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Dusk

the day before

〜 君と僕の距離 〜

part 2


「こんにちは、おばさま。お久しぶりです」

門扉のすぐ外側で、明るい紺色のプリーツスカートを揺らし、ペコリと蘭はおじぎをした。
帝丹中学の制服は、袷が左右逆になっていることを除けば、白いシャツと1つボタンのブレザーは男女共通のデザインとなっている。高校のそれとは色も見た目もたいして変わりはなく、唯一違っているのは、男子にはネクタイがないが、女子は高校のネクタイと同色のリボンを結ぶようになっていることだ。
蘭は買ったばかりであることを誇示するような、ピカピカに磨かれた黒い皮のローファーを合わせていて、おまけに学生鞄まで手にしている。

「まぁ、蘭ちゃん、かわいいっ。まるで私の若い頃みたいだわv」

半ば放り出すようにしてキャリーバッグを新一に預け、有希子は蘭を抱き締めた。
日本では、まだあまりハグの習慣は根付いていないのだが、激しくアメリカナイズされた工藤家、いや有希子との付き合いが長い蘭は、一瞬驚いて目を丸くしたものの、慌てることもなく軽いハグを返した。

「なんだか借り物みたいで、落ち着かないんですよね、これ」
「あら、そんなことないわよ? サイズも丁度良いみたいだし、よく似合ってるもの。もうすっかり“お嬢さん”って感じだわね」

ブレザーの裾を摘んでみたり、袖を引っ張ってみたりするその仕種には色濃くあどけなさが残っているものの、新一よりは幾分制服がしっくりと馴染んでいるように見えた。




玄関の前で待ちぼうけを喰らっている傍観者の存在を忘れてしまったかのように、飽きもせずに門扉の側で立ち話を続ける二人を交互に見ながら、また始まった、と新一はごく軽い吐息を漏らした。


どうして女っていう生き物は、あんなに長々と喋り続けていられるんだろう?
蘭の奴も、あの母さんを相手にして、よく話題に事欠かないよな。



このまま放っておけば確実に日が傾くに違いない、と危惧した新一は、ひとつ咳払いをして二人の注意を引いたあと、ジト目で有希子に向かって確認した。

「母さん、まさか今日が入学式だと思ってんじゃねーだろうな?」
「まさか。あと3日も先でしょう?そんなわけないじゃないの」
「じゃあ何でオレ達に制服なんか着せたりしたんだよ?」
「あ、そうそう。蘭ちゃんがあまりにも素敵なんで、最初の目的忘れるところだったわ。車を表に回すから、戸締まりお願いね」

ポンと手を打って、有希子は小走りにカーポートに向かった。その後ろ姿をしばし呆然と見送っていると、同じように取り残された蘭が新一のもとに駆け寄ってきた。

「新一って、、、制服でもあまり変わらないんだね」

2週間振りに会った幼馴染みへの最初の一言を、蘭はクスクス笑いと一緒に吐き出した。

詰め襟の学生服ならば少しは違った雰囲気にもなったのだろうが、帝丹中学の制服姿というのは、きっちりとした服装をすることが多い新一にとってさほど珍しいものではなかった。

セキュリティ装置をセットして立ち上がると、新一は微妙な違和感を覚えた。

何かが、違う。


交わされる目線の位置が以前と少しずれている。
遠くから有希子と並んでいるのを見ていたときには気がつかなかった。
実のところ、見なれない蘭の制服姿が妙に気恥ずかしくて、まともに目にすることができないでいたのだけれど。
工藤家一同がハワイに2週間も滞在しているあいだに、それまでは同一レベルだったはずのものが、どうやらわずかに逆転されてしまったらしい。


いつもと“違う”何かが、謎めいた感触を新一のなかに芽生えさせて、思わず心にもないことを口走ってしまった。

「オメーは七五三みたいだよな」
「、、、やっぱり、そう見えちゃう? 似合ってない、のかな?」

明らかにトーンダウンして答えた蘭の顔に、あ、と思った。
が、しかしそれは遅すぎた。



言葉が出てこない。


お互いに伏せたままの目線が重なることもないまま、重い沈黙が流れた。

傷つけてしまった、よな?
最低だ、オレ。


お世辞を言う必要などは何処にもなかった。
ただ、どうして素直に「似合ってるよ」と言えなかったんだろう。

自分自身のことさえも良くわからないまま、新一は黙って頭をひと掻き回した。


「おまたせー。さぁ、二人とも早く乗って!」

運転席の窓から身を乗り出した有希子が二人を手招きしてくる。
いち早くその声に反応した蘭は、無理矢理に張り付けたような笑顔をひらめかせて駆け寄っていった。
新一もキャリーバッグを引きながら、のろのろと車に向かう。
後部座席に蘭を座らせたまま、バッグをトランクに載せるのを手伝っているように見せて、有希子は蘭からは見えない死角に新一を引っ張り込んだ。

「ねぇ、蘭ちゃん、どうしちゃったの?」
「べっ、別に何でもねぇよ」
「成る程」
「なんだよ?」
「さては新ちゃん、何か余計なこと言ったわね?」

『何でもねえよ』などと言って自らの非を肯定してしまった新一は、意味深なウィンクと「私に任せておいて♪」という有希子の返事に、無言でトランクを閉めるしか術がなかった。
天然キャラ全開な割に、こういうところで妙に鋭い有希子には、やっぱり頭が上がらない。

座席に戻りシートベルトを締めると、車は静かに滑り出した。






「うわあ、すごぉい・・・・」

一面の桜がそよぐ風に舞う姿に、蘭はしばらく圧倒されていた。
工藤邸から有希子の運転で、約1時間。通常ならその1.5倍はかかるのかもしれない。
聞けば、ここは女優時代の知人の私有地だと言う。派手さはないが、緩いカーブに沿って桜並木が形成されており、丁度見頃となっていた。

