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何? 今、なんて言ったの? 蘭から新一には、つい先程まで散々ひどい言葉を投げつけていたのに。 新一から蘭へと返された言葉は、蘭には全く想像も予測もつかないものだった。 ぴくりとも動けず、瞬きすら忘れて、蘭は手元の指輪を見詰めた。 ずっとずっと待ちこがれていた言葉を受け取り、嬉しくて仕方がないはずなのに。 心の中には、全く逆の、戸惑いの気持ちが溢れてくる。 素直に事実を打ち明けてくれた新一の言葉を、気持ちを、あんなにも粉々に打ち砕いてしまった。 それでも新一は、わたしを選んでくれるの? 猜疑心に染まりきったわたしの、側にいてくれるっていうの? こんなわたしのことを、どうして信じられるの? すべての感情が総動員されていて、至る所でスパークしていた。 傾いてきた夕陽にきらめいた指輪に引火したのか、頭の中にはもうもうと煙が立ち籠め、不透明な感情が蘭の中に流れ始めた。 好きな人と結ばれ、生涯を誓い合うこと―――。 年頃の女の子ならば、一度や二度は胸の内に思い描いたことがあるだろう。 蘭だって、いつの日か新一とそうなれればいいのにな、とこっそり夢見たことは数知れず。 雑誌に掲載されたウェディング特集に目を留めて、ブーケには白いジャスミンの花を入れたいなぁ、と考えたり。 お互いの晴れの日について、園子と語り合ったりしたことだってある。 そして。 もし実際に、そう申し込まれることになったなら。 すぐに「はい」と言って頷けるものだと思っていた。 否。たとえ、言葉なんかなくても。 ただ微笑むだけでいい。 顔を上げて、目線を交わすだけでいい。 今までずっとそうやって、瞳の中に宿る“真実”という名の輝きを、お互いに見つけ合ってきたのだから。 では、これからは・・・? 知らぬ間に、枕を抱きしめていた腕に力が入り、蘭は俯く角度を一層深めていた。 薄く夕闇が忍び込み始めた室内に、ふと新一の影が蘭の視野を横切った。 重い沈黙を破り、ゆっくりと立ち上がる。 「・・・驚かせちまって、悪かったな。返事は、今すぐじゃなくていいんだ。YesでもNoでも、蘭の気持ちが決まるまで、オレ、何年でも待つから」 新一は、硬い表情で俯いたままの蘭を、静かに見詰めている。 「とにかく今日は、蘭の無事な姿を直接この目で確認することが出来て、ほんと良かった。でも、しばらくはこのまま、園子の家で病気静養に専念したほうがいいみたいだな。」 相変わらず蘭からの反応は皆無だったが、落ち着いたトーンで新一は言葉は繋げていく。 「これからの約2ヶ月間、補習と受験に向けてのみ突き進むことを、ここで改めて蘭に誓うよ。そして、卒業式を無事に迎えるまでは、呼び出されたとしても現場には行かない。もし、一瞬でもこの誓いを破ることがあれば、、、そうだな、蘭の望むことなら、何でもする。例え自分自身を否定するようなことになるとしても。」 じゃ、早く元気になれよ? と言い残し、新一は部屋を出て行った。 蘭は、意思表示さえすることも出来ず、新一が去って行くのを背中で感じていた。 太陽は地平線へと姿を隠し、元の静寂を取り戻した部屋は、広さがあるだけ余計にガランとして寒々しい。 いつものように、枕元のライトを付けようとして、ふと手を止めた。 いっそこのまま。 一段と濃度を増してくる夜の闇に、飲み込まれてしまいたい。 自分自身の嫌なところを全部、葬り去ることができればいいのに。 心配でたまらなくて、顔を合わせれば小言を並べてしまう。 それでも、何度も口にしそうになって、自制してきた言葉がある。 新一の夢をつぶすような言葉だけは、絶対に言ってはならないのだ、と。 わかっていたはずなのに。 ついに、新一自身に言わせてしまった。 『自分自身を否定するようなことになるとしても』 新一にとって『自分自身を否定する』ということは、瞳を輝かせて蘭に語り聞かせていた、幼い頃からの夢を捨てる―――つまり、探偵を辞めるということ。 遅刻や早退を繰り返し、不規則な生活を送る新一に対して口喧しく接してきたのは、それが、蘭にとっては、一番自分らしく新一のことをバックアップできる方法だと思ったから。 自分の父親も探偵だから、その仕事や生活リズムが、一般の会社勤めの人間とは大きく違うことも、いつも危険と隣り合わせなのも、十分にわかっている。 何度かは護身術として役立たことがある空手も、今まで継続してきたのは、弱い自分に決別し、迫りくる危険をひとつでも新一から取り除けたら、と考えてのこと。 新一がいつも蘭を守ってくれるように、蘭も新一に同じ気持ちを返したい。 誰よりも側にいて、新一の夢が叶うのを見ていたい。 思い上がりでもいいから、ほんの少しでも、新一の役に立ちたい。 