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moon

one with what is

〜 あるがままに、そのままに 〜  part 3

この時期、部活以外で登校して来る生徒はほとんどいないため、クラブハウスの賑わいに比べて校舎内は人気がなく、ひっそりとしている。

新一のための補習を開いた教員達は、お互いに相談しあい、交代でお目付役を請け負っていた。
しかしどの教師もずっと見張っているようなことはせず、朝一番に出席を確認すると、職員室に戻って自分の仕事をする者、顧問をしている部活動の指導に向かってしまう者など対応は一様ではない。だがどの教師も、その日の課題を受け取りに来るまで教室に戻って来ることはなかった。
よって、講習期間中の冬休みの教室にて、新一と蘭の二人きりのランチタイムが展開されているのだった。


蘭が差し出した弁当箱の蓋を開けるなり、まず何から箸を付けようかと悪戯っ子のような顔で思案している名探偵の表情は、あの頃も今も変わらない。何の派手さもない、ごく普通の家庭料理ばかりだというのに、新一はいつも美味しそうに食べてくれる。
その姿を見るだけで、ただそれだけでお腹いっぱいになれるような気がして、気を抜けばすぐに後ろを向いてしまう気持ちまで軽くなる。

お弁当とともに持参した魔法瓶から注いだ暖かいお茶に、ゆっくりと立ち上る二つの湯気を目で追いかけながら、蘭は自分の心が丸くなってくるのを実感していた。
だけど。
やがては消え行くこの湯気のように、この穏やかな瞬間も、いつかはなくなってしまうのかもしれない。


短く漏れてしまった吐息を隠そうとして、取り繕うように言葉を探す。
ふと、橋口とグラウンドで交わした会話が、蘇ってきた。

「あ、そうだ。新一、この前届いてた『同窓会のお知らせ』ってもう読んだ?」
「え? ああ、確か3月末にやるんだったよな?」

合間に「ん〜、やっぱ蘭の卵焼きは絶品」などとはさみながら答える新一の笑顔が蘭の目には眩しすぎて、少し長めの瞬きを繰り返す。

「それでね、同窓会の前に有志だけで新年会もやるらしいんだけど、、、園子も来るらしいし、わたしも行って来て良い?」
「蘭が行きたいと思うのなら、行ってくればいいじゃねぇか。なんでわざわざオレに聞くんだよ?」
「その日にちがね、来月の17日の夕方からなの、だから、、、」

一瞬浮かんだ「1月17日って何だっけ?」という受験生にあるまじき疑問を追い払って、新一の微笑みが心配そうな瞳を捕まえる。
何も言わずに向けられた真っ直ぐな視線を感じて、初めて自分が見つめられていたことに、蘭は気付いた。

「受験するのはこのオレなんだぜ?」

落ちるわけねぇだろ、といつもどおりの得意満面な口調で返事がもたらされる。

新一の自信家なところは少しも褪せることはない。いつだって堂々と前を向いて進んでいく。
ほんの少し前の蘭なら、自分も新一と同じ方向を向いているのだ、と無条件に信じていられたのに。ずっと追い続けた、頼もしいと思ってきた背中も、今では突き放されたようにさえ感じられて。

・・・他の誰も持つことのない、翼の生えた足で駆けていくスピードに、これからも付いていくことができるのだろうか。


静かに影を落とし始めた何かを悟られたくなくて、調子乗り過ぎよっ、と蘭は軽く新一の頭を小突いた。
新一はわざとらしく痛がるフリをしつつ、心配すんなって、と軟らかく微笑む。

「なんなら、試験終わってから合流してやろうか?」
「何言ってるのよ、次の日も試験じゃない。バカッ」

今度はいたずらっぽく笑われて、蘭も自然と笑顔がこぼれた。


***


その夜。いつものように、工藤家から毛利探偵事務所までの道のりを並んで歩く。
まだ8時過ぎだというのに人通りは既にまばらになっている。新一は最後の曲り角の手前で突如立ち止まり、コートのポケットに預かっている蘭の手を握る力を強めた。蘭が驚くよりも早く、引き寄せられた耳元には新一の声が届く。