一番大きな桜の前でぽかんと口を開いたままの蘭の2歩ほど後方で、新一も同じ桜に魅了されていた。
無数の花をつけ、四方に伸びた枝を誇らしげに垂らしている。

「綺麗だね、新一」

車の中でも幾分口数の少なかった蘭なのだが、目の前の光景にすっかり心を洗われてしまったのか、やわらかい春の空に似合う笑顔で振り向いた。
二人の何倍もの人生を育んできた桜の老木の前では、無理やり張った虚勢も意地も取るに足らないことのように思えて、新一はようやく平静を取り戻せたような気がした。
今度は自然に、笑顔で返す。

「ああ、そうだな。これは、八重桜なのかな」
「へぇ、そうなんだ? さすが新一。相変わらず物知りね」

まだまだ知らねえことばっかりだよ、と独白ともとれるボリュームで新一は呟いた。
聞こえなかったのか、聞こえない振りをしているのか。ハラハラと着地していく花びらを手の平に受け受け止めようと、蘭は両手を伸ばしては何度も空を切っている。

こんなところは、今も昔も変わってないのにな。
たった2週間のあいだに、しっかりと繋いでいると思っていた手と手が、離れてしまったのだろうか。
それとも、離れてしまったのは、、、、。


桜に夢中で空を見上げたままの蘭が、広く張り巡らされたその根に足を取られ、不意にバランスを崩した。

「きゃあっ」
「あ、危ねぇっ!」

危うく転びそうになった背中を受け止められ、ついさっきまではしゃいでいた蘭は見る見る真っ赤になって新一の元を飛び退いた。新一も蘭の変化に気付いてしまって、その手に残る感覚を処理しきれず、どうしたら良いものかと思案するのに精一杯だった。

再び沈黙が流れた。




オレだってあと3日で正式に中学生になるんだし、蘭だって今までみたいにオレの後をくっつき回っていた“小さな女の子”のままじゃないんだ。
なのに、突き放されたような、置いてきぼりを食らわされたような気持ちになるのは、、、これは焦燥感?


すっかり大人しくなって桜に寄り添うように立ち尽くす蘭と、その反対側で同じように立ったままの新一。
桜だけが、すべてを飲み込んで、二人をやわらかく包んでいた。



知人に挨拶をすませた有希子が二人のところへ戻ってきた。
ここに到着したときに見せた蘭の晴れやかな笑顔が消えている理由を、有希子は目線を合わせようとしない息子の様子から推測した。

クスクス笑いをちらつかせながら近寄ってくる有希子に、その笑いの対象が自分だということを察知した新一は、これ以上分が悪くなる前に口を開いた。

「いい加減、ここに連れて来た理由を説明しろよ」
「ああ、これよ。蘭ちゃんはそのままそこにいていいわ。新ちゃんはこっち来て」

そう言って有希子はキャリーバッグ開くと、がっしりとした三脚とカメラを取り出し、 テキパキとセッティングを始めた。ようやく制服を着せられた理由が判明し、新一も手伝う。女優として被写体になることが多かった有希子だが、現場で撮影テクニックを教わっており、セミプロ程度の技術を身に付けている。
露光計で光量を確認し、絞りとシャッタースピードを決めると、撮影を開始した。

「さ、蘭ちゃん、とびっきりの笑顔をちょうだいね。あとできちんと額に入れて、英理にも届けるから。ね?」

せめて写真の中だけでも、笑顔の自分を見せたい。
離れて暮らしているので、頻繁に会うことが出来ないでいる母親の名前を出され、蘭は一瞬曇らせた表情に笑顔を取り戻した。

軽快なシャッター音が何度も響き、フィルムを交換するときに「じゃ、今度は二人で撮るわよ」と、有希子は新一を蘭の傍に向かわせた。
ファインダー越しに見える、微妙な隙間を開けて並ぶ二人の姿が、ぎこちない。
ふふふ、そういうお年頃になったのね、と有希子はひとり納得したように薄く微笑んだ。

「あ、新ちゃん、そっちじゃなくて、蘭ちゃんの左側に立ってくれる?」

幼い頃から何度も一緒に写真をとってきた二人だが、いつもは新一が右、蘭が左、というのが定位置だった。新一は「?」を浮かべながら指示通りにすると、その意図がわかってしまった。
ごく緩やかな傾斜があり、右側のほうがわずかに低くなっているのだ。
小さな自尊心を見抜かれて、思わず苦笑が漏れてきた。

「ほら、とびっきりの笑顔、出しとけよ? じゃなきゃ、このまま居残りさせられるぜ」
「そだね」

新一につられて、蘭も笑顔を取り戻した。
順調に撮影は進み、後片付けの段階になって新一は疑問に思ったことをふと聞いてみた。

「母さん、なんでわざわざここまで出向いて撮影したんだよ?別に入学式の当日でも良かったんだろ?」
「もしかして、入学式には来られないんですか?」

わずかに俯いた蘭が続き、有希子は慌てて否定する。

「まさか。二人の新しい門出に立ち会わないわけないでしょ。今日撮影したのはね、そこまで待っていたら、この桜が散っちゃうから」
「なんで『この』桜なんだ?」
「この桜ね、『蘭蘭』っていう名前なの。だから、ね」

一瞬きょとんとして、いかにも有希子らしいその理由に、新一と蘭は目を合わせて笑い出した。
そんな二人の様子に、「さぁ、帰ってお茶にしましょう」と言って、3人は工藤邸に戻って行った。


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