笑顔にあふれたディナータイムはあっという間に終わり、今度はリビングに場所を移して、食後のコーヒータイムに突入した。 いつもはブラック派の新一も、今日は蘭にカフェオレを強要されてしまっている。 それでも自分用に作ったものより幾分ミルクを少な目にしてくれたところが、いかにも蘭らしい。 両手でマグカップを包んでいる軟らかい笑顔を、新一は湯気越しに見つめていた。 「何か、お礼しないとな。」 「いいわよ。別にそういうつもりで御飯作ったんじゃないんだから」 「え、だってオメェ、わざわざこっちに寄ってくれたんだろ?」 制服にスーパーのビニール袋、という出で立ちを見て、新一には予測が立っていた。 メニュー決定の理由を聞いた時点で、それは決定的になったのだが。 わずかに目を見開いてから見せた蘭の照れ笑いが、新一の推理を肯定していた。 意地っ張りで遠慮がちな蘭が答えやすいよう、新一も言い方を変えてやる。 「じゃ、この前の都大会優勝記念、ってことでもいいぜ?」 「そう?じゃあねぇ、、、トロピカルランドに行きたいな、わたし」 そんなんで良いのか? という答えの代わりに、ふと甦ってきた疑問が滑り落ちてきた。 「そういえば、オメェ、何で空手始めたんだよ?」 詰め寄ってくる新一に、え?と目を丸くして、蘭はソファに座ったままの状態で半歩身を引いた。 ちょっと考える素振りのあとで満面の笑顔を向けて言い返された答えに、新一は虚を衝かれた。 「決まってるじゃない。“約束破りの常習犯”を懲らしめるため、よ」 「・・・あのなぁ」 いくら新一がジト目で睨んでみても、クスクス笑うばかりの蘭はそれ以上何も言わなかった。 どうもはぐらかされたような気はするのだが、心底楽しそうに笑う姿を前にすると、新一にはこれ以上理由を聞き出せなくなってしまう。 まっすぐ見据えられた新一の視線から外れると、蘭はそそくさとマグカップを片付けだした。 「わたし、そろそろ帰るね。もうじきお父さんが帰ってくる時間だから」 「じゃあ送っていってやるよ」 「走って帰るから大丈夫。近いんだし」 そういう問題じゃないんだよ、と蘭の鞄を掴むと、新一はさっさと玄関に向かって歩き出した。 蘭もそれに習って、並んで歩いて行く。 待ち合わせ場所はどこにする?とか、トロピカルランドではどこを回りたい?とか、そんな話をしながら、あっという間に毛利探偵事務所のすぐ手前の角まで辿り着いてしまった。 「ここまででいいよ。ありがとう」 「オッケー。じゃ、来週の日曜日は空けとけよ?」 「うん、わかった。新一こそ忘れないでよ?」 ああ、まかせとけ、と言いつつ、いくつも破ってきた約束の数々が、頭の中を素通りしていく。 階段を登っていく蘭の後ろ姿を見届けてから、ポケットに両手を突っ込んで今来た道を引き返した。 あてにならないこんなオレのことを、蘭はいつも待っていてくれるんだよな。 それは、幼馴染みだから、なのか? ずっしりと重く、しかし暖かい何かがのしかかって来る感覚に、新一は首を竦めた。 老齢な桜の下に並んだあの日から? いや、そのずっと前から、このモヤモヤは始まっていたのかも知れない。 本当は、理由なんてわかっているんだ。 だけどまだ、それを形にも言葉にもすることは出来ない。 もっと、もっと、強くなりたい。いや、強くならなければ。 男として、人として、一人前になる日まで。 自分に恥じることがないように。 自信を持って、この想いを口にすることができる日まで。 そして、約束の日曜日。 前夜に叩き込んだトロピカルランドの地図とタイムスケジュールを脳裏に反芻させつつ、新一は待ち合わせ場所へと歩を早めた。 彼がその想いをより強靱なものにしていくのは、このすぐ後のことである。 --- END --- |
はい、どうにか終了。いままでの最長記録を更新してしまいました。
リク小説なのに、こんなに長くしちゃいけませんよね(平謝り)。
琴音さま、長らくお待たせしてしまって申し訳ありませんでした。
お気に召していただければ良いのですが、いかがなものでしょうか?
(・・・ああ、すごく心配&不安)