「明日は返さないから、そのつもりでウチ来いよ」
「・・・ぇえっ?」
「カウントダウン、一緒にしような?」

小さく笑った新一お得意の不敵なウィンクに、ようやくからかわれたことに気付いた。
時折見せてくれるようになった、新一のちょっと曲がった優しさにさえドキドキして、俯いた蘭の頬は熱を帯びて耳まで色を増してしまう。
何も言えないまま、返事の替わりにぎゅっと手を握り返した。


新一の言葉、視線、表情。その全てに捕われている。
でも、新一はどうなんだろう。
全てを見通す真っ直ぐな瞳の先に、わたしも映っているの?

頭上に咲く夜の星達が、蘭の瞳には昨日よりも高く、滲んでいるように映った。






小五郎は今夜も遅くなるらしい。
「麻雀仲間と忘年会してくる」と、茶の間のテーブルに書き置きが残されていた。
大掃除は終わっているし、おせち料理も二人家族でそんなに食べるわけじゃないから、と今年はデパートで注文した。あとは小五郎用のお酒とおつまみさえ用意すれば、簡素な毛利家のお正月の準備は明日の午前中で全て終えられるはず。
補習から帰ってくる新一を待ちながら、少しずつ工藤邸の掃除も済ませておいたから、夕方には二人揃ってゆっくりと落ち着けるだろう。

湯舟の中で明日の予定を確認してお風呂から上がると、携帯の画面が着信があったことを告げている。相手は園子だった。
掛け直そうとして切り替えた待ち受け画面には、メールの受信アイコンが点灯していた。

『やっほー!蘭、元気? ま、今日も新一君のお守してるんだろうけどさ。
こっちは朝からこってり絞られて、クタクタ(ToT)
電話だと長くなるからメールにしたんだけど、橋口君から新年会の連絡が回ってきたんだ。知ってる?
土日なら家庭教師も休みだし、一緒に行こうよ! 久しぶりにパーッと騒ぎたいっ♪ 園子』

日向だったとは言え、あれこれ考えながら2時間近く真冬の校庭でサッカー観戦を決め込んでいたためか、夕方頃から少し喉が痛いような気がしていた。本格的に風邪を引いてしまわないよう部屋を暖房で暖め、加湿器がわりに水の入ったグラスを机の上に置くと、きちんと髪を乾かしてからメールを打つ。

『勉強、大変そうだね。頑張れ園子!
新年会のことは、今日偶然学校で橋口君に会って聞いたところだったの。
もし園子が行くなら、私も行こうかな、と思ってる。話したいこともあるし。
じゃ、また始業式で会おうね。良いお年を! 蘭』

言外に年末年始は会えないことをほのめかせてみたけれど、察しの良い園子のことだからきっと気付いているだろう。別に約束をしていたわけではなかったが、このお正月を除いたら、またしばらくは新一とゆっくり過ごすことが出来なくなってしまうから。

園子が大変なとき力になれなくてゴメン、と携帯の液晶画面に向かって正座して両手を合わせると、ベッドに潜り込んだ。

3学期の始業式以降は受験のために休む者も多く、公式にではないが、事実上は自由登校状態となっている。出席日数が充分に事足りていれば、休んでしまっても問題はない。
だが新一の場合、通常の卒業要件よりは随分優遇されているのだろうが、それでも日曜祝日を除いた卒業式の前日まで、当然の如くびっしりと補習の予定を組まれてしまっている。心身共にゆっくりしていられるのは、大晦日と正月の3が日、それと受験当日しかなかった。


***


盛大にアルコールと煙草の臭いをまき散らしている小五郎は、一体どれほどの深酒をしたのか、蘭が声をかけてもぴくりとも動かず、深い睡眠に落ちている。

『今夜は初詣に行くから、帰ってくるのは明日の夕方になると思う。
酔い醒まし用にお味噌汁を作りました。温めて食べてね。
夕方、おせち料理が届くはずだから、受け取りよろしく。蘭』