こうしてずっと、新一の夢を応援していけるものだと、蘭は疑いもしなかった。 あの日、トロピカルランドで感じた嫌な予感が、現実となるまでは・・・。 探偵は警察のような公共機関ではないのだから、例え持ち込まれた依頼を断ったとしても違法ではないし、何の責務も生じない。 それでも新一は、どんな危険も顧みず、その渦中に飛び込んで行く。 自分のことよりも他人のために、自らの持てる能力を最大限に発揮して。 特に例の組織絡みの事件を手掛けてからというもの、FBIやCIAなどという、映画やテレビでしか触れることがないような組織とも、行動を共にすることさえあるのだ。 探偵である以上、新一の背中には常に影のようにピッタリと危険が付きまとう。 この先、また何ヶ月も身を潜めないといけなくなるような、そんな危険にさらされる日が来ないとも限らない。新一の探偵業は、良く見知った小五郎の場合のそれとは、規模も桁も大きく異なるものだから。 蘭の背中にも、新一が背負っているものとは別の、黒い闇が潜む。 いつの日か、また新一に会えなくなってしまうかもしれない、という自ら作り出した闇が。 新一が姿を消していた数ヶ月の間。 会えない日が長引くほど、不安は坂道を転がるように増え、蘭の心はじわじわと弱くなってしまった。 ようやく戻ってきた新一に対しても、表面上は「新一のことが心配だから」と言いながら、心のどこかで「これ以上、辛い思いをするのが嫌だから」という気持ちも否めない。 呆れることも出来ないくらいの身勝手さに、目が眩みそうになる。 人は、こんなにも貧しい心になれるものなのか、と。 新一のことを、ただ信じて待ち続けること。 これが、自分自身に出来る唯一のことだと思っていたけれど。 ・・・もう新一のことを、信じることさえ出来なくなってしまった? この情けない気持ちを掻き捨てる手段が見つからない。 ゆるゆると首を振って、どこまでも落ちて行ってしまうそうになる心を、躍起になって引き止める。 枕に顔を埋め、膝を抱えてみても。 何をしてみても、頭の中に駆け巡るのは、新一のことばかり。 久しぶりに会った新一に対して、一体自分は何をした? 学校から急いで駆けつけてくれた新一に対して、ひと言のお礼も言っていない。 それどころか、目線さえもほとんど合わせなかった。 確かに、年末に新一のとった行動は、とても突飛なものだった。 だがそれは、幼い蘭に有希子が託した『幸せのリレー』を実現させるため。蘭の掌の上に残された、この約束のためのものだ。結果としては上手くいかなかったが、元を正せば、新一は蘭のために無茶な行動をしたということになる。 全部、、、わたしの所為? わたしと一緒にいると、新一はその翼を思う存分に広げることが出来なくなってしまう。 わたしが新一を・・・ダメにしてしまう? 「必ず戻ってくるから」 新一の口から、幾度となく聞かされた言葉。 どれだけ時間がかかったとしても、新一はこの約束だけはいつも守ってくれた。 蘭には良くわかっていたはずなのに。 一歩ずつ新一が夢に近づくほど、一歩ずつ蘭の手の届かないところへ、遠く離れて行ってしまうように思えてならない。 もう、わたしには、新一にしてあげられることは無いのかな? もう、側にいることも出来ないのかな? 蘭の心の中には、今まで感じたことのない大きな波風が、吹き荒れていた。 *** 慌ただしく近づいてくるスリッパの音に、ハッとして。 暗闇から抜け出すべく、蘭は慌てて手元のスイッチでライトを付ける。 「ちょっと、蘭。新一君、帰っちゃったよ? どうして、、、」 去って行った新一とは打って変わって、勢いよくドアを開けて客間に入ってきた園子は、蘭の顔を見た途端に言葉を途切れさせてしまった。 赤く滲み、困惑した瞳。慌てて拭ったであろう、頬に残る二筋の痕。 「新一君に、何かひどいことでも言われた?」 出来るだけ優しい口調で問い掛けてみても、蘭はゆるゆると首を振り、無言の否定を園子に返すだけ。 今夜は、最高に幸せな蘭の笑顔が見られると思って、園子はリビングで待機していたのだ。新一と蘭が、2人揃って目の前に現れるのを楽しみにしながら。 それなのに、今にも溢れそうな涙を抑えようと真一文字に結ばれた蘭の唇が、極わずかだが震えている。 明らかに、嬉し泣きではないと思われる理由によって。 そっと蘭の肩に手を置き、気持ちを解放しやすいように、ひと言添える。 自分の中にある暗闇を吐き出すのが、とても苦手な親友のために。 「話したくなったら、夜中でも遠慮なく呼び出してよ?いつでも相談に乗るからね」 蘭が小さく頷くのを見て、少し時間を置くべきだと、園子がこの場を離れようとした瞬間。 呟くように静かに、蘭が口を開いた。 「、、、プロポーズ、されたの。