This page is written in Japanese.



one with what is

〜 あるがままに、そのままに 〜  part 7

羽織っていたカーディガンにきちんと袖を通し、蘭はやや緊張した声で入室の許可を出す。

「は、はい。どうぞ」
「よ、久しぶり。具合どうだ?」

ゆっくりと開かれた扉の陰からは、年末以降顔を会わせていなかった人物が姿を現した。

「・・・橋口君!」
「残念だったな、工藤じゃなくて」
「もう、何言ってるのよ。それより、わざわざお見舞いに来てくれたの?」
「まぁまぁ、そう意地張るなって。実際、会ってないんだろ、工藤と」

苦笑まじりにそう言われ、驚いただけのつもりだったのに、僅かに表情が曇っていたことを指摘されてしまった。新一と離れていた間に身につけた自衛策――穏やかに笑って自らの内なる負の衝動を包み込んでしまう術――が、どうやら橋口には通用しないらしい。
黙って頷くことで橋口の言葉を肯定したが、それ以上のことを聞かれることはなかった。
外の天気の様子や、新学期を迎えた学校のことなど、蘭が負担に思うことがないよう、それとなく話題の方向性を変えていってくれている。


蘭の記憶の中の、とある夕暮れ時がフラッシュバックする。
サッカー部の試合を応援に行った帰り道。隣を歩く新一が試合での一面を熱っぽく語りながら、チームメートのことに言及したとき、「橋口は洞察力が鋭いから、キーパーに向いてんだよな」と言って笑っていた。

ほんと、その通りだよ、新一。

するりと呟きそうになって、慌てて我に返った。誰と話をしていても、名前を聞いただけで、蘭の中はこんなにも自然に、新一で一杯になってしまう。
思わず俯きかけたが、最初に伝えるべき言葉が即座に蘭の頭に浮かぶ。
ベッドサイドの椅子を勧め、改めて橋口に向き直って過日の非礼を詫びた。

「あの、この間は迷惑かけてゴメンなさい。あんまり詳しくは覚えてないんだけど、わたし、駅前で倒れちゃったんだよね?」
「オレは鈴木の家に電話したこと以外、特に何もしてねぇけど?」
「でも、すごく助かったよ。随分遅くなっちゃったけど、ほんとに有難う」
「気にすんなって。それよりさ、毛利が病欠するなんて滅多にないから、今日はみんな心配してたぜ」
「うん。自分でも驚いてる。こんなに長引いたのは初めてかも」
「ま、受験も終わってるし、出席日数も足りてるんだから、この際のんびりすればいいんじゃねぇの?」
「良くないわよ。このまま園子に迷惑かけ続けるわけにはいかないもん。ちょっと咳は出るけどもう熱はないし、今晩こそ家に帰らなくちゃ」

時折笑い声を交えながら、冬休みの出来事や泊まりに来ていた中西の話などを披露する橋口との会話は、途切れることなく進んでいく。しかし、蘭のほうから口にしない所為か、再び新一の話題が上ることはなかった。


橋口との会話の最中に、ふと一瞬、蘭はシミュレーションしてみる。
たとえば、橋口のような人が恋人だとしたら、どうだろうか?

毎日電話で話したり、放課後に寄り道をしたり、公園で喋ったり。
楽しみにして出掛けたデートが、途中で壊されることなんて、きっとなくて。
イベントやお互いの記念日には、ちゃんと約束の時間通りに待ち合わせをして、とびきりの瞬間を一緒に過ごす。
そうやって幸せな空気に包まれた、二人だけの思い出がいくつも積み重なっていく。
きっと、絵に描いたような、恋人同士の時間を過ごすことが出来るだろう。

どんなに強く願ってみても、新一と蘭の間では、何もかもが圧倒的に上手くいかないことのほうが多い。
12月に入ってからは、流石に受験を控えた新一が呼び出されることは少なくなった。以前と比べて、一緒にいられる時間だって格段と増えていた。それでも、すぐ側にいるのに遠く離れているような、どうにも寂しい気持ちにさせられる。
掌から少しずつこぼれていく砂のように、もろく、危うい感情。

・・・たとえば。
新一以外の人を好きになって、結ばれることになったとしたら。
毎日毎日、不安と隣り合わせにならなくてすむの?




