内偵(ないてい)

                            深月さま


愛しの彼氏が現在アメリカに居るため、ご機嫌斜めだったその女性は、少年探偵団のところへ依頼を持ちかけにやってきた。

「泣いていいよ、って言われても、オレ、泣きたくないぞ?」
母ちゃんに、男は簡単に泣くもんじゃないって言われるしよ、と、眉を寄せる元太に、コナンが脱退し4人となった少年探偵団の残りのメンバーは、思わずずっこけた。
そして、依頼人も盛大なため息をつく。
「あのねぇ〜 「い」が一つ多いのよっ!「内偵」、よ。な、い、て、い」
「こっそりと、相手の懐に忍び込んで、様子を探るんです。探偵の仕事ですよ!」
「スリル・ショック・サスペンスだなっ?」
胸を張り、張り切って言う元太に、歩美と光彦もうれしそうに頷く。
確かに一人、冷静にその様子を見守っているものも居るが・・・
(大丈夫かしら、この子達・・・)
依頼人は、本日何度目かのため息をついた。


***


2月14日。
アル・カポネの「ブラッディー・バレンタイン」や、聖バレンティヌスの殉教など、色々と暗い逸話もあるが、ここ日本では、甘酸っぱい思いを抱えた乙女たちの決戦の日。
そして、売約済みカップルの間でも、甘い時間が約束された、幸せな記念日。
・・・の、はずだった。

「待って、元太君っ、卵入れる前に、粉をふるわなくっちゃ!」
「あん?いいじゃねぇか、どうせ混ぜるんだろ?」
「甘いですよ、元太君。お菓子というのは、女性のようにデリケートなんですから」
口当たりが悪くなるじゃないですか、と、付け足す声まで聞こえてきて、新一は不機嫌な態度を隠しもせず、リビングのソファで新聞のページを捲った。
(ったく、いつもながら光彦の発言は小学生じゃねぇ・・・)
ついでに読みようによっては意味深である。
今しがた、コーヒーカップを、ローテーブルに置いた蘭の気配が動かないと思って、記事から顔を上げると、蘭も驚いた様子でキッチンの3人のほうを見ている。
「・・・新一の影響かな?」
「冗談じゃねぇ・・・」
マジで言ってんのかよ、というジト目に睨まれて、蘭は苦笑しながら新一の向かい側に座る。
新一は、蘭のその仕草にも、また苛立った。
二人っきりの時には、いつも隣に座るのに。

「オメェもオメェだよ」と、思わずつぶやくと、蘭は小首をかしげて「何が?」と聞いた。
「人にばっかり“イベントに鈍い”とか、“この日は絶対空けておいて”とか言いながら、自分で連れて来るんだもんな」
顔の前に大きく広げられた新聞紙に、表情はさえぎられて分からなかったが、その声のトーンを聞いただけで、蘭には新聞紙の向こう側にある新一のすねた顔が、安易に想像できた。
露骨に「二人だけで過ごしたかった」と表す新一に、蘭も苦笑する。
「だって、事務所に来て、“いつもお世話になっている工藤探偵に、チョコを作りたいって言うんだもの、断れないわよ」
バサリと新聞をたたんで、蘭の方を伺えば、砂糖とミルクを足したコーヒーをスプーンで混ぜながら
可愛いじゃない?と、笑っている。
心からそう思っているらしい蘭の邪気のない笑顔に、新一もつられて頬を緩めた。
「でもよ? 何も今日作りにこなくたって良かったじゃねぇか」
新一は最初にも思った疑問を口にした。
「作りおきできるチョコレートなら良かったんだけど、歩美ちゃんがお母さんに習ったのが、フォンダン・ショコラだったのよ」

フォンダン・ショコラ。
それはサクッとしたチョコレートの生地から、トロリと溶け出すチョコレートソースが魅力的な“温かい”チョコレート菓子だ。
当然、食べごろを食べてもらうとなれば、本人の前で作るしかない。