こんな書き置きひとつで娘に外泊されて、父親としてどう思うだろう?
でも今夜は大晦日。小五郎のための“素敵な偶然”も仕掛けておいたから、あとは当人達の努力次第ということにしてもらおう。

「2件分一緒に注文するとちょっとしたオマケが付くから」とまんざらでもない理由を付けて、年末で慌ただしくしている英理に変わり、蘭がおせち料理を注文していた。ここまでは両親共に既知の事実だが、ここから先は蘭の独断だ。
まず追加料金を支払っておせち料理の配達を今日の夕方に指定し、当然配達先は戸別にせず、英理のところにまとめて送ってもらう。
届くのは夕方で、加えてデパートも宅配業者も翌日は休みになる。食品だから返品することも出来ないため、文句の付けようがないはずだ。

勿論“ちょっとしたオマケ”とは、蘭の打ち立てた、このささやかな計画のことである。
英理には既に、今夜は初詣で留守にすることは話してある。荷物が両方とも手元に届いた時点で、勘の鋭い英理なら蘭の企みなどすぐに見透かしてくれるだろう。
今まで偶然を装っていろいろ作戦を立てては失敗してきたが、あの二人なら、これくらいワザとらしくしたほうがかえって策に乗りやすいに違いない。

ちょっとした罪悪感は胸に沈め、蘭は逸る気持ちとともに新一のもとへ向かった。







丁度工藤邸の門扉に到着したところで、蘭の目の前にその家主が携帯電話を手に慌てた様子で玄関から飛び出してきた。

「よぉ、蘭。丁度良かった。今、電話しようと思ってたんだ」
「どこか出掛けるの? じゃ、わたしも、、、、」
「ん? まあ、ちょっと。悪りぃな、蘭。カウントダウンまでには戻って来るから」

ちょっと待っててくれよ、という後半の新一の言葉を、蘭は呆然と立ち尽くした背中で受け止めた。


すれ違いざまに見た、あのキラキラした瞳。
あれは、事件現場に向かうときの、探偵・工藤新一の顔、だった。





今夜はどんなふうに過ごそうか、などと考えて、少しお風呂でのぼせてしまった。
大学合格祝いとして英里が買ってくれたカシミヤのコートには、今日初めて袖を通した。
空手の稽古のために普段はしないマニキュアだって、奇麗に塗れたのに。

でも、こんな気持ちでいたのは、わたしだけ?
やっぱり、新一にはどうでも良いことだったの?





この場から一刻も早く立ち去りたくて、蘭は行くあてもないまま歩き出していた。

今日は、いつものように工藤家で新一の帰りを待つ気には、どうしてもなれなかった。しかし、自分で仕掛けておいた両親のための計画を自ら潰す訳にもいかず、自宅に戻ることも叶わない。


気が付けば、帝丹高校の正門前まで辿り着いていた。
今日から3が日まで校舎内は立ち入り禁止になるため、流石に人の姿はない。妙に静まり返った雰囲気が、通い慣れた場所のはずなのに何故かよそよそしく感じられる。
時々立ち止まりながら、校庭の外周をゆっくりと歩いては、数えきれないくらいの溜め息を落としていく。

昨日は、珍しく新一のほうから「一緒に過ごそう」と言ってくれた。
ただそれだけで、嬉しくて仕方なかった。
早く夜が明けないかな、とワクワクしてなかなか寝付けなかったというのに、結局は蘭の空回り。

「ばっかみたい、、、」

再び戻ってきた正門前で、小さく呟いた。

俯いた蘭の視線の先には、長さを増してきた影の先端に別の影が重なって、濃度を上げている。
1%の期待と99%の諦めとで見上げると、この冬空を吹き飛ばす勢いの笑顔が、真っすぐ蘭に向けられていた。

「久しぶりに会ったって言うのに、随分なご挨拶だよな」



はっと目線を合わせると、その声の主は、蘭のアルバムの苦い1ページを飾っていた、中西だった。

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第3話です。今まで全然入ってなかったラブラブを加えてみたら、また長くなってしまいました。
すでに時期的には遅れておりますが、続きはまたしばらくお待ちくださいませ。
あと1〜2話かかるかな、っと思っています、、、。

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