やや重くなりつつあった蘭の気持ちを察したかのように、軽い調子のノックが2回、タイミング良く響いた。
その後すぐにドアが開き、園子がシルバーのワゴンとともに現れた。ワゴンの天板には、白磁の丸いポットに3段重ねのアフタヌーン・ティセットが行儀よく並んでいる。

「はぁ〜い! みんなでお茶しようと思って、デリバリーしに来たわよ」

遠慮して席を立とうとした橋口を座らせ、窓際の椅子をベッドサイドに寄せたら、そこはもう園子主催の即席ティーパーティの会場と化していた。みんなで一緒に食べられるようにと、サンドウィッチの他には、焼き菓子の代わりにフルーツ、ケーキの代わりには喉に優しいプリンのセット。蘭にはこれが昼食も兼ねているため、食後用の薬も添えてある。

話題は次第に、今月開かれる新年会、そして3月末の同窓会へと発展していく。
出来る限り多くの同級生達に声を掛け、中西を中心に、橋口と由香も協力して盛大な同窓会になるよう準備中なのだという。新年会の日は、朝から同窓会当日の手伝いをしてくれるスタッフ達を交えて打ち合わせをし、夜からはプレ同窓会とでも言うべき、有志参加の宴会が催される。そこに蘭と園子も加わることになっているのだ。

「当日の楽しみが減るから、今はまだ細かいことは言えねぇけどな」
「わたしに出来ることがあれば、電話してきて、、、って、そういえば、園子。携帯の修理ってまだ終わらないの?」

弾んでいた会話が不自然さを感じさせない程度に一瞬止まり、ポンと手を打った園子が蘭に差し出した手には、蘭の携帯が握られていた。

「ゴメン、蘭。つい話し込んじゃって、忘れるところだったわ。これが本日のお土産第2弾よ」

園子に丁寧にお礼を言ってから、そっと両手を差し出し、蘭は携帯を受け取った。
今まで見せていた笑顔が、一段と明るくなる。
じっと両手に包んだ携帯を眺めたままの蘭は、このとき園子と橋口が顔を見合わせ、意味ありげに小さく笑ったことに気が付いていなかった。


「じゃ、オレはそろそろ、、、」と言って立ち上がった橋口に再びお礼を言って、蘭は「同窓会、楽しみにしてるね」と締め括った。
蘭を部屋に残し、ひそひそと言葉を交わしながら、園子が橋口を玄関先まで見送りに出る。

「ねぇ、橋口君。そっちの準備、大丈夫なの? 間に合いそう?」
「ああ、どうにかな。鈴木のほうは無事に手配出来そうか?」
「まっかせなさい! こういうことは思い切り派手にやったほうがおもしろいでしょ。」

奇麗にウィンクを決めた園子に橋口も頷いて同意し、家路についていった。
2階の客間のほうを見上げ、今頃携帯と向き合っているであろう蘭の姿を思い浮かべると、園子は「さぁて、もうひと踏ん張りしますか!」と、動き出したとっておきの秘策を胸中に巡らせていた。





園子と橋口が退室していき、残されたのは、蘭自身と新一から貰った携帯電話のみ。
しばらく液晶画面を見つめていたが、意を決したかのように電源ボタンを押す。画面には、留守電とメールの受信を示すアイコンが仲良く並んでいた。
少し迷って、まずは留守電からチェックしてみる。
お決まりのサービスメッセージの後には、聞き慣れた、大好きな声。

『もしもし、蘭。オレだけど。実はな、ちょっと困ったことになってて、、、その、もしかすると、今日中にそっちに戻れなくなるかもしれない状況になっちまってるんだ。それで、今オレが―――』
『あ、オレだ。それでな、蘭。えーと、今ちょっと東京からは離れたところにいるんだけど、なんかすげぇややこしいことになっててさ、んで―――』
『もしもし、おい、蘭? 留守電聞いてねぇのかよ? と、とにかくだな、カウントダウンには遅れるかもしれねぇけど、でも、絶対おめぇのとこに帰るから、それまで少し待っててくれよ。な? それで―――』
『もしもし、蘭? メールも返信してこねぇし、ったく、どうなってんだ? もしかして、何かあったのか?・・・わ、やべっ!電池が、、、、―――』

珍しく焦ったような声で、新一からのメッセージが続く。
蘭の携帯の留守電サービスは、1回の利用につき20秒までという決まりになっているため、溢れた言葉を繋ごうとして、新一は細切れに何度も伝言を残している。何処からかけてきているのか、背後がざわついていて雑音はひどいけれど、蘭を安心させることでは、昔から新一の声に勝るものはない。
蘭は最後のメッセージにあったメールを確認するべく、電話を一旦切り、携帯の画面を切り替えた。いくつか並んだ未確認メッセージに目を通そうとしたところで、携帯が震え、続いて特別な着信音が鳴り響く。