「・・・」
「あ、今、「また面倒くさいものを」って思ったでしょっ!」
「・・・るせぇ」
「ダメよ、せっかくの純粋な好意なんだからね?」
好みの味に調えられたコーヒーに、満足げに口をつけながら、蘭は釘をさす。
「そんな風にいつまでも拗ねてると、私からのチョコ、あげないんだから」
つまらなさそうに庭を眺めていた新一が、驚いたように蘭に視線を向ける。
「マジ?」
「マジよ」


一方キッチンでは、3人がワイワイと作業をしながらも、時々真剣な視線を交わしていた。
「まずは第一関門クリアですね」
「すごいっ!お姉さんの言うとおりだったね〜」

初の「内偵」任務に、その潜入方法さえ思いつかなかった探偵団のメンバーだったが、実は依頼の時点で、依頼人から知恵を授けてもらっていた。
『いい?直接新一君の家に行ったらダメよ?追い返されるのがオチなんだから。だから、まず、蘭のところに行って、新一君の為にチョコを作りたいって言うの。蘭は絶対にOKするわv そのあとは蘭に任せておけば問題ナシよ。なんてったって、新一君は尻にしかれてるからね〜』

「おい、光彦、二人の会話、聞こえないのか?」
「う〜ん、さすがに遠いですね・・・。小さな声で会話しているようですし」
「絶対ぇ、聞かせたくないような話なんだぜ?」
計量・雑用係だった光彦と元太は、仕事の山場が終わって手があいたのもあり、本来の任務である内偵を始めた。
「ダメですよ、元太君。あんまり身を乗り出したら、新一さんに見つかってしまいます」
「でもよぉ〜 ここからじゃ、様子がわからねぇよ」
「そうですね・・・蘭さんは向かい側のソファに離れて座ってますね。新一さんは・・・難しい顔をして新聞読んでますけど」
「そぉか?あれは難しいって言うより「やってられねぇ〜」って顔だぞ」
・・・なかなか鋭い。
そこへ、歩美の助けを求める声が。
「元太君っ、メレンゲ作るの手伝って!疲れてきちゃったよぉ」
「あん?レンゲから作ってんのか?」
少々外れた返事をしながらも、キチンと歩美のヘルプ要請に応えるべく、元太は歩美からボウルを受け取ると、豪快に卵白をホイップし始めた。
「こうか?」
「うんv ふわふわになってきたら教えてね!」
そして、自身も覗きたくて仕方のなかったリビングの様子を観察すべく、光彦の隣に首を出す。
どう?と尋ねる歩美に、光彦は、ちょっと打ち解けて来ましたよ、と報告した。
実際、蘭の表情は、赤くなったり青くなったりクルクルと変わっている。
新一のほうは、既に余裕を取り戻したかのような、不敵な笑みを浮かべている。
「・・・挽回したみたいですね。さっきまでは、蘭さんに押されてたんですけど」
だんだん二人の会話の音量が上がってきたのか、小さな声に慣れて来たのか、二人の耳に、断片的な会話が聞こえてくる。

「ホラ、するなら今のうちだぜ?」
「いやよ、子供たちがいるのにっ」
「ふぅ〜ん。俺、今日の午前中は本屋に行く予定だったんだよな・・・」
「・・・」
ローテーブルを挟んで
そんなやり取りをしている。

「なんの会話でしょうね?」
なんだか脅迫めいていますけど、と、光彦が眉を寄せる。
「でも、蘭お姉さん、赤くなってるよ?」
う〜ん、と、二人で唸っていると、新一が「コーヒー、もう一杯飲むか?」と蘭に尋ね、二つのカップを持ち上げて立ち上がったのが見えた。
二人は慌ててキッチンに戻った。

「元太君っ、そろそろ手が疲れたでしょう?ボクがやりますっ!」
「え、えっと、ガナッシュ切っておこうかなっ!」
そんなやり取りをして繕っていると、新一がやってくる。
「おい、何だよ光彦っ、さっきまで歩美とくっついて見てたくせによぉ。ずりぃぞ?」
「「げ、元太君っ!!」」
「あん?何見てたんだ?」
軽く首をかしげて元太に問う新一に、元太はもちろん、光彦もあわあわするのみである。
そこに軽く、歩美が光彦の踵を蹴って注意をひいた。
「こ、これっ!」
指で示したのは、冷蔵庫の下段、野菜室に貼られたシールだ。
「か、かわいいなぁ〜と思って!」
「あ、そうそう、そうです!芸術的ですよね」
お花のシールと、間を飛び跳ねるウサギのコンビネーションが絶妙です。
一生懸命取り繕う光彦に、新一は内心笑いを耐えるのに必死だ。
「あぁ、ガキのころ、蘭が貼ったんだよ」
顔を上げれば、エプロンの上をべたべたにしている元太が視界に入り、新一が苦笑する。
「ったく・・・貸してみな。中身なくなっちまうじゃねぇか」
そうして、まだゆるかったメレンゲを、一気に仕上げてしまうと、カップをコーヒーで満たして再びリビングへ戻っていった。