新一に」 「え、、、?」 園子は、自分の耳を疑ってしまった。 てっきり、新一は自分との約束を守りきれなかったのだ、と思っていたから。 先程一人で蘭の部屋を出てきた新一が、去り際に残した「今度はオレが待つ番だから」という、珍しくか細い口調が頭の隅に蘇ってくる。 次いで、蘭が臥せっている間に新一と園子の間で交わされた、約束も。 蘭にはひた隠しにしていたが、年明けから連日、新一から園子の元へは何度も電話が入っていた。 最初は徹底的に完全無視の姿勢を決め込んでいた。しかし、相手はあの工藤新一である。園子の元に蘭がいることなど、きっとお見通しだろう。 何回目かの電話で、ようやく覚悟を決めて受話器を握った園子は、蘭の所在を問いつめる新一の言葉をすっぱりと聞き流し、思い切って言ってやった言葉がある。 『大体ねぇ、新一君が蘭の心をしっかり捕まえておかないから、いけないんじゃない! もうこれ以上、新一君みたいな口先ばっかりの男には、大事な親友を任せておけないわ』 痛烈な言葉を、受話器の向こう側の新一に突き立てた。 蘭の知らないところで勝手にこんなことまで言い出して、2人の関係が壊れてしまったら、、、という危惧もチラリと園子の胸には広がったが、逆に、第三者が口を挟んだくらいで後退してしまうようなヤツには、蘭の側にいてほしくない、とも思ったから。 数瞬沈黙していた新一からは、園子の納得がいく答えが返ってきた。 とても短かかったが、重みのある返答。 『これから一生、安心させてやるさ』 新一が「一生」という言葉を使ったことで、園子も少し安心出来た。 それでも、いつものような有限不実行にならないように、電話越しの新一に念を押す。 蘭のことを丸ごと包み込める用意と覚悟ができるまで、蘭に会わせるわけにはいかない、と。 この言葉が、将来的にはプロポーズにまで発展するだろう、と予測はしていた。 まさか、それがこの場で実行に移されるとまでは思わなかったのだが。 いろいろ意地の悪いことを言っては、新一と蘭のことをからかったりしてきた園子。 だが、2人の幸せを一番に願っているのも、園子に他ならない。幾多の障害を乗り越えてきた2人を、心の底から応援してきたのだから。 純粋なまでの『恋する気持ち』を教えてくれた、大切な親友の幸せを。 では、どうして蘭は、こんなにも辛そうにしているのか? 何故、新一は一人で帰ってしまったのか? いまだに曇ったままの蘭の瞳に、園子は慌てて言葉を向ける。 「おめでとう!良かったじゃない、蘭。勿論、即OKしたんでしょ? ね?」 蘭は再びゆるゆると首を振り、園子に小さく否定の意思を伝える。 園子の語気が自然と高まり、そっとベッドに腰掛けて蘭の瞳を覗き込む。 有り得ないことだとわかっていても、つい確認しておきたくなってしまい、恐る恐る質問を声にした。 「まさか、断ったの?もしかして新一君のこと、、、嫌いになった、とか?」 園子の言葉にハッと瞳を見開いた蘭は、大きく頭を振って、今度は強く否定している。 「ううん。そんなこと、ない。でも、、、」 「新一君のこと好きなんでしょ?だったら、それで良いじゃない。一体何をためらってるの?」 「・・・新一のことは好き。すごく好きなの。でも、好きだけじゃ駄目なのっ」 ふぅ、と小さく肩で息をした園子は、幼い子をあやすように、ゆっくりと蘭の背中をさすってやる。 それを合図に、蘭の瞳からは大粒の涙があふれ、零れ落ちた。 この涙の原因は、、、ちょっと自分にも責任があるかな。 園子は蘭の肩を抱き、しゃくり上げる蘭を受け止めながら、反省していた。 病気と重ねて弱っていた蘭の心が落ち着くまで、少し時間をとったほうが良いだろう、と園子は思っていた。加えて、園子から見れば“蘭を幸せに出来る唯一の存在”であり“蘭を悩ませる諸悪の根源”でもある新一を、この期間に多少なりとも懲らしめることが叶うだろう、とも思っていた。 ところが、物事は園子の思わぬ方向へ、それもあまり明るくないほうへ流れようとしている。 胸中では、これは思ったよりもややこしくなりそうね、とひっそり呟いて。 蘭には「好きなだけ泣けば良いよ。気が済むまで一緒にいてあげるから」と声にして伝える。 有難う、と消え入りそうな言葉が、音もなく溢れる雫とともに、蘭の心から零れ落ちた。 今の園子には出来るのは、ただ頷いて蘭を受け止めてやることしかなかった。 |
第9話まで続いてしまいました。 この先、一体どうしたら良いのでしょうね。。。(←自分で聞くなー) 一番書きたかったところまで、もう一山、超えなくちゃなりません。 頑張れ、自分!負けるな、自分!(←バカ?) Copyright© Karin * since 2003/July/07 --- All Rights Reserved. |