新一の番号だけに設定したメロディ。
ひと呼吸入れて慎重に通話ボタンを押すと、蘭が口を開くよりも先に、慌てた様子の声が蘭の耳に飛び込む。

「もしもし、蘭か? オレ。新一だ。わかるか?」
「・・・うん、わかるよ。何年一緒にいると思ってるのよ? バカ」

語尾が揺れていたことなど、新一にはお見通しなんだろうな、と頭の隅で思う。

「やっと繋がった。おめぇと全然連絡取れなくて、オレ、すげぇ焦ってたんだぜ?」
「そんなの、わたし、ずっと、、、」

ずっと、のあとに加えられるはずの言葉が、蘭にはどうしても続けられなくなってしまった。
いつだって、蘭には待つことしか出来なかったから。
例の事件絡みで離れ離れになっていたとき、最初の頃は蘭から連絡をすることもままならなくて、巡る月日の中で不安だけが増長されていた。それなのに意地っ張りな性格が災いし、たまに掛かってきた新一からの電話では素直になりきれず、強気な発言しか出来なかった。
本当は、不安でどうしようもなかったのに。
泣き叫びたくなるのを、取り乱しそうになるのを、ずっと、懸命にこらえていたのに。

ずっと、、、「そばにいて」って言いたかった。

言葉になりきれない気持ちが溢れて、止まらない。
変な風に涙を封じ込めようとしたのが良くなかったのか、蘭は携帯の通話部分を押さえ、苦しそうに咳き込み出した。

「どうした、蘭? くそっ、電話じゃ埒が明かねぇ。今からそっち行くから、ちょっと待ってろ」

呼吸を整えながら、蘭は慎重に新一の言葉を解釈する。
新一は、わたしが今、園子の家にいることを知っているんだ。
ということは、昨夜会ったのはやっぱり・・・?

先程よりは軽い咳をしつつ、蘭は新一に詰め寄る。

「今から行くって、、、ゴホゴホッ、新一のほうこそ、ゴホッ、、、今、何処に、いるの、よ?」
「今日の分の補習を終わらせて、校門を出たところ。10分もあれば到着するから」
「わたしなら、だ、大丈夫だ、から、、、ゴホッ」
「そんな調子で大丈夫って言われても、安心出来るわけないだろ?」
「じゃ、分かるでしょ? わたし、風邪ひいてるんだから、、、コホッ、今はまだ、受験前の新一に会うわけには、、、コホンッ、い、いかないわよ」
「オレのことは心配いらないって。とにかく、ちゃんと蘭の顔を顔を見て話したいことがあるんだ。じゃ、大人しく待ってろよ!」

蘭の制止を無視して、プッツリと会話が途切れた。
通話終了を示す、ツーッ、ツーッ、という空しい音が、耳の奥にこだまする。

悲しみを通り越えた怒りも似た感情が、沸々と蘭の底面に流れる。
あの一方的な言い方は、一体何?
もうわたしには、心配さえもさせてくれないって言う訳?

蘭の頬を伝い落ちる雫は、再び勢いを増している。最早、何に対する涙なのかも分からない。
今度は膝を抱えて顔を埋め、深呼吸を繰り返しては、気を鎮めようと躍起になる。
少しずつ落ち着きを取り戻して、ほぅっと溜息が漏れた頃―――。

「蘭、ちょっと良い?」

控えめなノックに続いて、園子が遠慮がちにドアから顔をのぞかせた。慌てて顔を拭った蘭は、どうぞ、と園子を迎え入れる。
ドアを背にしたまま、ちょっと困ったような顔の園子が口を開く。

「あんたのダンナ、少しは反省したみたいだから、意地悪し続けるのもこの辺で止めてあげる」
「園子、それって、、、新一から何度か連絡が入ってた、てこと・・・?」
「何度か、じゃなくて、ひつっこいくらいに何度も、よ。その都度、撃退してやったけどね」
「どうしてっ・・・?」
「だって、たまには新一君にも蘭と同じ気持ちを経験してもらわなくちゃ、でしょ?」

会いたくても会えない気持ち。
心の奥に溢れる素直な言葉を、言いたくても言えない気持ち。
蘭の場合とは違っていても、園子にだって良くわかる。
たった一人の、大切な人を恋しいと思う気持ち。
恋する気持ちは、誰だって変わらないはずだから。

「それじゃ、本日のお土産第3段、といきますか。さ、どうぞ」

園子が招き入れた人物は、学生鞄を小脇に抱え、肩で息をしている。
相当急いでやって来たことを示すように、マフラーが乱れたままの状態だ。

「蘭、、、」
「新一、、、」

二人とも名前を呼ぶのに精一杯で、言葉が続かない。そこをすかさず、園子が割って入る。

「今日は、お互いに思いっ切りぶつかってみれば? この客間は防音設計になってて、どれだけ派手に喧嘩しても平気だし。決着がついたら一声かけてね?」
「ちょっと、園子、、、」