「危なかったですね」
「もう、元太君?」
「悪ぃ悪ぃ」
それにしても、と、歩美の手の中に戻り、ココアの生地と混ざってチョコレート色に染まっていくメレンゲを眺めながら、光彦がつぶやく。
「料理もうまいんですね、新一さん」
「うん。蘭お姉さんが、「私よりもうまいかも」って言ってた」
「げ、マジで?」
だって、俺がお酒届けたときには、コンビニ弁当食ってたぜ?と付け足す。
「元太君、未成年の飲酒は法律違反ですよ?」
「違うわよ、料理にもお酒、使うもの」
「じゃあさ、どっちか、調べてみようぜ?」
そんな風に言って、冷蔵庫を開け始めたのは元太。
「そうですね、この間、「キッチンから性格を判断する方法」を教わったばかりですしね!」
歩美が最後の作業をしている間に、元太と光彦はゴミ箱の中や、冷蔵庫の中、食器棚の中を調べ始めた。


がさごそとキッチンから聞こえる音に、蘭は不安げな視線をキッチンへ向けた。
「何してるのかな?」
「・・・実践練習してるんだろ?」
「??」
「一昨日、キッチンの捜査法、教えたから」
「新一ぃ?アンタ、子供になんてこと教えてるのよ」
「知識は多いほうがいいだろ?」
「・・・そうかなぁ?」
蘭は新一が先ほど注ぎ足してくれたコーヒーを口に含みながら首をかしげる。
新一も、子供たちのいるところで事件関係のものを見るのは気が引けたのか、今度は英字新聞を広げて読み始めていた。
「で、今ならチャンスだと思うけど?」
「まだ言ってるの?もうっ、みんなが帰ってからでいいでしょっ?」
「いやだね。アレがなくちゃ、俺の一日は始まらないモンでね」
バレンタインにならなくっちゃ、蘭のも、あいつらのも、チョコレートは受け取れないよ、と、笑う。
新聞越しに合った視線に、とうとう蘭は観念した。
「分かったわ。ちょっと来て・・・」


「う〜ん、やっぱり新一さん、あんまり料理していないように見えますね」
「あの姉ちゃんに頼んでるんだぜ?絶対!」
通路妻っていうんだろ?という元太に、歩美が「通い妻よ」と訂正する。
「あ、オーブンに入れるときは呼んでって、蘭お姉さんに言われてたんだ!」
歩美はエプロンの裾で洗った手をぬぐうと、リビングを覗いた。
「あれ?蘭お姉さん、どこに行ったんだろう?」
新一さんも居ない、という歩美の不思議そうな声に、光彦と元太も、そういえば、と顔を見合わせた。
「僕らとしたことが、任務を忘れるところでしたね」
「そうだぜ、俺たちは「内偵」しに来たんだよな」
それで、ターゲットを見失っては、話にならない。
3人は頷き合って、二人の姿を求めて、広い邸内を歩き出した。

「もう、すぐ戻るんだからね」
二人の居場所は、すぐに見つかった。
洗面所のドアの隙間から、光と声が漏れている。
隙間に片目をあてがって、下から歩美、光彦、元太と、団子のように並び中を覗く。
大きな鏡のおかげで、中の様子は良く見えた。
・・・見えるはずだった。
だが、「分かってるよ」といいながら、新一が立ち位置を変えてしまったので、鏡にも・・・そして当然直接も・・・二人の様子が見えなくなってしまった。
ただ、ゆっくりと蘭が背伸びをするのが見え、子供の感覚でも、空気が甘くなったのがわかった。
歩美と光彦は、既に状況を飲み込んでいるようだが、中で何が起こっているのかさっぱりな元太が、「みえねぇぞ?」と、大きく身を乗り出す。と。
「ちょっと元太君押さないでっ・・・きゃっ!」