じゃ、後でね、と戸口で新一とすれ違うとき、園子が新一にチクッと忠告する。

「新一君、念のために言っておくわ。今度わたしとの約束を破ったりしたら、もう次はないんだから。OK?」
「了解」

交わされた新一と園子のやり取りに疑問を持ちつつ、蘭は新一の顔をじっと見上げた。
ドアが完全に閉まると、二人だけのときだけに見せる柔らかい瞳になって、新一は蘭を見つめたまま深く息を吐いて、小さく微笑む。

「思ったより元気そうで良かった。心配してたんだぜ?」

その言葉にハッとした蘭が、新一に風邪をうつしてしまわないようにと、慌てて「これ以上自分に近寄るな」というジェスチャーで警告を出している。新一は軽く頷き、まずは蘭を安心させるため「細かい説明は省くけど、例の薬の影響で、他人の病気はオレにはうつらないんだよ」と報告し、警戒を解く。
それでも、ほんとに?という瞳を向けられて、じゃ、試しにキスしてみるか?と茶化して返す。
みるみる真っ赤になった蘭が力任せに枕を投げつけると、顔面直撃を避けてしっかり枕をキャッチした新一は、余裕の面持ちで微笑んでいる。ナイトテーブルに鞄を置き、外したマフラーを引っ掛けた椅子ごと蘭に向き合うと、枕を持ち主に返した新一の瞳が、蘭を捕らえる。

「やっと会えた、って感じだな。この1週間、とにかく散々だったよ」

この、1週間。
『1週間』という言葉が、蘭の胸に突き刺さった。
キッと目を見開き、ようやく最初の一言を口にする。

「なによっ。この1週間って、、、わたしだって、ずっとずっと、毎日、、、」

続きが上手く言い出せなくて、口籠ってしまう。

「・・・そうだよな。いつも蘭を待たせてばっかりなのは、オレのほうなのに」

受け取った枕をきつく抱きしめて、新一からの、真摯な言葉を受け止める。
悲痛な気持ちの見える、声と表情。
約束が壊れてしまうのは、新一の所為じゃない。そんなことは、蘭にだって良くわかっている。
そう、頭では分かっていても、気持ちでは割り切れないのだ。

「わたし、、、」

折角園子が与えてくれたチャンスなのだから、と、どうにかして声を絞り出す。

「わたし、今年こそ、誰よりも早く、新一におめでとうって言えると思ってたの。だから、すごく楽しみにしてたのよ? でも新一は事件に出掛けて、またわたしだけ取り残されて、、、一人で舞い上がっちゃって、バカみたいじゃない!」
「確かに、一人にさせちまったことは、申し訳ないと思ってる。けどな、あの日オレが出掛けていったのは、現場じゃなくて、、、」

緊張の糸の束が一度に切れたような勢いで、雪崩のように気持ちが流れ出す。
新一の言葉すら遮り、溢れた言葉はなおも続けられる。

「仮にあの日がそうじゃないとしても、今まで一体、どんなにわたしが不安な思いをしてきたか、新一にわかる?ひとつ約束するたび、今度こそ大丈夫だって信じていたいのに、心のどこかで自分自身さえ疑って、約束が叶わなかったときのために備えてるのよ?」
「蘭、、、。」
「こんな自分が嫌でたまらない。でも、新一に嫌われるのが怖くて、新一が好きな気持ちは止まらなくて。結局、何も言えなくなるの」

ひと呼吸置いて、蘭の言葉は徐々に深いところから浮かび上がってくる。
もう新一の顔もまともに見ることができず、抱きしめた枕に半分顔を埋めた姿勢で言葉を繋いだ。

「・・・ねぇ、どうして? どうしてわたしとの約束は、こんなに簡単に破っちゃうの?」
「そんな簡単なことじゃねぇよ」
「じゃあ、わたしだったら、いくら待たせておいても、どうせ一人じゃ何も出来ないから、放っておいても平気だと思った?」
「ちょっと待てよ、蘭。オレがいつもそんな風に考えてると思ってるのか?」
「そう思いたくはないけど、、、でもっ、、、」

新一は、いつになく力のこもった腕で蘭の両肩を掴み、そのままぐっと引き寄せた。
その力強さが、今の蘭にとっては、更に新一との距離を感じさせるものだとも知らずに。


Next
Back to part 1 


第7話はこんな感じでした。もう少し先へ進むはずでしたが、あれれ〜?という間にこんなに長くなってしまいまして、、、。何処で間違えたんだろ?
↑何処も彼処も、な気が(滝汗)
ああ、リクエスターのhana様には、大変申し訳ないです(><)

墓穴を掘り続けるのもなんだかなぁ、なので、コメントは控えめに(苦笑)。


[Back to Page Top]

Copyright© Karin * since 2003/July/07 --- All Rights Reserved.