ドサっ! ドンっ! ガンっ!
工藤邸に、3つの痛そうな音がこだました。


***


チョコレートの香りと、コーヒーの香りで満たされた、やさしい空間に、なぜか重い空気が漂っていた。

「・・・とりあえず、よく出来てるぜ」

あの「事件」から随分時間がたったにもかかわらず、未だに打った頭が痛いらしく、家主は頭をさすりながら、そうコメントをして、二口目のフォンダンを口に運ぶ。
蘭も「おいしいね」とぎこちなく笑ってつけたした。

・・・あの「音」の内訳はこうだ。
1つ目:探偵団が転んだ音。
2つ目:蘭が新一を突き飛ばした音。
3つ目:新一が後頭部を鏡に強打した音。

どれも痛そうであるが、ダメージが一番大きかったのは、新一らしい。
気まずい沈黙でフォンダンを食べる中、その新一が気を取り直したように声のトーンを変えた。

「で、いくらもらった?500円か?」
頭にハテナを浮かべる蘭。
そして、ワンテンポ遅れて、意味を理解したらしい探偵団の顔に、驚きが広がっていく。
「な、何で分かるんですか?」
「エスパーだぜ!」
「すごいっ!?」
一瞬にして、空気が明るくなる。
3人は驚いていたが、新一の頭の中に、こんなことを企む人間は一人しかおらず、彼女にとっての子供を買収する際の相場が500円なのだ。
・・・単純な「思考」である。
「え?何?どういうこと?」
尋ねる蘭に、新一はコーヒーを飲みながら、ふぅ、と、一息つく。
「探偵団に“依頼”した人間が居るんだよ」
「誰?」と蘭が新一に尋ねれば、「そこに居る探偵君に聞くんだな」とにやりと笑った。

「見くびらないでくださいよ、工藤探偵」
「ごめんなさい。いくら蘭お姉さんでも教えられないの」
「ジュヒギムがあるからな」
「「「・・・」」」
「守秘義務、ですよ、元太君」
「・・・なんだっていいじゃねぇか」
とにかく、口を割るつもりがないらしい。
「じゃあ、情報を提供してくれれば、1000円あげるよ」
一瞬迷う3人。
「・・・ダメです。僕たち探偵団のコケンにかかわります」
「ふぅん?じゃあ、うな重おごってあげようか?」
「おっし!俺言う!」
「「元太君っ!」」

しばらく、新一と探偵団の間に険悪な空気が流れた。
と。

「おっし、上出来」
「「「???」」」
「機密保持の出来る優秀な探偵団に敬意を表して・・・」
新一はソファの影から、隠していたチョコレートの箱を取り出すと、それをテーブルの真ん中であけた。
そして、そのアソートチョコレートの中から、定番のハート型のチョコレートを一つ取ってから、探偵団に勧める。
「それ、母さんが送って来たんだ。食っていいぞ?」
そして、3人がそれぞれチョコレートを選んで食べたところで、もう一つ、ソファの影から箱を取り出す。
「で、ついでにこれを、オメェらの「依頼人」に渡してくれねぇ?」
「・・・何?それ」
「バレンタインの贈り物さ。今日中に頼んだぜ?」
押し出されて、とりあえず受け取った歩美が首をかしげている。
なぜなら、歩美たちに依頼したのは、女性だ。
「いいんだよ。アメリカでは、バレンタインの贈り物は男性から、だからね」
あぁ、これで鈴木邸に行く手間が省けた、と、安心してコーヒーを含んだ新一に、最後の爆弾が落ちる。

「えっ!新一さん、まさか園子お姉さんと浮気してるんですかっ!」

「っ!」
思わずコーヒーを吹き出した新一と、驚いたように新一を見つめる蘭の前に、こうして、しっかりばっちり、真実・・・依頼人の正体・・・が明らかになるのだった。



<内偵> 内密に探偵すること。ひそかに探ること。





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